先日、秋田にスギダラ3兄弟で「窓山デザインコンペ」の表彰式を窓山で行うために行ってきた。その中で起った出来事がこのことを再確認するきっかけを与えてくれた。窓山はコンペの記事を見てもらっても解るように、とても美しい里山である。何はなくても、大自然の中で薪でわかしたコーヒーを飲み仲間と語り合うだけでゆっくりと心地よい時間が流れていく。広葉樹の緑、そして清らかな水、澄んだ空気、迎えてくれる仲間。魅力の宝庫である。しかし町中はシャッター商店街(どこの地域でもそうだがここも例外ではない、前号の東京の選挙事務所だってそうである)。そこの方々と前夜際で盛り上がったのである。その中で僕は友好的な会にも関わらず、思わず魔物を出してしまった。
「よそもんには解らんだろうが、人は減り、生きていくのだけでも大変なんだ。きみまちの里にチャペルをつくり結婚式のメッカにしたい、そして町を活性化するのだ。俺たちには君たちのように、そんな悠長な時間はないんだ」「ここは魅力がある町ですよ。小さいレベルから時間をかけるべきだと思います」「東京の豊かな暮らしをしているよそもんには、我々の苦しみは解らん」
こうなると、準備万端、体にスイッチが入る。楽しい中の、立ち上がってのお騒がせ劇を展開してしまった。自分でもやれやれと、やりながらも反省はしている。しかし体が言う事を聞かない。畳み掛けるように出来事は起こって行く。僕たちの教え子であり我々の会社の工場に勤めるデザイナー3年生から追撃を食らう「あなた方は、僕達のことを理解していない、もっときちんとしてもらわなければ」概ねそんな、内容だったと思う。なんせ、気分は悪いし、苦手な日本酒を飲んでいるもんだから、良く覚えていないし、スイッチ全解放である。そこへ千代ちゃん乱入「3年ぐらいで何を結論づけているんだ、何でもっと知ろうとしないんだ」不思議なもんである人が攻撃していると押さえようとする、自分がいる。本当は自分が言いたかったくせに。いつもはこんな時、最前線にいる南雲親分は、今回すっかり知らん顔であった。魔物エネルギー一定の法則である。
「俺とお前は違う」「僕らの事を理解していない」「早く結果を出さないと意味がないんだ」そうなんだろうか?そう、そもそも違うのである、そんな簡単に理解できるはずがない。だから理解しあう時間が必要になってくる。違うということを理解する。そして、その距離の中に真実が存在する。それを探り当てるために飲み、踊り、語り合う、そして作り始める、そして広がって行く。本当に面倒なのである。簡単ではない。だからこそ理解した時に感動があり、強いチームが出来上がる。そして感動は感動を呼ぶ。
杉はすぐには使えない。最低でも50年後、へたすりゃ100年、次の世代である。出来たものでも、味がでるのに時間がかかる。おまけにメンテを怠るとダメになる。遠い未来のために時間が横たわる。そしてその時間と繋がっている自分に喜びを見いだす。今結論を出す、今を生きるという事ではない、未来に対して自分を差し出すという勇気と忍耐が必要だ。しかしそれこそ美であり価値であることを認めあう社会があったのだろう。それに支えられ我々は栄華を手にしているのかもしれない。今杉を通じて、スギダラを通じて集まっている仲間を結びあっているもの、それは我々の中に存在し、忘れてしまった価値の再発見なのかもしれない。「時間が、かかる」ことを理解する「時間に耐える」ということの素晴らしさを理解したとき、とてもホッとした。
秋田の杉は根っこが曲がっている。風雪のために、真っすぐに伸びれないのである。その時間に耐え真っすぐな緻密な美しい秋田杉となっていく、杉だってそうなんだ、たいした事じゃない。
「もっとじっくりやるべー」なあ杉浦君(工場で働く若きデザイナー)。 |