原稿を書いたと思ったら、もう締め切りである。僕は時間にルーズなせいか、今まで、自ら催促される状況や、厳しい人と付きあうはめに出来るだけしてきた。やっぱり追いつめられないと人はなかなか体が動かない。自ら苦労や危険は冒したくない。僕は小さいときから好奇心は人一倍強いくせに臆病で、妹のしでかすことや、妹の様子を観察して、その後、我がもの顔で行動するというたちで、よくそんなことを母親から見抜かれ怒られていた。
そんな僕が、前からずっと気に止めて「どげんか、せんといかん」と思っていたことがある。それは僕らの仲間であり心の支えである女子軍のことである。というより一番先に入った奥ちゃん(現在は結婚し、堀江ひろ子)のことである。
彼女は現在入社10年目、ちょうど僕がデザイン部隊の課長になった時に入ってきた。
当時我々チームは殆ど会社での存在は、はかなく、デザイナー4人、設計3人。内田洋行最後の技術者集団(分社化、出向で本社には殆どいなくなった)であった。おそらく出向に出すも設計ならともかく、プロダクトデザイナーは受け取り先がなかったのだろう。(そのような噂を聞いた)風前の灯火だった。当時研究所だったセクションは自らつくる必要はないという会社の方針により人が減り、部に降格し、課も減り、ついにたった一つの課になった。そんな時課長になった。新入社員なんてもう随分こなかった。そんな時ボソッと上司が「そろそろ新しい人を入れるか?」と、うっかり漏らした言葉を手玉に取り、あっという間に武蔵美の先生と結託し、新人を入れる手はずを取ってしまった。そしてやって来たのが奥ちゃんだった。
しかし僕は正直少し、がっかりしていた。「優秀だったとしても結婚し、そして子供でもできたらやめるんだろうな、そしたらまた一からだ。まいったな。」今思えば、女性のことなんて何も知らない馬鹿者だったんだろう。(未だに知り得ない深い世界ですが)
しかし彼女が入ってからというものそんな事はすっかり忘れて、男同様に接した。随分振り回したし、随分無理も言った。思うように出来ない彼女は仕事の事で泣く事も多かった。しかし女性という違いを僕はあまり感じていない、そして解らない上に、当時は出来ない訳がないと思っていたもんだからひとりぼっちで仕事に放り込んだ。苦労をしながら彼女は細やかに、ひたむきに対応した。デザインも随分うまくなった。当時はまるで女の子というより小僧のようだった。(奥ちゃんはこの表現は歓迎してませんが)そりゃそうである、ひとりぼっちで暑苦しい男共のなかで仕事はともかく全く女性としての自分を解放する余地も配慮もない。イケイケドンドンチームである。というより僕たちは、組織という大きな力と戦っていたのだ。
そんな彼女がある日、僕に結婚することを伝えた、嬉しかったがついにきたかと思った。そして、これからどうすれば良いのかサッパリ見当がつかなかった。彼女は親族だけでささやかな結婚式をあげた。僕はその写真を見てびっくりした。僕がいつも知っている元気な奥ちゃんではなく、天使のような美しい女性としての奥ちゃんだった。僕はそんな美しい女性としての魅力をサッパリ引き出せず、身も心も男社会に引き込んでいた自分を、顧みた気がした。
それから暫くして、次第に人も増え女性メンバーも増えてきた。彼女はそんな荒くれ者の中で女性チームを率い、荒くれの対処法、気持ちを解説してくれる女性軍のよきリーダーになっていった。仕事も抜群にうまい、そして丁寧。しかし、ずっと気になっている事がある、それは彼女が子供を持ったときの事だ。子供という体の一部、そして宝を授かったとき、彼女はどうするんだろう。仲間として失うことが、もし彼女の選択だったらしょうがない。しかし両立できなくて好きな事が出来ないとすれば大変なことだ。仕方がないじゃ済ませられない。僕たちチームはおろか、世の損失である。いやそれよりこの僕が耐えられられない自信がある。「どげんか、せんといかん」そう思うと、いてもたってもいられない。「奥ちゃん、もし子供生まれたら、連れてこい。皆で面倒見るから」千代ちゃんが「若杉さん、どうせ、僕らに任せるだけでしょう?」なんて会話をしていたが実は結構本気だった。
うまい事にhappiの活動で僕はこのテーマを公然とできることになった。それから社会や企業がどんな支援や活動をやっているかを調べた。とんでもない事に気がついた。女性は子供をもって働くことがとても難しいということ、そして社会がなにも配慮をされていないという現実、それどころか子供を産んだら引き込めといわんばかりの状況なのである。働いたお金をすべて養育費に出すといっても過言ではない矛盾、社会復帰しても現職への復帰は難しい。何処も一通りの育児休暇と支援以外は、本人いや、女性まかせなのである。
昔は近所というか地域に爺さんや婆さんがいて、余計なお世話をやくおばさんがいた。社会が子供面倒見る仕組みがあった。しかし今はこの状況である。よっぽど、強い女性でないと仕事を続けられない。企業の中には企業内保育を持っている会社もあるが、ごく一部であり我々のような零細企業では現実味がない。そして会社はこの事には世間並であることに満足している。つまりこれは男社会が押しつけた虚像である。 |