特集秋田

秋田二ツ井町との出会いと杉をテーマとした活動紹介

文/構成 竹田純一

 

 

 

 

 

 スギダラの皆さん、初めまして、里地ネットワークの竹田純一です。
 先日は、モクネットの加藤長光さんのところで、スギダラ秋田ツアーご一行の強力でユニークな活動に遭遇し、実に、楽しい時間を過ごさせて頂きました。ほんとうにありがとうございました。
  さて、スギダラの皆さんとは、秋田杉をテーマとした出会いでしたので、私の二ツ井町との出会いと杉をテーマとした活動紹介をここではさせていただきたいと思います。

 
 
「森で遊び林業を考える学校」1996年

 
 
 私がはじめて、秋田県二ツ井町を訪れたのは、1995年11月。街の中心地に特別養護老人ホームを建設中で、私が当時属していた日本リサイクル運動市民の会が、数百人槽の合併浄化槽を老人ホームに設置したことがきっかけでした。二ツ井町の取り組みの斬新さに触発されて、町へのフォローを含めて、住まいと暮らし、秋田杉と私達との関わりを考える学校を開催しようと考えました。
 
二ツ井町役場 会議室  森の学校シンポジウム

 1996年からスタート、春夏秋冬で合計6回開催した四季の学校は、朝から夜まで丸3日間のスケジュールで開催しました。東京から訪れる人は、木曜の夜出発し、金曜の早朝7時、二ツ井町に到着、そこから、金、土、日の3日間、白神山地、秋田学術参考林、杉の混交林、杉林の整備作業、製材所、木工所、杉の民家や公民館と、杉だらけの62時間を、さまざまな専門家と共に、整備作業を行いながら過ごす学校です。日曜の夜9時、夜行バスで帰り、月曜日そのまま出社という今から考えればあきれる行程をおこないました。前後の移動を考えると3泊5日。参加する人も迎える町の人も、すべての人が先生であり、同時に、生徒であるというコンセプトで、春夏秋冬の、杉と私達の暮らしを見つめ直しました。山人と生活者が交流するこのツアーの名称を「森で遊び林業を考える学校」としたのは、このためです。
能代の木の学校にて、杉のイスづくり

 6回の活動を通じて、さまざまな出会いが生まれました。住宅関連の方、設計士、工務店、研究者、海外協力隊,農水省関係者、生協、食品関係者、農家など、様々な立場からの情報交換を行った学校でした。その中で二ツ井町に暮らす人たちが、自分たちの暮らしはどうあるべきなのか、また都市との交流はどうすべきなのか、そして風土を活かした町づくり、生業・産業をどうしていったらよいのかを考えました。
二ツ井町 田代地区での整備作業

 森の学校がどんなことをやってきたのか、参加者がどのように感じてきたのかは、参加者のひとりで、秋田杉の家を東京に建てた、西本さんの感想を、簡単に紹介します。西本さんは、森の学校の第1回目に参加されて、その後は奥さんと交互に参加されました。
二ツ井町 田代地区での整備作業

 
西本金治さんの感想(2001年)
 
 
 「森の学校に参加させていただいたおかげで、好きな杉の家を建てることができました。関係者の皆さん、本当に感謝をしております。最初に家をたてようと考えた時に、車で自分の住んでいる周辺の3ヶ所ほどの住宅展示場のショールームにいきました。そして、97年3月にあるハウスメーカーと仮契約しました。しかし、どうしても納得できない感じがしているときに、読売の広告欄に「森で遊び森を考える学校」の記事を見つけて二ツ井町まできました。朝にニツ井町に着きまして役場の受付にきてみると、にこにこして優しそうな方がいらっしゃいました。これが工藤学さんでした。そして役場の中を案内してもらいました。また、この縁で森の学校が終わってから工藤さんから、モクネットの情報を教えていただきました。7月に千葉県柏で、モクネットで建てられた小川さんの住宅の見学会にいきました。本当にびっくりしました。今までツーバイフォー等の工法しかないのかなと考えていたのですが、これをきっかけに直ぐにモクネットに施工を依頼しました。10月に地鎮祭をし、11月に上棟式を行いました。伝統ある材を使って、我々の家も建てられるということで、本当に感謝しています。自分の好きな木の家に住めるというのは、森の学校のおかげで感謝にたえません。」
 
二ツ井町役場 会議室 森で遊び林業を考える学校 開会式

 森の学校は夏・秋・冬・春、秋、夏と4年がかりで6回開催、もちろん毎回来る人もいました。季節に応じて二ツ井町の自然の風景が全く変わりますので、来る度ごとに感動が深まります。毎回開催地区をかえ、民泊やら杉の公民館やら、野宿やらと、いろいろな体験と話に花を咲かせました。参加者の感想は、それぞれ、さまざまですが、いつも、次の言葉が頭に残っています。「今回いろいろな方から受けた様々なやさしさを必ず誰かに、あるいは、何かに対してお返ししたい」と、とてもありがたいメッセージでした。4年間の活動を終えて、公開シンポジウムを2001年8月25日開催しました。その中から、いくつかの報告を紹介します。

 
主催者側の報告(2001年)
 
 
 「森の学校を通じた林業体験や、今の時代に森を守っていくことの難しさをお互いに学んで認識を深めながら、どうすればもっと良い方向に向かうかを学んでいければいいなと思っています。」
「これまで山里、林業、木材というものは、軽く見られる時代が何十年か続いてきました。しかし最近になりまして、人の心の問題は、いよいよ森とか木とか、そのようなものでないと救えないような時代になりつつあるのではないかなと感じ始めています。」
 「住宅の建て方にしても、日本古来の木材を大事にした建て方というのは、自分にとっても社会全体から見ても良いことだと思いますし、あるいは森を守っていく面からも非常に意味があります。そんなことをお互いに認識していくことが必要じゃないかなと思います。」

 この学校のコンセプトメーカーのひとり、今井先生の二ツ井町と杉に関する報告は以下の通りでした。この考え方が、森の学校の原点でした。
やや長文ですので別ウインドウで 開きます。)

 
 

 
 

 
里地ネットワークから見た二ツ井町と こども達を交えた森の学校番外編での、二ツ井町との関わり
(2001年8月)

 
「木のまち」二ツ井
 
 
 日本の林業は今厳しい状況にありますが、町の面積の8割という森林資源を持つ二ツ井町では、さまざまなイベントを行いながら、町の活性化を図ろうとしています。かつて、米代川流域は「天然秋田杉」の宝庫と言われ、樹齢120年以上のものが切り出されていました。現在は、このような天然杉は数カ所に残っているだけで、60年から80年程度の造林杉が中心に切りだされています。
「天然秋田杉」とは、江戸時代に植林された大径木の杉のことをいいます。当時の佐竹藩では、住民による自由な伐採を制限する「留山制度」を設けて、持続的に材を出せるように計画的な林政を行っていました。しかし、その後、明治時代に国有林に移管されてからは、日中・太平洋戦争戦時下において、特に、軍需用に伐採されました。戦後には、住宅建築ラッシュに伴って次々に天然杉が伐採されました。当時の二ツ井町の人々は、皆、天然杉になんらか関わる仕事をしていました。「天然杉バブル」ともいえる活況を呈していたともいわれています。しかしその乱伐の結果、昭和45年頃には天然杉は殆ど枯渇し、現在主流となっているのは、戦後の拡大造林期に植林された造林杉(秋田杉)です。

 現在伐採されている秋田杉ですが、昭和36年からの安い外材輸入と、オイルショック以降の建築ラッシュの頭打ち、建築需要の低迷などから、木材の価格は暴落し事業採算がとれないことから、除間伐等の手入れが行き届かなくなりました。このような状況の中でも、二ツ井町の人たちは、今ある森林資源を活かしたまちづくりを模索しています。

 
 
林業〜建築:きみまちハウス
 
 
 「きみまちハウス」とは、秋田杉の並材(節のある材)を使った、伝統的な軸組み工法による木の家です。持続的な林業を成立たせるためには、除間伐を適正に行ってその材を有効に使うこと、本来の木の性質を活かした、長持ちする工法を利用することなどが必要です。そのため、節がある材や除間伐で出る材も有効に使いながら、金具をなるべく使わず、また木が呼吸できるように無垢の材を表に出した家を建てています。それは、長持ちし、解体・修復可能で土にかえる家でもあります。すでに町営住宅や山小屋をこのきみまちハウスで建設しました。また建材だけでなく、二ツ井の山から取れる鉱物ゼオライトを除湿材として利用し、設計・施工は地元の業者を利用しています。林業から建築に関わる産業全てにおいて、地元の資源を利用しているのです。
 このような二ツ井町で、木工作や遊びの場として、森そのものを楽しめる要素もいれて、今回のプログラムを開催しました。

 
 
天然秋田杉の美林
 
 
 まず訪れたのは、日本三大美林の一つといわれる天然秋田杉の森、仁鮒水沢スギ植物群落保護林。広さ約18ヘクタールの山に、平均樹齢250年、2812本の天然秋田杉があります。ひんやりと静まり返った、水をうったような空気のなか、太さ1メートル、高さ50メートル級の杉の巨木がまっすぐ天に伸びています。谷沿いにあるこの林の中は、しっとりとして地面もぬれていますが、密植状態の杉植林地と違い、日の光がさして思ったより明るい森でした。ここには、日本一高いとされている高さ58メートルの杉がありますが、この杉に限らず、どれも神社のご神木のように荘厳です。途中、地元の方が、天然秋田杉の枝で作ったという木の笛「コカリナ」を奏でてくれました。高いけれどもやわらかいその音色が、森の中に響き渡りました。

 
 
たゆたう米代川と原生林の七座山
 
 
 移動途中、二ツ井町を180度蛇行しながら流れる米代川沿いに、七座山(ななくらやま)の山すそを通りました。
 鉄道やトラック輸送が山で使えるようになる前は、材木はもっぱら「筏流し」といって筏に組んで川を流すことにより運びました。その水運路になったのがこの米代川です。河畔には、当時の貯木場後、かつての営林署であった伝統的な建築様式を残す「天神荘」があります。また川には、鮎を取る網を投げる人の影がちらほらみえました。このヘアピンカーブに蛇行する米代川にはさまれて、低い山が七つ連なる、七座山があります。この山は米代川に斜面が面しているため、緊急時の木材供出に備えて、藩政時代から伐採が禁じられました。そのため、原生林の状態を今に残しているそうです。今回は時間がなくバスから眺めただけですが、それでもその幽玄な雰囲気は伝わってきます。登山コースもあるそうなので、一度は登りたいものです。また、米代川をはさんで対面するきみまち阪側からの眺めは、それはもう、美しいものでした。

 
 
木の枝でできた!バッタ、トンボ、飛行機
 
 
 午後は、きみまち阪公園の広場で、木工作を行いました。材料は、杉の間伐材と公園の樹木の剪定枝葉。役場産業課、地元森林組合、営林署の協力を得て、材や機械、道具を準備し、木工作の指導には、地元の木工作家、工芸家の方も加わってくださいました。公園に着いた子どもたちの目をひいたのが、枝や葉っぱ、木の実などで作った、トンボ、バッタ、カブトムシ、ウサギなどなど。なんとも素朴でかわいらしいものができあがっています。これらを参考に、子どもたちも自由にいろんなものを作りました。先生の真似をしてウサギやトンボを作るひと、ウマ、サワガニ、飛行機、汽車、…子どもたちからいろんな発想が生まれます。「○○を作りたいけどどうしたらいいかなあ」という時は、地元の、山と木の専門家に聞きにいきます。また、大きなものについては、電動ノコで「こういう形にきって」と頼みにいきます。なかなか大人を困らせたアイディアもありました。もちろん、お父さんお母さんたちもいっしょに楽しみました。皆、終わりの時間になってもなかなか手が休まらないほど熱中し、できたものを大事そうにもって帰りました。

 
 
木と愛称のよい天然素材ゼオライト、木の家「樹音」
 
 
 ゼオライトは多孔質の構造をもつ鉱物の一種です。二ツ井の山からとれるものは大変良質で、江戸時代から利用が始まったといわれます。これは、木炭のような多孔質の構造をしていて、湿気やよごれを吸着してくれる石です。そのため、におい取り、湿気取り、土壌改良材など多用途に利用されています。そのむかし二ツ井では、これを柱の下にしいて防腐につかったとのこと。この日昼食を取った、秋田杉で軸組み工法により作った「響きホール」では、床下除湿材として使われていました。ゼオライトは、木材の利用と深いかかわりをもった、天然の素材なのです。樹音は、地元木工作家のアトリエ兼ゲストハウスです。床も壁も階段の手すりも、中の家具も、全部地元の材でできています。階段やいす・テーブルなどに使われている木は、小径木の材や根曲がり材、抜根等をそのまま使った、味わいのある二つとないものばかりでした。

 
 
すがすがしいブナの森
 
 
 翌日は、ブナの森に登りました。二ツ井町は、白神山地の南側の玄関口です。世界遺産地域に隣接する195ヘクタールが、「ふたつい白神郷土の森」として、歩けるように整備されています。
 この郷土の森の入り口にいくまで、町の中心部から車で一時間ほどかかります。郷土の森の入り口までは、深い谷を見下ろしながらバスで登りました。
ようやくコースの入り口に着き、歩いて散策しました。ブナの葉は光を通すので、茂っていても森の中はとても明るく、すがすがしい森です。下草も多く茂っています。見上げると、絵はがきのような景色が現実のものとしてみえます。
 案内してくださった元営林署勤務の工藤さんによれば、人がはいると山は荒れないのだそうです。日本のような温暖湿潤な気候では、放っておくと潅木やつるが茂って森は暗くなり、光を必要とする植物は育たなくなってしまいます。そしてやぶのようになって、人は森からさらに遠ざかってしまうのです。工藤さんによれば、人が入ることで森の中の林相はだいぶ変わるそうです。
 ブナの森は、地面がふかふかしていて、とてもいい感触です。これは、地面に約10センチもの腐葉土が堆積しているため。ほじくって見てみると、下に行くにつれて葉っぱが分解されて葉脈だけになり、次第に形がなくなって土に近くなる様子がわかりました。分解役の微生物、白い菌がみえました。最近、白神山地内で取れた酵母を「白神酵母」と名づけて、その酵母でパンを焼く活動が盛んです。
 途中、杉とブナが混じっているところがありました。ここは戦後の拡大造林の時代にブナを伐採して杉を植林したものの、あまり手入れをせず放置しているうちに、ブナの実生のほうが育ち、優勢になった森です。残った杉も、年数の割には細く、この土地の条件は、やはりブナにあっているようでした。
 コースの終点につくと、木づくりの山小屋がありました。これは、二ツ井町が地元の秋田杉の並材で建てたものです。外も中も、天井も壁も床も、木だけでできています。一見普通のログハウスですが、実は木造軸組み工法でつくられており、構造が露出しているので軸組みの様子がわかります。階段もクサビで締めてありました。日本の木の家にこめられている奥深い匠の知恵のようなものが感じられて感動的でした。しかし、このような日本の伝統的な工法で建築できる大工は、減っているということでした。

 
 
まちに期待していたこと
 
 
 二ツ井町では今後さらに、森林資源を軸とした、自然と共生する地域資源循環型のまちづくりを進めようとしています。商工会は、広く住民に参加してもらう「まちづくり塾」を開始し、まずは、木材や自然の産物を持続的・循環的に利用してきた里の暮しを、地元学の手法で学ぶことから始めようとしています。行政も、昨年策定した地域新エネルギービジョンの中で、木質バイオマスの利用(木質廃棄物を利用した木質ペレットの製造、暖房・ガス発電への利用、木灰の農地への還元)を計画しています。また二ツ井町は、来年の環境自治体会議の会場にもなっています。
 木の成長の速度とそぐわなかった、日本の高度経済成長。そのひずみは、二ツ井町に限らず日本の多くの農山村にしわ寄せされたと思います。しかし、それを嘆いていては何も始まりません。今、地元にある資源と、長い歴史の中で培われてきた知恵や人間の暮しのつつましさを見なおし、それを今後にうまくいかしていくために、思いを共にして動きを始めることが必要ではないでしょうか。

(以上、2001年の時点の印象)

 
 
 
 

 2001年以降、町営住宅、種梅ふるさとの家などが次々に建てられ現在に至っています。里地ネットワークと二ツ井町、モクネットとの関わりは、上記の他、モクネットの里地探検隊や、環境自治体会議でのワークショップなどです。また、本年、雑木林の整備を核とする里地里山の保全「窓山プロジェクト」を計画中です。
 スギダラの皆さんと二ツ井町でお会いするのを楽しみにしています。
今後ともよろしくお願いします。

 
 

 
 

 
 
●<たけだ じゅんいち> 
里地ネットワーク http://satochi.net/
http://www.ruralnet.or.jp/ouen/meibo/081.html
 
 
 
   
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