特集 天草高浜フィールドワーク2013
  スギダラな人々探訪/第62回 「高浜ぶどう今昔物語」
文/ 千代田健一
  杉を愛してやまない人びとを、日本各地に訪ねます。どんな杉好きが待ち受けているでしょう。
 
  高浜フィールドワークは2度目の参加。九州人のくせにそれまで天草に来たのは1度だけ、それも天草五橋を渡っただけで、天草本島の奥深くにまで来たのは初めてのことだった。なので土地勘も無く、どんな町があるのかイメージすら無かった。旅行会社のパンフレットやポスターに掲載されている写真の中に教会の天主堂の写真を見る機会はあったので、やはり天草は天草四郎の島、キリシタンゆかりの地というイメージが強い。一応、同じ九州に住む人間として、島原の乱の長崎県島原と天草四郎の天草が海を隔てて離れていることは知っているが、他の地域に住む人の中には天草は長崎県にあると誤解している人も結構いると聞く。
   
  今の若い世代はどうかわからないが、ボクの世代だと天草と言えば、最初にイメージするのはやはり天草四郎なのではないだろうか?
  歴史の授業にも必ず出てくるし、日本人なら誰でも知ってる歴史的な人物だと思う。島原の乱は1637年、江戸時代初期に起きた最も大規模な内戦で徳川幕府が鎖国政策を推し進める決定的なきっかけとなった事件だ。 それくらい強烈な歴史を持っている天草だが、それ以外で全国的に有名なものと言えば、はっきり言って思い浮かばない。
   
  もちろん、海産物は豊富だし、中には全国有数の出荷量を誇る品目だってあるだろうが、どうもぱっと頭に浮かんで来ない。
  そんな中で、天草陶石は全国の8割程を産出している名実共に天草の誇るNo1資源だと思う。有田や伊万里などの銘品を生み出す足掛かりになったのも比較的近距離な天草に磁器に適した陶石があったからだし、後に食器、便器など磁器製品の大手メーカーが興って来たのも天草陶石があったればこそだ。その天草が誇る財産がここ高浜にある。
   
  しかしながら、原材料の産出というのは多くの産業を下支えする重要なものであるが、それだけでは換金価値が低いし、海外から安価な材料が入って来ると単純に値が下がって行く。これは杉を代表とする国産木材も同じことだ。
  最終的に人々の手に届くまでに何らかの手を加え、新たな価値へと変換して行かなければお金にならない。製品を作るというのが最も手っとり早い方法だが、年間千人単位で人口が減ってゆく天草において、新たな産業を興して行くのは絶望的に難しいと思う。
   
  では、その歴史に光を当て直し、高浜にまつわる物語として地域全体の新たな価値を見出して行くのはどうだろうか?
少なくとも今の高浜で取り組めるのはそういった元々あった町の特徴をひとつでもふたつでも取り戻し、今時だからこそ新しさを感じられる価値へと高めて行き、結果としてこれからの高浜ならではのものづくりやサービスづくりに結びつけて行くしか無いのではないかと思う。
   
  そのひとつになりうるのが高浜ぶどうだとボク自身は思っている。実は2年前、最初の高浜フィールドワークで高浜ぶどうのことを聞いた時には、既にぶどうづくりは進められていた。
  その時はまだ苗木を増やしている段階で、まとまった収穫が得られる規模では無かったようだが、それから2年、状況は随分進化していたように思う。高浜ぶどうの原木がある宮口さん宅は元より、見学させていただいた二宮さん宅は家の敷地全域がぶどう棚になっていてたくさん実を付けていたし、他にも数か所、栽培拠点が作られており、着実に成果が実を結んで来ていると実感した。
   
 
  振興会で用意している高浜ぶどう栽培拠点
 
  高浜ぶどうの原木がある宮口さん宅
 
  二宮さん宅ガレージ
   
   
  そもそも何でぶどうなのか?
  改めて解説しておくと、事の発端は明治時代の文豪グループによる「5足の靴」という紀行文の中に高浜ぶどうの記述があったからだ。
  「5足の靴」とは、与謝野鉄幹がその当時まだ学生だった太田正雄、北原白秋、平野万里、吉井勇の4人を引き連れて九州各地を旅した時の紀行文の呼称で、1907年(明治40年)『東京二六新聞』紙上に連載・発表されたものだ。この5人が天草を訪れた主目的はあこがれの宣教師パーテルさん(大江天主堂ルドヴィコ・ガルニエ神父)に会うためだったようで、その道中に高浜を通過することになる。
  8月21日新聞掲載の「大失敗」という紀行文の中に高浜ぶどうの記述がある。
   
  高浜の町は葡萄(ぶどう)で掩(おお)はれて居る、家毎に棚がある、棚なき家は家根に葡(は)はす、それを見て南の海の島らしい感じがした。
   
  5人はあこがれのパーテルさんのところまでまだまだ遠い、とパーテルさんへの想いを募らせているところで高浜が登場する。紀行文の全文は熊本国府高等学校のHPに掲載されているので、関心のある方は参照されたい。
  http://www.kumamotokokufu-h.ed.jp/kumamoto/bungaku/gosoku_g.html
   
  この記述からわかるのは町中がぶどうで覆われていると思えるくらいたくさんあったという事だ。何せ、家毎にぶどう棚があって、棚の無いところでも家根、つまり屋根にぶどうのつるがはっていると言うのだ。彼らにとってもとても印象的で鮮烈な情景だったのではないだろうか?
   
  この情景を復活させたい!高浜地区振興会の皆さんが地域を上げて取り組みたいと思ったのも頷ける。
  振興会ぶどう班の皆さんは、ぶどう自体の収穫を増やし、食用としての出荷、ワインなどの加工品の生産など、高浜の産業として成り立たせて行くという目標を持たれていると思う。
  それだけでなく、5足の靴の記述にあるような情景を新たに作り出すことができれば、高浜の名物になる。実にワクワクする夢のある話だ。
   
  ボク個人としてはこの紀行文に書いてあるような「南の島らしい感じ」を取り戻すことができれば、と憧れずにはいられない。なぜなら、ボクも九州育ちの九州人。子供の頃、毎夏を高浜と同じような島の町で過ごし、南の島の心地よい風情が思い出として体に染みついているからだ。海にもぐって海底の石をひっくり返せば、とこぶしが見つかる。民家のいたるところに山積みされたウニの殻から放たれる異臭、薪で沸かした五右衛門風呂の芳しい匂い、山に行けば強烈な土の匂い。そう、匂いが強烈なのだ。今は海に囲まれた島でも人々の生活はそれなりに近代化されているので、こういった匂いが無くなって来ている。もちろん、全く同じものを取り戻せるとは思っていないが、南の島ならではの情景、天草ならではの情景、高浜ならではの情景、ここにしか無い「匂い」をつくって行けたら、人も寄りついて来る。そんな気がしてならない。なぜならきれいな海やおいしい魚、海産物などは天草中にあるし、白鶴浜だけが素敵な海水浴場じゃないからだ。それだけでない突出した特徴と物語が必要だと思う。当の住民の皆さんもそんなことはとっくに承知で、高浜の特徴づくりに懸命なのだと思う。
   
  そういった地域活性化の活動の中で振興会による高浜ぶどうづくりは軌道に乗って来ていると言っていい。それをもっと加速したい。
  今年の高浜フィールドワークでボクは前回に引き続き、高浜ぶどうのチームに参加し、ぶどう棚を町中にはびこらせて行くための具体的アイデアを出し合い、模型で表現してみることにした。
  時間も大してあるわけでもなかったが、地元の木材加工事業者である森商事さんより材料を提供していただき、個々のメンバーがイメージしたぶどう棚をそれぞれに作ってみた。
   
  今回は韓国からクォン先生率いる韓国産業技術大学の学生メンバーが4人参加し、その内の2人アン・セミさん、キム・チョロクさんがぶどうチームに参加。コミュニケーション手段は互いに充分とは言えない英語のみ。それでもさすがにデザインを学ぶ学生だけあって、実に素直にスケッチ描いたり、模型の製作に励んでくれ、ぶどうチームの大きな戦力になってくれた。メンバーの皆さんも嬉しいやら楽しいやらだったのではないだろうか。
   
  今回の提案はぶどう棚を作る材料として地元の木材を使ったらどうか?というアイデアを具体化することだった。結果としてはそれぞれのメンバーがイメージしたものを立体的に理解するためのスタディに留まったが、現在までに振興会のぶどう班で作ってきたスチールのパイプで組んだものよりも景観としての情緒がつくりやすいこと、切ったり貼ったりの試行錯誤がやりやすい事は伝わったのではないかと思う。
   
  まあ、ぶどう棚いっぱいにぶどうのつるが広がってしまえば、下地が木であろうが、スチールや竹であろうがあまり関係無いのかも知れないが、せっかく地域にも木材があって、それを活用できるところまで加工できる森商事さんのような地元事業者もいる。
  そんなところでも地産地消の促進と連動して進めたいものだ。
   
  アイデアの中には車のガレージ兼用のぶどう棚というのがあり、既に二宮さん宅はそうなっていた。
ガレージの屋根でも何でも、個々の住民の家の敷地内に必ずぶどう棚を設けて行けたら・・・そしてその個々の家のぶどう棚同士を道路を超えて繋いで行ったら・・・きっといつかは高浜町内ブドウダラケになって行く。年を重ねる毎にどんどん増殖してる。そんな高浜の今と昔を綴った新しい物語ができることを願って止まない。
   
   
   
  アン・セミさんの高浜ぶどう栽培棚スケッチ   キム・チョロクさんの高浜ぶどう栽培棚スケッチ
 
  模型作り
 
  アン・セミさんによる発表
 
  熊本日日新聞にも掲載された
   
   
   
   
   
   
  ●<ちよだ・けんいち> インハウス・インテリアデザイナー
(株)内田洋行の関連デザイン会社であるパワープレイス(株) 所属。
日本全国スギダラケ倶楽部 本部広報宣伝部長
月刊杉web単行本『スギダラな人々探訪』: http://www.m-sugi.com/books/books_chiyo.htm
月刊杉web単行本『スギダラな人々探訪2』: http://www.m-sugi.com/books/books_chiyo2.htm
月刊杉web単行本『スギダラな人々探訪3』: http://www.m-sugi.com/books/books_chiyo3.htm
   
 
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