「このプロジェクトは長い目で見よう。予算は単年度だが、まずは基礎づくりからであり、飫肥杉の基本を見直す作業をしたい」と(事情があって仕事をひきついだ)内田みえさんから聞いていましたが、ほとんど表に出ない作業を展示会に向けて行なうのは難しいものです。それも私が関れるのは4ヶ月もありません。長い目で見たい、といくらつぶやいても、自分も含めた参加者がある程度「続けていきたい」という感触を得られなければ、次の企画につなげることができません。
いったいどうしたらいいのか。
ともかく、エコプロダクツ展の展示のアドバイス、というのが仕事の項目にありましたから、それはするんだろうな、と思いながら、鬼の洗濯岩に圧倒されつつ生まれてはじめて日南の地に入りました。 一回目のミーティングで日南のみなさんと会ったときに、こつこつと地道に仕事をしている人たちのものをそれなりに展示してかっこよく見せるという自分の役目にあらためて疑問をもちました。そういう詐欺のような仕事はなるべくしたくないと思ってきたのに、よりによって趣味でやっているような杉活動でやるはめになるとは……。もっとも、現状のものを並べるだけでは、どうにもこうにも詐欺のやりようもなかったのも事実で、そういう「幸運」に恵まれて私は自分の仕事を見直すことになりました。
日南市役所の河野さんの柔軟な感性と杉という植物の力がその後押しを強くしたのはいうまでもありません。
そう、ここで感じたのは、植物と同じで人も生き物なのだから、たとえ大人になっていても育っていくということです。100年生の杉も毎年毎年新芽を出しているのです。
短い期間で私たちは互いに育ちのつぼをついていました。生長点をつつきあえたのです。それは「長い目でみよう」というビジョンをしつこく確認しあったことと、杉というのびゆく素材があったからでしょう。具体的な先は何も見えないのに、しつこくできたのは、この地でずっと暮らしていきたい、という決意をもった人がいたからです。故里の風土の可能性を知って、そこをのばしていこうと、強く願う人がいたからです。
そして幸い、風土の産物を利用して暮らしてきた跡が、まだこの地には残っていましたし、「もろぶた」や「まぐろ箱」などまだまだ使われているものもありました。これは開発の進んだ都会から来た者にとって、地元の人が、故里をもっともっと好きになりたいと願いながら、いろんなものを吸収して変化していく姿とともに、たいへんな刺激になります。
地方のデザインはそこの風土をいかし、地元の人が育っていくことでしかなりたちません。東京などから来た人の役割は、地元の人が毎日見て、ときに退屈して目を閉ざしているかもしれない風景に対して新鮮な目を開くきっかけになることでしょう。まさに新芽、ですね。
異なるものとの出会いが新しいものを生んでいくのであれば、東京などから地方に行ってものづくりに関わるのも自然のなりゆきなのだと思えました。地元の人と異邦人の出会いはちょっとロマンチックでもあるのです。
|