一月杉話

神棲む森と杉の木 −神話のくに高千穂から −
文/写真 飯干 淳志
皆さんは、神話の世界を覗いたことがありますか?  
 
奥山にある秋元神社は、なぜか信仰のメッカである。社(やしろ)の屋根に密着して植えられた杉の役目は?

 
1.杉の木がないと神は降臨できない
 
 月刊「杉」読者の皆さん!
 神社にはなぜ杉の木があるのか、その意味をご存じですかなあ?
 そういえば、どこの神社にも杉の木があるよなあ。とりわけ神社には大木が多いよなあ。見上げるような威風には神々しさを感じるよなあ。と思考を進めていける人は、なにがしか、鎮守の森や杉の木の力を感じているわけでして、「杉の木とはなんぞや」の答えを知らず知らずに体感しているのですが、「神社を建て替える時の材料用に植えてある」などと認識していては神様が嘆きますぞぉ!
 それでは、神社になぜ杉の木があるのかご説明いたしましょう。
 古来から、神様は高天原(たかまがはら)(天上界)から地上界へ杉の木を伝って降臨してくると考えられているんですねぇ。杉の木を介して天上界と地上界を往ったり来たり、神様はしているんです。つまり杉の木がないと神様は降りて来られない、天上にも帰れない、と考えられているんですねぇ。杉は木々の中でもとりわけ太く高くまっすぐに成長します。空高く凛とそびえる杉の大木。皆さん、天まで届きそうな立ち姿に、そんな役割を感じたことありませんか? そういうことで、神社には大きな杉の木があるわけです。そして、天孫降臨の聖地高千穂では、夜神楽という伝統文化の中で、神が杉を伝わって降臨する神楽「杉登り」が舞い継がれています。
 

天にそびえる杉の木。凛として降臨する道にふさわしい

2. 杉の木は神様の体毛
 
 いま少し、神話の世界をご紹介しましょう。
 高天原(天上界)から出雲の国に来て、八岐(ヤマタ)の大蛇(オロチ)を退治した素戔嗚尊(スサノオノミコト)は、天照大神(アマテラスオオミカミ)の弟ですが、たいそう暴れん坊、きかん坊の神様で、その振る舞いを嘆かれて姉の天照大神(アマテラスオオミカミ)が「天の岩屋」へお隠れになり、この世が真っ暗闇になってしまった。さあ大変だ!というところから始まるのが、高千穂に伝わる「天の岩戸開き」の神話で、高千穂の夜神楽でも舞い伝えられています。この素戔嗚尊(スサノオノミコト)が、少彦名命(スクナヒコナノミコト)らを連れて唐の国に出向かれた時に、木がなければ舟も作れないだろうと言って、自分の体毛を抜いて植えられた。それが杉の木になったと神話の世界では語り継がれています。

 
  神社から神楽宿(民家)に神様を連れて行く「舞入れ」のはじまり(上)

  高千穂に神話の伝承とともに舞伝えられる夜神楽(下)


 そうです。杉の木は神様の体毛なのです。
 余談ですが、その時、唐の国に同行した少彦名命(スクナヒコナノミコト)は、唐の国から多くの珍しい宝物や薬草を持ち帰り、帰国の途中で嬉しさのあまり船べりを叩いてその喜びを表したそうな。夜神楽の中では「八鉢」(ヤツバチ)という神楽に登場し、太鼓の上で逆立ちをするなどして、その嬉しさを舞い表します。
 この神楽も見物(みもの)ですぞぉー!

 さてさて、今度は現代スギダラの世界にもどりましょう。


3. ビーバーダムの材料になった杉
  
 
 
 
   昨年9月の台風14号は日本全国に猛威を振るいましたが、高千穂では、悲しいかな、裏山が崩れ人の命が奪われたり、五ヶ瀬川に架かる高千穂鉄道の橋梁が流されたり。そんなニュースを皆さんもテレビで見られた記憶があると思います。
  そして、ついに、高千穂鉄道は災害復旧の目途が立たず経営断念に追い込まれてしまいました。美しい渓谷を走る高千穂自慢の鉄道でしたから残念でなりません。70年の歴史がある鉄道なのに、なぜ、あの橋が流されるの?という疑念が残ります。それだけ雨の量が凄かったのも事実ですが、実は、橋梁流失には杉が一役絡んでいるんです。
 その説明の前に、木の強さの話を1つだけ。私の友人に、農林水産大臣賞を受賞した飯干福重さんという篤林家がいます。彼の手がける杉山は、風通しがよく、下草も灌木も豊かに生い茂り、がっしりと根付いた杉がそびえ立っています。こういう木は形状比が小さく……。おっと失礼!「形状比」とは、木の高さ(H)と胸高直径(D)の関係をH/D=「形状比」で表したもので70以下が理想、倒れにくい木の目安といわれています。この値が小さいものはがっしりした木で雨風にも強いのですが、値が大きいものは、手入れが悪く枝の枯れ上がったヒョロヒョロの杉。そんな杉林は中も薄暗く、下草さえ生えませんですね。そこに、山面を洗うような豪雨が降り、巨木をもなぎ倒すような強風が吹いたら、どういうことが起きるのか容易に想像が出来ます。いま全国では、人手不足や販売不振で手入れが行き届かず、密植状態のまま伸びたこんな杉山がワンサカ増えているんです。
  悲しい運命を漂う現代杉。高千穂鉄道の悲劇は、このヒョロヒョロ杉が台風に薙ぎ倒され、束になって川に流されたことで起こってしまいました。
 昨年の台風では、尾根筋から根こそぎ山肌が剥ぎ取られ、土石流となって大河を流れ下ったとです。そこにあった何百本という杉の木も密集状態で濁流を流れ下り、長木のまま橋に引っ掛かり、鉄道橋にどでかいビーバーダムを築いたのでは、と私は推測しています。これでは橋も耐えきれないはずです。
 月刊「杉」第6号で吉武春美会員が上崎地区をレポートしてくれましたが、あの橋の上下流域にも、山から運ばれてきた膨大な量の土砂が堆積して、えらいこっちゃ状態になってますし……、延岡市だってこれからは堤防をあふれた洪水で街が沈没するかもしれない。要するに、山が荒れるってことは全てが大変なことになるってことですよ。

高千穂線は全国の人々に愛された峡谷鉄道だった。静寂に漂う朝靄の中を杉林のかなたに迫る一番列車。 この灯りをもう一度見たい。

 
 
悲しき鉄道1  
 
悲しき鉄道2   
 
悲しき鉄道3


4.「神棲む森」の神話が教えるもの
 
 

 神様が体毛を植えた。それが杉の木になった。
 杉を伝って神様が往き来する。この様な神話が教えるものは一体なんでしょうかねぇ?私はこう考えています。古代人は神様が困らぬような森を育てることで、繁栄や安寧が適う場をつくろうとした。いわゆる「神棲む森」の存在が災いを避ける山の環境や恵みのある暮らしに大事だということを神話として教えた。そこに信仰が生まれ、人々は生きる術や道理に適う文化を共有して、山を守り、山の恵みに守られた生活を築き得た。

  家、農耕具、食文化の道具などなど、多くの生活の場に木を使うことは、神を身近に置くこと。神の恵みとして木々を意識することで、森や木に対する畏敬の念、必然としての道理を育んできた。まあ、そんなところでしょうか。

  こんにち、私どもは金のなる木を育てることに奔走し、一歩引いて森を眺めることを忘れてきたんじゃないでしょうかねぇ。植林から伐採技術まで、儲かることを追い続けた林業。生産効率を優先し、付加価値を作ることに専念し過ぎたかもしれません。
  高千穂は神話や神楽など神を傍におく生活文化が、今なお厳然として息づいている地です。「分け入っても 分け入っても 青い山」と山頭火が詠んだように、豊かな「神棲む森」があるんです。
  「杉に災(わざわい)の無きよう」、高千穂人が率先して、神話の教えに新しいものを見出すような感性を、今一度、磨かなければいけない時代なのでしょうね。

  私どもが、仙人といわれるくらいの山奥に棲み、神楽や信仰などの伝統文化とともに暮らす役割もそこにあるんでしょう、たぶん。そしてまた、都会に暮らす人々が、山に足を運び、こういう世界を知ってくれることにも大きな意味があるんですよ、皆さん。

 スギダラの理念は実に素晴らしい! 今からのあゆみの中で、日本全国スギダラケ倶楽部が見つめる先は、神話の教えに通ずるものであってほしいですね。

●<いいぼし・あつし>
宮崎県高千穂町の秋元という山奥に暮らす。
秋元地区は「アヒルのダン ス」をスギダラ家の人々に伝授した地で、グリーン会やルージュ倶楽部という地域グ ループを組織し、山奥の豊かな暮らし、楽しい生き方を自分たちで実践している土地柄で、そのメンバーの一人。 
 

(右)神様の宿る木(桂)。
私はここに山の神を祀っている。

 
神様の宿る木の根本に祀られた山の神(手前は御神酒を入れて供える「かけぐり」:竹製)
岩屋の下に鎮座する木彫りの山の神。右手には斧をもち左手には勺をもつ。足下の両脇には狛犬が
   
神棲む高千穂の山々



 
   
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