連載

 

スギダラな一生/第7笑 「大人と子供、そして働くということ」

文/ 若杉浩一
 
 
 

原稿を書いたと思ったら、もう締め切りである。僕は時間にルーズなせいか、今まで、自ら催促される状況や、厳しい人と付きあうはめに出来るだけしてきた。やっぱり追いつめられないと人はなかなか体が動かない。自ら苦労や危険は冒したくない。僕は小さいときから好奇心は人一倍強いくせに臆病で、妹のしでかすことや、妹の様子を観察して、その後、我がもの顔で行動するというたちで、よくそんなことを母親から見抜かれ怒られていた。

そんな僕が、前からずっと気に止めて「どげんか、せんといかん」と思っていたことがある。それは僕らの仲間であり心の支えである女子軍のことである。というより一番先に入った奥ちゃん(現在は結婚し、堀江ひろ子)のことである。

彼女は現在入社10年目、ちょうど僕がデザイン部隊の課長になった時に入ってきた。
当時我々チームは殆ど会社での存在は、はかなく、デザイナー4人、設計3人。内田洋行最後の技術者集団(分社化、出向で本社には殆どいなくなった)であった。おそらく出向に出すも設計ならともかく、プロダクトデザイナーは受け取り先がなかったのだろう。(そのような噂を聞いた)風前の灯火だった。当時研究所だったセクションは自らつくる必要はないという会社の方針により人が減り、部に降格し、課も減り、ついにたった一つの課になった。そんな時課長になった。新入社員なんてもう随分こなかった。そんな時ボソッと上司が「そろそろ新しい人を入れるか?」と、うっかり漏らした言葉を手玉に取り、あっという間に武蔵美の先生と結託し、新人を入れる手はずを取ってしまった。そしてやって来たのが奥ちゃんだった。

しかし僕は正直少し、がっかりしていた。「優秀だったとしても結婚し、そして子供でもできたらやめるんだろうな、そしたらまた一からだ。まいったな。」今思えば、女性のことなんて何も知らない馬鹿者だったんだろう。(未だに知り得ない深い世界ですが)
しかし彼女が入ってからというものそんな事はすっかり忘れて、男同様に接した。随分振り回したし、随分無理も言った。思うように出来ない彼女は仕事の事で泣く事も多かった。しかし女性という違いを僕はあまり感じていない、そして解らない上に、当時は出来ない訳がないと思っていたもんだからひとりぼっちで仕事に放り込んだ。苦労をしながら彼女は細やかに、ひたむきに対応した。デザインも随分うまくなった。当時はまるで女の子というより小僧のようだった。(奥ちゃんはこの表現は歓迎してませんが)そりゃそうである、ひとりぼっちで暑苦しい男共のなかで仕事はともかく全く女性としての自分を解放する余地も配慮もない。イケイケドンドンチームである。というより僕たちは、組織という大きな力と戦っていたのだ。

そんな彼女がある日、僕に結婚することを伝えた、嬉しかったがついにきたかと思った。そして、これからどうすれば良いのかサッパリ見当がつかなかった。彼女は親族だけでささやかな結婚式をあげた。僕はその写真を見てびっくりした。僕がいつも知っている元気な奥ちゃんではなく、天使のような美しい女性としての奥ちゃんだった。僕はそんな美しい女性としての魅力をサッパリ引き出せず、身も心も男社会に引き込んでいた自分を、顧みた気がした。

それから暫くして、次第に人も増え女性メンバーも増えてきた。彼女はそんな荒くれ者の中で女性チームを率い、荒くれの対処法、気持ちを解説してくれる女性軍のよきリーダーになっていった。仕事も抜群にうまい、そして丁寧。しかし、ずっと気になっている事がある、それは彼女が子供を持ったときの事だ。子供という体の一部、そして宝を授かったとき、彼女はどうするんだろう。仲間として失うことが、もし彼女の選択だったらしょうがない。しかし両立できなくて好きな事が出来ないとすれば大変なことだ。仕方がないじゃ済ませられない。僕たちチームはおろか、世の損失である。いやそれよりこの僕が耐えられられない自信がある。「どげんか、せんといかん」そう思うと、いてもたってもいられない。「奥ちゃん、もし子供生まれたら、連れてこい。皆で面倒見るから」千代ちゃんが「若杉さん、どうせ、僕らに任せるだけでしょう?」なんて会話をしていたが実は結構本気だった。

うまい事にhappiの活動で僕はこのテーマを公然とできることになった。それから社会や企業がどんな支援や活動をやっているかを調べた。とんでもない事に気がついた。女性は子供をもって働くことがとても難しいということ、そして社会がなにも配慮をされていないという現実、それどころか子供を産んだら引き込めといわんばかりの状況なのである。働いたお金をすべて養育費に出すといっても過言ではない矛盾、社会復帰しても現職への復帰は難しい。何処も一通りの育児休暇と支援以外は、本人いや、女性まかせなのである。

昔は近所というか地域に爺さんや婆さんがいて、余計なお世話をやくおばさんがいた。社会が子供面倒見る仕組みがあった。しかし今はこの状況である。よっぽど、強い女性でないと仕事を続けられない。企業の中には企業内保育を持っている会社もあるが、ごく一部であり我々のような零細企業では現実味がない。そして会社はこの事には世間並であることに満足している。つまりこれは男社会が押しつけた虚像である。

   
  そしてそんな中で、知り合ったのが例の「上田令子嬢」だった。彼女は凄かった。なんというか、躊躇がない、振り返りがない(まるで反省がないように聞こえますがそうではありません)、そして気負いがない、そして誰でも受け入れる度量がある。彼女から、僕らは、気付かなかった男社会、そして社会の現状と彼女の戦いを知らされ、とてもかなわないが、僕もこの未知なる領域を少しでも知りたいと思った。子供のことは単に女性だけの問題ではない。我々の未来に通ずることだ。我々の便利さや利益の裏においてきた不始末である。お姐曰く「子供にツケをまわしたくない」である。杉と一緒じゃないか。   お姐イラスト
「お姐」こと上田令子さん直筆。子供にツケをまわしたくない、をベルバラ調で表現。実はお姐はマンガ好き。
       
 

よしまず自分たちで実践しよう、しかも楽しくやろう、出来ることからでいい、なぜならテーマが大きすぎてすぐに答えは出ないし、お金も力もないし経験も無い。そして始めたのが「企業内寺子屋」である。最初は随分回り道なのだが、奥ちゃんの子供を面倒見ようということから派生して、地元の子供達と付き合おう。そしてその仲間のネットワークが出来ればいい。

しかしそう現実は簡単ではなかった。組織としては、「もし事故が起きたら」「わざわざそこまでしなくても」「仕事の支障を来す」等、責任を取りたくないとなる。ところが近所の学童の責任者である園長先生はとても喜んでくれた。「子供には色々な大人と接することが必要です。学校と親と私たちだけの社会ではダメなんです。そして本気で付き合ってくれるという事を子供はきちんと受け止めるんです。僕たちは良き隣人として歓迎します」と言ってくれたのだ。

僕たちのただの思いだけの活動に対しプロの方々が良き隣人として受け入れてくれる事に僕たちはとても感動した。その言葉に押され、それから僕たちは学童の子供たちと接する事からはじめた。子供たちを少しずつ理解していった。子供たちと付き合うと、気も心も抜けないし大変疲れる。しかし何ともいえない壮快さと、豊かさと元気を貰う事が出来る。関わった皆が満足気になる。「よ〜し、また行くぞ!!」となるのである。自分がこの社会にいる事を痛切に感じる。 

数回の実験というか顔合わせを経て今度は僕たちの会社へ子供たちを招く、そして会社の中で子供たちと学習するという段階になった。こうなると、区の承認が必要である。園長先生の計らいで区の責任者の方と面談をした。起案書や保険などの準備や計画を提出し、異例のスピードで初めての会社での子供のワークショップが実現する運びとなった。
初めての会社見学会はとても刺激的だった。子供を案内する各フロアの部長、そして元気に挨拶する子供たちに皆が仕事中には見られないくらい良い顔をするのである。しかも普段は見られないくらい子どもを前にすると魅力を発揮する人たちばかりである。子どもたちもいつもと違う環境に対してきちんと対応できる度量を持っていることを先生たちもびっくりされた。終わってから会社の誰しもが「良かったな〜〜」という話になった。僕たちが味わった喜びを皆が感じた。
夏休みの間、都合3回のワークショップと交流を行った。納涼祭では宮崎のスギの端材を(海野さんから送ってもらいました)使って木工作を行った。短い時間だったが子供も大人も興奮した出来事になった。子供がいると些細な事も豊かになる。

   
  会場準備   木工教室
子供たちが会社見学に来る前の会場準備
会社見学
  「働く場」を見学する子供たち   学童を訪問し、木工教室を開く
   
 

僕らが何気なく過している環境や出来事は、子供たちに取ってとても素敵で、きらびやかなモノにあふれている本物なのである。その事を僕らは子供たちから学び感動する。子供たちは実社会という大人の世界に接し感動する。本当は昔はもっと実社会が近くにあった、そしてささやかな事に豊かさがあった。そして実社会を通じて面倒だが色々な繋がりがあり支えあっていた。今の世の中だから昔のようにはならない。しかし新しい関係性は構築できる可能性がある。それを見つける事が我々に課せられていることではなかろうか。会社の仕事にはそんなのもは求められていないし、存在しない。しかし社会にはそんなものが必要なのである。国がやるのか、NPOがやるのか?そうではない。そう!「そういうあなたがやれば良いのだ。」これから僕らの、いや皆の色々な経験と苦労と知恵が新たなモノや事をつくるに違いない、企業はその責任の一端を社会の中で確実に担っている。うまいもんだけでは困るのだ、人は食うだけでは生きられないのだ。

誰の責任でもないが、存在する問題をどうするか?そう!スギとやっぱり一緒なのだ。そう考えると楽になる。なぜなら素晴らしい仲間がいるからだ。活動を始めて、まだわずか一年だが、素晴らしい園長先生や学童の先生たち、子供達を通じて区の方々や、ボランティアの方々と知り合う事が出来た。ほんとに駆け出しのまだまだであるが、スギダラを思えば勇気がでる。そしてスギダラの実績があるから会社のメンバーがこんな無謀な事へ協力してくれる。何かがきっと動いているのである。

奥ちゃんの子供が生まれるまでにまだまだ練習をしなければならない。まだ何もしていないに等しい。これは自分の子供に何も出来ていない自分への償いもあるのかもしれない。しかし、我々は、ただ組織として集まっているだけではない、必然性を持っているのだ。人はそれぞれ役割がある。そしてそれが活かされる事を魂が望んでいる。奥ちゃんを通じて僕はこの事と出会った、必然なのだ。「そして大人と子供と働くという事」の謎をもう少し解き明かしてみたい。さあまた面白くなってきたぞ〜 なあ奥ちゃん。

   
  ちゃぶだい
  奥さんの結婚祝いに、若杉・中尾ペアで「ちゃぶだい」をデザイン・設計して贈った。結婚4年目にしてやっと結婚祝い。こんなに遅れた原因は若杉さんが3年半、中尾さんが半年、滞納したせいらしい。
   
   
   
 
  ●<わかすぎ・こういち>インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 テクニカルデザインセンターに所属するが、 企業の枠やジャンルの枠にこだわらない
活動を行う。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長




   
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