連載

 
新・つれづれ杉話 第14回 「木のお風呂の肌触り」
文/写真 長町美和子
杉について、モノづくりについて、デザインについて、日常の中で感じたモロモロを語るエッセイ。 
 
  今月の一枚

※話の内容に関係なく適当な写真をアップするという身勝手なコーナーです。

エサ場にたどり着けずに行き倒れになった猫が点々と……というわけじゃありません。「暑いー」「つまらなーい」を身体で表現している我が家の2匹です。
ここがいちばん風通しがいいのです。(夜、手持ちで撮ったため、光量不足でかなりブレてますけど、お許しください)

行き倒れ猫
 

 

 
 
 
    木のお風呂の肌触り
 

「杉の道具、募集します」とノリスケさんから言われて、私の人生で杉に関わった思い出を必死に探ったのだが、学校の椅子と机くらいしか思いつかない。ひとつだけ、あ!あれはどうだ! と思ったのが、木の風呂桶。でもノリスケさんに報告すると「横浜だったらきっとサワラでしょう」と言われてあえなく沈没。参加できないとは残念だ……というわけで、サワラだろうがマグロだろうが、私の「木の風呂体験」を書こうと決めた。連載枠を持ってる強みである(笑)  

私が生まれた昭和40年に両親が住んでいたのは、戦後、住都公団が各地に建てていた、コンクリート4階建て50棟くらいからなる団地だった(建築に詳しい方ならすぐにあの有名な「51-C型」の平面図が頭に浮かぶだろうが、ウチはそれよりもちょっと後のタイプ)。六畳と四畳半にダイニングキッチン、風呂、トイレが付いていて、ベランダの片隅には物置もあった。今、当時から残る古い公団住宅を見ると、いかにも「最小限の住環境を保証してます」みたいな切りつめた寂しさが漂っているのを感じるが、昭和30年代、「団地に住む」というのは、若い夫婦にとって最先端のカッコイイことだったらしい。

風呂場はざらざらしたモルタル洗い出し仕上げになっていて、スノコと浴槽を置く足場がにょきにょき突き出ている。そこに木のガス風呂が設置されていたのである。小判型の浴槽に銅のタガがはまっていて、ガス釜がついて、エントツがついていた。窓を開けて換気しながら入っていたような記憶がある。釜の入っている部分の上には「上がり湯」として、浴槽の湯とは別にきれいなお湯が入れられるようになっていて、小さな木の蓋がついていた。

このガス釜があるせいで、風呂の内部には足を伸ばせる部分と、釜があって足を伸ばせない部分があったわけだ。

お風呂に入る時は、5つ上の兄と一緒だったので、湯船につかる際には、彼が必ず「足を伸ばせる席」を陣取る。従順な子分であった私はその隣にしゃがむしかない(どっちにしろ、座高が足りないから、首から上を水面に出すためには足を伸ばして座れないのだが)。兄は、その「足を伸ばせる席」を車の運転席に見立て、正面の木の乾いている部分に濡れた指でハンドルを描き、アクセルを踏む真似をして「ぶーん、ぶーん、キキーッ」とか言いながら遊ぶのだ。それがいかにも楽しそうで、うらやましくて、私はいつか一人でお風呂に入れるようになったら、あの席に座ってやろうとひそかに決めていた。

「助手席」に座っている私は、しょうがなく、自分の顔の横の木が乾いている部分に、濡れた指で窓を描く。そこには、母が赤い油性マジックでつけた2センチくらいの印も書かれていた。これは、「みーちゃん、お風呂に水を入れておいてね」と頼まれた時に、どこまで水を入れるか、という目印である。律儀な私はその印に水位が近づいてくると、何度も風呂場に通って水を監視したものだ。

さて、風呂が木製なら、当たり前のようにスノコも木製である。風呂場の床のモルタルの出っ張りにスノコを載せると、スノコが水浸しになることもなく、通風性もいいので傷まない。このスノコの下にちびた石けんを落として苦労した、という思い出のある人も多いのではないだろうか。

団地の風呂は、今のマンションと違って、風呂桶、スノコが独立していたので、住み替えや買い換えの時期になると、青いポリ製浴槽になったり、ステンレスになったりしていった。ちょうど私の子供時代が切り替わりの時期だったのかもしれない。友達のウチに遊びに行くと、いろんなお風呂が置いてあった。

今、マンションではバスルームは建物に付随していて、浴槽も「設備」として最初から完備されているのが当たり前だ。それは一戸建てを新築する時も同じで、システムバスをポンと入れるにしても、タイルなどで造作するにしても、風呂は建築の一部として設計される。でも昔は、風呂桶というのは、自分で調達し、自分でメンテナンスする「家具調度品」の部類だったのだ。

これは畳がたどってきた道筋とも似ている。畳屋さんに依頼して、部屋に合わせて誂えて、年末の大掃除には、畳を上げて日に干して、傷んできたら表替えをして……と、自分で管理していた「家具」である畳は、いつしか「建材畳」なんてネーミングがされるものまで登場して「床材」になっていった。江戸時代には、火事になると畳を上げて大八車に積んで逃げるくらいの「家具」だったのに。

モノは、自分で誂える、調達する、メンテナンスする、ということから遠くなると、存在感が薄くなっていく。最初から用意されているもの、工務店や設備機器メーカーが面倒を見てくれるものに対しては愛着が湧かない。「古くなったら替える」ただそれだけである。

だから、とも言えないが、私のお風呂の記憶は、ポリ浴槽に変わってからは、それがどんなデザインだったか、何色だったかさえも思い出せないほど希薄だ。それは単に、成長するにつれて日常のどうでもいいことに目をやらなくなっていった、というだけのことかもしれないけれど、あの「木のお風呂」だけは、縁のこすれて丸くなった手触り、湯の中でお尻や足の裏がスルッと滑るような感覚は今も鮮明に蘇る。

身体が小さくて、鉄棒に飛びつくようにしながら桶の縁に片足をかけてお風呂に入っていた日々(この入り方のコツも兄に教わった)。記憶が濃密なのは、木と肌の密着度が高かったからなのかもしれない。

   
   
 
 
  <ながまち・みわこ>ライター
1965年横浜生まれ。ムサ美の造形学部でインテリアデザインを専攻。
雑誌編集者を経て97年にライターとして独立。
建築、デザイン、 暮らしの垣根を越えて執筆活動を展開中。
特に日本の風土や暮らしが育んだモノやかたちに興味あり

   
   
   
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