連載

 
つれづれ杉話 /第6回 「雨と杉下駄 その1」
文/写真 長町美和子
日常の中で感じた杉について語るエッセイ。杉を通して日本の文化がほのかに香ってきます。
 

 

 


下駄が誕生したわけ

12月16日

日付を書いてみて、今日は父の75歳の誕生日だと気づきました。不孝者です。なんのプレゼントも用意していないし、近頃電話もしていない。

 子供の頃、日曜日にはよく父親と近くのグラウンドまで散歩に行ったものです。私が縄跳びをしている横で、父はスケッチブックを持って草花を写生したり、煙草をふかしたりしてました。あの頃、父はよく下駄を履いていました。夏は白っぽい浴衣に素足で、冬はウールのアンサンブルに黒いネルの足袋を履いて。「散歩いくか」のひと声で、カランコロン、ジャリジャリという音を聞きながら一緒に歩いたのです。別に何を話すでもなくただぷらぷらと。

 歳をとった父は、そのカランコロンが近所迷惑だから、と下駄を履かなくなりました。今住んでいるマンションは長い廊下を歩かなければ外に出られません。じっとしていられないタチで一日に何度も家を出入りする父は、コンクリートの廊下に響く音を気にしているのです。じゃ、歯の裏にゴムが貼ってあるヤツにすれば? と勧めても、「いや、いい」とだけ言って、履こうとはしません。その気持ちはわかるような気がします。あの白木を通して伝わってくる地面の感触、砂利を踏みしめる感触が心地いいんですよね。ゴム貼りの下駄なんて水着でお風呂に入るようなもんですよ。

 思い返してみると、父の履いていた下駄は木目のはっきりしない白い木だったので、たぶん桐下駄だったのでしょうね。今、たいていの高級履き物屋さんでは桐下駄をメインに扱っているようです。杉下駄というと、表面を焼いて木目を浮き立たせたもの、ヒールが高い厚底ブーツのような女の子用など、ちょっと趣味的なデザインのものが多くて、シンプルですっきりしたものはあまりありません。でも、『お山の杉の子』の歌詞に「本箱、お机、下駄、足駄」とあるように、昔は杉下駄がもっとつくられていたはず。11月に宮崎で行われた「杉コレ2005」でも下駄をモチーフに使った作品があって、そうそう、杉は柔らかいし、吸湿性はあるし、下駄にぴったりだよね、と思ったのでした。

 下駄っていうと、私の場合、カジュアルな履き物っていうイメージがあります。昔の『サザエさん』を見ても、買い物カゴを下げたスカート姿で下駄を履いていたりするし、自分の経験としても、黒塗りに赤い鼻緒の下駄は夏祭りの時とか、お正月でも赤いウールの着物を着て近所の神社にお参りする時に履いて、七五三とか成人式を含め、絹の着物を着て正装するときは白足袋に草履、と決まっていたからです。

 でも最近になって、下駄っていうのは、雨が多い国だからこそ生まれた履き物なんだということを知りました。

 私の尊敬するエッセイの神様、須賀敦子の『ユルスナールの靴』には、戦時中ミッションスクールに通っていた子供の頃、革靴が手に入らなくなり、サメ皮の靴を履いて雨の日に学校に行ったらぐしゃぐしゃにつぶれてしまった、というくだりがあります。そこで、叔母さんがこんな風に言うのです。

「戦争だからしかたないわ。雨の日くらい、下駄で学校に行かせてもらえないものかしらね」

 そうなんです。下駄というのは「濡れてもOKで、泥を洗い流せて、地面から高く持ち上がっていること」に意味があったのです。考えてみれば、昔はどこも舗装されていなかったので、雨が降ればどこもかしこもぬかるみでグチャグチャだったわけですよ。大正時代にゴム長靴が登場しますが、女性はゴム長なんか履けなかったし、だいたいにおいて、靴自体が高級品だったので、戦後までずっと雨の日には歯の長い高下駄(足駄)が雨下駄として活躍していました。

 ところで、最近になって知った下駄がらみの衝撃的な事実というのがもう一つあります。何かの本で見てびっくりしたんですけど、平安時代の絵巻物「餓鬼草紙」には、道ばたでしゃがんで用を足す老若男女の絵が描かれていて、彼らは、そこらへんに溜まっている汚物を踏まないために高下駄を履いているんですね。穴を掘ってしゃがむのではなく、平らな地面に積もっている汚物をひょいひょいとまたぐようにして、適当な場所を見つけてしゃがむのです。日本のトイレ事情というのが当時どのようなものだったか、それはまた別に調べないとなんとも言えませんが、とにかく、下駄というのはドロドロの地面から上がっている必要があって発達したものだ、ということなんですよ。

 なんだか話しが杉とは全然違う方向に向かってますね。でも、この「地面から持ち上がっている」ことについては、他にもいろいろあるので、このつづきは、また次号に書きたいと思います。

 
宮崎の「杉コレクション2005」で出品された杉下駄作品「一坪の森〜足跡のダンス」
(デザイン/magnet)。
下駄の裏側に森の動物たちの足跡がスタンプのようについていて、人が下駄を履いて歩くと、森の気配が広がっていく、というコンセプト。 写真ではほとんど全部が裏側で、一つだけ表に返してあります。鼻緒の色と動物の足跡の色がおそろいになっているのです。
*杉コレについてはスギダラHPの「スギダラ家の人々」で千代田健一さんが詳しくレポートしています。


 
 

<ながまち・みわこ>ライター
1965年横浜生まれ。ムサ美の造形学部でインテリアデザインを専攻。
雑誌編集者を経て97年にライターとして独立。建築、デザイン、 暮らしの垣根を越えて執筆活動を展開中。
特に日本の風土や暮らしが育んだモノやかたちに興味あり。
 
 
   
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