神様が体毛を植えた。それが杉の木になった。
杉を伝って神様が往き来する。この様な神話が教えるものは一体なんでしょうかねぇ?私はこう考えています。古代人は神様が困らぬような森を育てることで、繁栄や安寧が適う場をつくろうとした。いわゆる「神棲む森」の存在が災いを避ける山の環境や恵みのある暮らしに大事だということを神話として教えた。そこに信仰が生まれ、人々は生きる術や道理に適う文化を共有して、山を守り、山の恵みに守られた生活を築き得た。
家、農耕具、食文化の道具などなど、多くの生活の場に木を使うことは、神を身近に置くこと。神の恵みとして木々を意識することで、森や木に対する畏敬の念、必然としての道理を育んできた。まあ、そんなところでしょうか。
こんにち、私どもは金のなる木を育てることに奔走し、一歩引いて森を眺めることを忘れてきたんじゃないでしょうかねぇ。植林から伐採技術まで、儲かることを追い続けた林業。生産効率を優先し、付加価値を作ることに専念し過ぎたかもしれません。
高千穂は神話や神楽など神を傍におく生活文化が、今なお厳然として息づいている地です。「分け入っても 分け入っても 青い山」と山頭火が詠んだように、豊かな「神棲む森」があるんです。
「杉に災(わざわい)の無きよう」、高千穂人が率先して、神話の教えに新しいものを見出すような感性を、今一度、磨かなければいけない時代なのでしょうね。
私どもが、仙人といわれるくらいの山奥に棲み、神楽や信仰などの伝統文化とともに暮らす役割もそこにあるんでしょう、たぶん。そしてまた、都会に暮らす人々が、山に足を運び、こういう世界を知ってくれることにも大きな意味があるんですよ、皆さん。
スギダラの理念は実に素晴らしい! 今からのあゆみの中で、日本全国スギダラケ倶楽部が見つめる先は、神話の教えに通ずるものであってほしいですね。
●<いいぼし・あつし>
宮崎県高千穂町の秋元という山奥に暮らす。
秋元地区は「アヒルのダン
ス」をスギダラ家の人々に伝授した地で、グリーン会やルージュ倶楽部という地域グ
ループを組織し、山奥の豊かな暮らし、楽しい生き方を自分たちで実践している土地柄で、そのメンバーの一人。
(右)神様の宿る木(桂)。
私はここに山の神を祀っている。