特集日光

 
日光・今市支部立上げ宣言(のための準備旅行)
文/写真 山本美穂
 
 
●スギ並木の里、今市へ
   
 2006年8月5日、容赦なく照りつける夏の太陽の下、日光・今市支部立上げの準備のために、私と撮影助手・スカシのO君はJR今市駅へ向かった。正確に言えば、チヨダラさんに頼まれた月刊スギの原稿と写真をゲットするために、他人の視察の邪魔をしに行ったのである。夏の空ははてしなく青く暑い。町の背後には奥日光の山々が涼しげに誘っている。
 今回、熱いスギの人々に会ったのは、旧今市市エリアである。平成18年3月20日に、旧足尾町、旧藤原町、旧栗山村、旧今市市と旧日光市が合併して、栃木県の歴史と秘境の核心部を含む巨大な日光市が誕生した。なかでも今市市は、江戸からの日光街道と京都からの例幣使街道とが町の中央でひとつになる、日光の重要な表玄関である。日光杉並木と言えば今市、今市と言えば日光杉並木なのである。上空からの写真でみると、奥日光の山々を背後に、流れ出すような扇状地に美しい町が広がっている。関東平野の最末端でもある。
 下野の国・栃木は大変保守的な土地柄で、新しいことにはすぐに飛びつかない、人々は温和で自分達の領分を大切に慈しむ、といったところがある。しかし江戸が近く情報も早いため、江戸から僻遠の薩摩や肥後のように、豊かな土地に大いに開き直って我を通すというニュアンスとは少し違う。江戸は常に意識しながら、自分達の暮らしを守る、という意識に近い。市場が近かったために、育成林業の歴史は古い。戦後植えられたスギが伐期を迎えた新興林業地の九州のように、さてスギをどうするか、ということを今更あれこれ考えたりするという事態とも違うのである。
その歴史あるスギの街に、スギダラケ倶楽部の支部が立ち上がる。
趣旨に深い理解を示した心強い案内人は、女傑林業家のOさん、熱血県庁マンのTさんである。

 
日光杉街道を通り今市へ向かう






●神社に響く復興の槌音
   
 「まずは、神社へ行きます」という熱血県庁マンTさんの案内に従い、大室の高?(たかお)神社へ向かう。スギ木立に囲まれた鳥居の奥に神社の境内が見え、妙齢のよかオトコ衆が、忙しげに立ち働いている。伐られたばかりの青竹が道端に添えられているのは、夜の祭を演出する蝋燭立てである。視察の若い女性陣に目をとられ、皆、顔がどことなくほころんでいる。神社の御神体は、(メモを忘れてしまった)古代の神様の親戚で、源義経も立ち寄って休んでいったという大変由緒正しい古来の神社である。スギは、この神社の拝殿と参道すべてを取り囲んでいる。数年前まで、手入れ不足のスギ林に覆われるように荒れ果てていた神社は、地域の人々の心のよりどころとして、夏祭りで賑わうまでに復活した。石垣の積み直し、スギで作られ た四阿屋、スギ林の手入れ、地域の人々の参加の物語は、別稿の狛犬の代理人氏が書いておられる通りである。
 見回すとすべてスギと若干のヒノキである。スギなくしてこの地域を語ることはできない。神社を出て左に折れると、針葉樹特有のリグニンの香りが鼻をついた。スギの葉を水車で挽き、粉にして線香の原料にしている小さな小屋が見えた。

 
  高?神社と今回の案内人のみなさん。









水車はうたう
   
 小さな水車小屋の前の土場では、ここの主、浅田邦三郎氏が細かくちぎられたスギの葉を天日干し中であった。そこら中スギの葉の甘く気高い香りである。水車小屋の周りは稲が青く伸び、とうとうと冷たい水が流れている。懐かしくも正しい日本の夏の田園風景のなかを、狐の花嫁でも通り過ぎていくような雰囲気である。

線香の原料にする杉の葉の粉を天日乾しにしている浅田邦三郎氏

   
 「ん なんだ?なんの見学だ?」
浅田氏は、若い女性が賑やかにやって来たのに軽く驚いて、人懐っこくニマーっと笑った。女の子が「うわぁ」と声を上げるのに気をよくしたのか、水を入れて粉挽きのデモンストレーションが始まった。ごとんごとんと軽やかなリズムで水車が勢いよく回る。若い女性の歓声があがる。いいですねえ。
通常、我々が仏壇でご先祖様に手向ける線香が輸入品であったことを、私は愚かにもこのとき初めて知った。スギの葉で作る杉線香は、輸入物のタブや化学香料などから作られる「匂い線香」とは違って、煙の量が多く、それ自体が燃料になる日本古来の純国産線香だという。しかし、今では一部の寺でわずかに利用されるぐらいで、一般に目に触れる機会は殆どなくなってしまった。以前、福岡県の黒木町(黒木瞳の郷里)の山村で杉線香農家を見たことがありますと言うと、そこを含めて今では全国に数件しかないはずだよと逆に教えられた。
 山を伐るという話を聞くと、浅田さん自ら山に出向き、伐り倒されたスギ林跡地からスギ葉を持ち帰る。スギに囲まれた水車小屋だが、材価の低迷で林家も山の木をなかなか伐らなくなっている。時には今市を越えて遠くの町までスギの葉を集めに行かなければならない。
   
この水車で杉の葉を粉に挽く。

 集めたスギの葉は、3ヶ月から半年近く乾燥させ、細かく刻み、さらに天日干しを繰り返して水車で丸二日かけてゆっくりとつく。雨の多い今年のような夏は、乾燥にも時間がかかってしまう。
 「いい匂いですねえ。それにすばらしい風景」
 「そか?」
 浅田さん、嬉しそうにニマーっと笑う。
 「水車ばっかりじゃなくて米も作ってるから忙しいの。誰かあそこで蕎麦屋をやったらどうかなーって考えてんだ。どう思う?」
 「素晴らしい!」「この風景に水車見ながら蕎麦食べて、そこに杉線香も置いたら名物になります!東京の人なんか、喜びますよ。」皆口々にそう言った。客の女性陣は、文系学部の4年生と東京在住の若く美しい大学講師である。口上も華やかで勢いがある。暑さも手伝って、皆、涼しげな蕎麦に思いをはせ、がぜん話は盛り上がる。蕎麦屋プロジェクトに共感する東京の金持ちを次は必ず連れてくると約束して(皆さんお願いしますよ)、水車小屋を後にする。皆、軽い感動の後の心地よい疲労を感じている。

安らぎの冷涼蕎麦
   
 スギ深い今市の山道をあちこち曲がって登った渓流のわきに、その涼しげなスギ材の食堂・瀧茶屋はあった。渓流では、長逗留のおじさん達が水遊びをして涼んでいる。今までの真夏の太陽が嘘のように、涼しく安らかな空間である。
 山菜料理と安らげる空間が売り物のこの店は、日光で生まれこの山里で暮らしてきた林業家の主婦・福田栄子さんが切り盛りしている。知る人ぞ知る、山のおかみさんの店である。店のわきには山の清水が引かれ、先ほどの浅田さんの杉線香、周辺で取れた山菜などが販売されている。季節の味わいを生かした「そばサラダ」「そばすいとん」「ちりめん山椒」「水饅頭」などが人気メニューである。蕎麦も歯ごたえがあり美味である。腹が減っていたのと気持ちよいのとですっかり気をよくして、撮影助手のO君は、下の渓流に遊びに行ってしまった。おじさん達に「脱ぎっぷりが悪い」などと冷やかされている。見ているこちらも涼しそうである。
贅沢な昼食を済ませて店を出ると、さっきのおじさん達がお茶を手に遊びの疲れを癒していた。
「何の集まり?」
「スギとスギに関する人々の取材です。」
「それはええ! 写真撮って。」
 てな感じのが、おじさん達の写真、山のおかみさんを交えて撮ったのが、集合写真である(おかみさんは、後列右から3人目)。
 どうやら自宅を出て夏の間ここで長く涼んでいるらしい謎の常連おじさん達と、忙しく働くおかみさんとも再会を約束して、山の茶屋を離れる。

 
食堂から見える渓流。

 
 
渓流で遊んでいたおじさん達。



瀧茶屋で記念撮影

再造林放棄なし!?
   

 西日本の山里をドライブしていると必ず目にするスギの大面積皆伐地。しかし、こちらの事情は西日本とは大きく違う。そもそも、皆伐が少ない。皆伐しているところがあっても、目を凝らしてみると(少なくとも)道路沿いの斜面はすべて真面目に再造林されている。これらの土地柄の差は、つきつめていけばその地域の林業構造と密接に結びついている。話は長くなるのでやめておくが、地域の林業構造とは、所有構造(どこの誰がどれだけスギ林を持っているのか)、雇用の場、スギの成長の差、さらにそれから作られる製材品の違い、ターゲットとする市場の違い・・同じスギ林業地と言っても、とても同じ視点でまとめて語ることはできない。スギ問題の分かりにくさが、巻き込むべき人々をさらに遠ざけてしまう。でも単純 にすると病理が隠されてしまう。だからといって、深刻な顔でいては何も解決できないのだ。

 
スギの皆伐地



間伐材を生かす    
 熱血県庁マンが用意してくれた山林ツアーもひと通り終えて、最後に向かったのは、間伐した小径のスギ材をあれこれ活用している山の起業家、福田勝さんの工場である。市場の評価の高い高齢級の大径材の影に隠れて、以前は殆ど林地に捨てられていた間伐材の加工・販売の仕事を福田さんが始めたのは、1980年頃のことであるというから、間伐材利用の先駆け的存在である。
 写真のような木柵や、治山工事用の杭木、谷留用材、型枠、造園工事用の長丸太、杭、建築用の磨き丸太や鯉幟の竿、バーク(皮)による土壌改良剤など、注文があれば何にでも応じられるような多品目少量生産の体制をとってきた。本数にすると年間約2万本の間伐材の商品化を実現させてきた。
 このような体制をとるには、原料となるスギ材の在庫をいかに管理するかという極めて重要な課題を克服しなければならない。注文は、大小長さも様々である。それを支えたのは、自ら山を近くに持ち、絶えず山を歩いて森と木材の情報を仕入れている林業経営者ならでは嗅覚なのであろう。このほか、ケヤキの人工造林、ギンナン生産畑(林)、マロニエへのトチノキの接ぎ木、などなど、森と木に関する企業家の息の長い闘いは、終わるところを知らない。

 
間伐材を利用した木柵

山の起業家、福田勝さんの素材ストック

 迎えてくれた気さくな奥様が、私たちに缶コーヒーを一本ずつ配ってくれた。日もかげり、帰りの時間を気にし始めた女性陣に、「丘の上のレストランに是非行きなさい」としきりに勧めていただいたのだが、このお洒落っぽいレストランの存在をついに探し当てないまま、一行はそれぞれに解散となった。楽しかったよ。皆さんどうもありがと〜う♪。
*    *    *
 さて、スギダラケ倶楽部日光・今市支部の開設準備状況は、ざっくばらんなところ、以上のような経過を辿り、本陣の登場に備え始めたところです。今日は駆け足でほんのサワリを紹介しただけですが、古い林業地の日光・今市には、古いものを大切にしながら、旧来の考えにとらわれない斬新なアイデアで地域の財産・スギを生かしていこうとする魅力的な人物が大勢います。いかがでしょうか。日光・今市で、是非、本陣を迎えて高らかに開設宣言宴会を執り行いましょう!

 
<やまもと・みほ>宇都宮大学 農学部
火の国熊本生まれのヒノエウマ。栃木のスギと学生達とともに、社会変革の志だけは高く地味に奮闘中。
 
 
   
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