というわけで、日本の山、特に本州以南の山の本来の姿というのはたぶん、赤や黄色や緑がほどよく入り交じった柔らかい姿だったのではないかと思うのです。そこに、時代ごとに人間が生活に便利な木を植えていった、と。そう考えてみれば責任重大じゃありませんか。杉花粉がどーのこーのと文句を言う前に、十分育った杉の木をどんどん活用して山を元気にしていかなくちゃ。自分で蒔いた種は自分で刈る。人工の杉林というのは畑と同じだとつくづく思うのです。
スギダラ秋田ツアーで杉の枝打ちをしていた時、ふと顔を上げると、それまで鬱蒼と茂っていて全然わからなかったけれど、杉が畝に並ぶ野菜のように整然と植わっていることに気づきました。そして周囲には汗をかきながら黙々と「畑を耕す」仲間たち。こうやって日本全国の杉の「収穫」が進んでいけばいいなぁ。そして、その後に植える木については未来を見据えて真剣に考え(目先の損得だけじゃなくて)、徐々に日本中の山が需要と供給と環境のバランスのとれた健全な姿に戻っていってくれたら、と願うのです。
そうするには、日本人が山や海や田畑と密接に関わる暮らしに戻っていく必要があるし、とりあえずもっと身の回りの木に関心を持つことから始めないといけないし、自分の役割としてはそういうことを繰り返し言っていく必要があるんだろう……なんて、日溜まりの中でトロトロしながら考えたのでありました。そんなことしてるとあっという間に日が暮れちゃうんですよね。
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