連載
  私の原体験/第9回 「メケの話 」
文・イラスト/ 南雲勝志
   
 

 メケとは物心ついた頃から我が家にいた飼い猫の名です。三毛猫だったのがその理由で訛ってメケと呼んでいました。

 メケはやや大きめで頭が良く、牛や山羊などの他の家畜と違いどちらかというと人間側に近い動物でした。寝るときはいつも一緒、庭で遊んでいるときもいつも近くにいたような気がします。だから家の中も猫仕様になっていました。木の戸には丸い穴を開け、そこにヒラヒラの和紙を貼り、障子の場合は一枠を同じようにヒラヒラに切って猫の通り道にしていました。

 そもそも昔は猫を飼う理由はネズミ退治、もちろんドブネズミのようなものはいませんでしたが、穀物を荒らすネズミは放っておくと被害も大きかったのです。したがってネズミを捕らえた時には頭を撫でて良くやったと褒めてあげるわけですが、さすがに寝ている時に褒めて貰いたくて枕元に咥えて来られると辛いものがありました。

 飼い猫と言ってもまだ動物の本能も兼ね備えていたので、ニワトリもケージに手を突っ込んで殺したり、巣を作っている渡り鳥ツバメを食べてしまったりする事も時々ありました。そういうときは怒鳴って叩いて叱るのですが、後の祭りです。子供心に胸の痛む思いも何度かしたものです。

 そうは言いながらもこちらもひどいことも随分やりました。一番愉快だったのは屋根に登って下を見るとメケがいる時。屋根は高く10m以上はあったのですが、そこからメケの脇、1m位を狙って瓦のかけらを落とします。何も知らないメケは瓦が落ちた瞬間、ビックリして3m位その場飛びをするのです。その運動神経の高さと、何が起きたか分からず驚く様子が面白くゲラゲラ笑いながら繰り返したものです。

 
  屋根から瓦のかけらを投げる自分。
 

 動物は大概そうですが、親より子がかわいいもの。メケは雌猫で毎年子猫を産みました。母性本能があるから出産の時期が近づくと人間の前に現れなくなり、一週間くらい経つとどこからともなく子猫の「ミャー、ミャー」という鳴き声が聞こえてくる。すると「あ、産まれた!」と早速探しに行くのです。場所は大体決まっていて藁小屋か「おそら(多分大空)」と呼んだ茅葺きの屋根裏だったので、見つけるまではそんなに時間が掛かりませんでした。しかし、いつもはのんびりしているメケもこのときばかりは「フーッ、フーッ」と威嚇して近づけてくれません。それでもしつこく授乳の様子など観察していると、翌日は子猫の首を噛んで別の場所に移動したものでした。 もちろんまた見つけに行きますが。

 生まれた子猫は本当にかわいいものです。一度に3匹程度生まれました。いつもはメケを可愛がっていても子猫が産まれた後は子猫しか構いません。しかしそれも長くは続かないのです。生まれた猫は貰い手がいない限り捨てなければならないからです。豊かでもないので、猫は1匹しか飼わないことになっていたのです。最後は捨てなければいけない・・・それが分かっていてもかわいくて、かわいくてしようがありませんでした。

 しかし、2〜3週間ほど経つと「もういい加減に捨ててこい!」と親に言われます。「情が増すばかりで捨てられなくなるぞ。」 捨てる、それは子猫にとって死を意味します。捨て方はいつも同じでした。近くの大川(魚野川)に流しに行くのです。段ボールに小さな子猫と煮干しを三個ほど入れ、泣きながら川まで持って行くのですが、子猫も本能で状況を察知し、爪を立てカリカリと段ボールをひっかきます。 そして川に段ボールを流し、畔から「元気でなー、誰かに拾ってもらってなー 」と言いながら別れを告げます。子供が考えても生きる猫は殆どいないことは分かっていました。今であれば動物愛護団体から虐待と言われるかも知れません。

 トボトボと家に帰り、子供をさらわれ気の立っているメケを撫でながらなだめます。そしてまたメケといつもの関係が戻って行くのです。

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 猫の寿命がどのくらいかよく知りませんが、それから何年か経ち大学生になった年の事。半年ぶりに里帰りすると「ここ2ヶ月くらいメケが見えない。猫は人に死に際を親に見せないというけど本当だったね。」家族にそう言われ、ずっと一緒だったメケがついにいなくなったことを悲しみました。ところが2〜3日滞在して東京に帰る日、誰かが「メケがいた〜!」と叫び、急いで庭に行ってみるとヨロヨロよろけながらもメケがやってきたのです。 「多分縁の下にいたんだ、勝志の声が聞こえ出てきたんだよ。」その姿はお腹の皮がくっつきそうで、元気の時には想像も出来ないやせ細ったメケでした。「メケ〜!」そういって頭を撫でると小さく「みゃ〜」と鳴き、またヨロヨロと縁の下に戻っていきました。可哀想だけど寿命だから仕方がない。それでも最後の力を振り絞って逢いに来てくれたメケに心から感謝し、東京に戻りました。それ以来メケは二度と姿を現しませんでした。

 その翌年、茅葺きだった実家が火事になったのです。気が動転しました。小さい頃から一緒だったメケも家も無くなりました。今ならば命あるもの、形あるものいつかは無くなるものとも思えるようにもなりましたが、その時は何か自分の痕跡が何もかもなくなったように感じたのです。 今から30年ほど前の事です。

   
   
   
   
   
   
  ● <なぐも・かつし>  デザイナー
ナグモデザイン事務所代表。新潟県六日町生まれ。
家具や景観プロダクトを中心に活動。最近はひとやまちづくりを通したデザインに奮闘。
著書『デザイン図鑑+ナグモノガタリ』(ラトルズ)など。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部
facebook:https://www.facebook.com/katsushi.nagumo
エンジニアアーキテクト協会 会員
月刊杉web単行本『かみざき物語り』(共著):http://m-sugi.com/books/books_kamizaki.htm
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