今回はいつもの連載はお休みして、吉野林業とスギダラというテーマでお話をしてみたいと思います。
まず、吉野林業の現実を見つめ直します。
吉野杉や吉野桧に大きなブランドイメージが生まれたのは、やはり品質の良さだと思います。暑さと寒さのバランスが良く、雨が多く、積雪が少ない…といった気候や土壌成分が杉や桧の生育の適していた事で高品質を生みました。
さらに重要な要素が、多くの人の労力が注がれてきたという点です。
吉野林業の特徴とも言える「密植」「枝打ち」「間伐」です。1ヘクタールあたりに8000〜12000本という高密度な植林を行う事で成長を抑制し、年輪巾が細かく、均一な木材を育てます。さらに枝打ち作業を行う事で、芯を中心にした真円に近い形状になり、まっすぐに伸びる木筋が良い木材になります。早い段階で枝跡(節)が内部に取り込まれる為、節の少ない化粧材を取る事も可能になります。そして、定期的な間伐(間引き)を行う事で、良質な材を優先して育成するようにします。
昔(と言っても20〜30年ほど前ですが…)は、この間伐した木(間伐材)は細くても(20〜30年生でも)色々な用途ありました。建築現場の足場丸太や、丸みがある柱なども積極的に住宅建築に使われました。この間伐材の売上により、山への手入れ費用が生まれました。つまり「山にお金が戻った」わけです。これにより、さらなる間伐や植林へのエネルギーが蓄えられたわけです。
現在の吉野林業の現状には、「山にお金が戻らない」という問題があります。
以前はお金になった20〜30年生の間伐材は、仮に山から出材したとしても、出材費用に見合う収入を得る事は困難なため、山に捨てられます。「捨て切り」になってしまいます。通常、この捨て切りという名称は10〜20年生のごく細い段階での間伐作業で、用途がない為、山に捨てられ腐って養分となるか、燃料として持ち帰られました。
さらに40〜60年生の間伐材は十分に建築資材(柱など構造材)として利用可能なのですが、山から出材したとしても利益どころか、出材費用をカバーする事さえ出来ていないのが現状です。まさに山にお金が戻らないわけです。
山にお金が戻らないという事は、「山に人が集まらない」という事です。
山仕事の高齢化と後継者不足という事態を生みました。このままの状況では山で木を育て、山から木を切り出す人がいなくなる可能性は低くないと思います。
お金もなく、人もいない。残ったのは手入れが入らない山。
上空からは緑に覆われているように見える山も、山中では必要な間伐がされない為に光が差し込まず、昼間にも関わらず真っ暗で、下草の生えない状況が多く見られます。このままの状態では木は立ち枯れします。
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