連載
  杉が日本を救う/第3回 「21世紀の日本を杉が救う?」
文/写真 高桑 進
   
 
 
  スギの来た道:日本人は杉に育てられた
   
  日本列島の氷河時代には、寒冷で乾燥した気候に支配されました。東北日本ではトウヒ、カラマツ、トドマツ等の亜寒帯性の針葉樹が優勢であり、西南日本では冷温帯性の落葉広葉樹林であったと考えられています。冷温帯性の落葉広葉樹でもブナではなくて、乾燥と寒さに強いミズナラやカシワ等やカバノキの仲間が卓越していたようです。
   
  この頃に、スギが日本海側の海岸沿いの温暖で湿潤な場所に細々と生き延びていた。その地域を逃避地と言いますが、花粉分析から温暖湿潤な気候を好むスギが氷河期には福井県の若狭地方に残存して、その後の温暖化にともない急速に分布域を拡大したことが知られています。この氷河期は約1万年前に終わり、その後温暖・湿潤化が進みスギは日本列島に広く拡大し始めました。特に多かったのは、本州の日本海側と東海地方で、年間の降水量が2000ミリ以上の地域です。現在でも、スギの天然分布域は年間降水量2000ミリ以上の地域とよく一致します。
   
  天然生のスギの生育地は日本海側(佐渡島の天然スギ、黒部市入善の沢スギ、立山スギ)に多く見られますが,縄文時代から弥生時代には太平洋側の静岡県にもスギが広く生育していたと考えられます。静岡県の弥生時代の遺跡である登呂遺跡では、大きなスギの立株が何本も発掘されているだけでなく、高床式の建物の柱や板材、梯子などの他、水田の畦には矢板や杭、田下駄にもスギが使われているからです。さらに、日常使用するスプーン、片口容器、丸鉢型容器などの食器までもスギから作り出されています。つまり、当時からスギは非常に身近な木であり、大量に利用できるものであったと考えられます。
   
  約6000年前(縄文前期)の低湿地にあった福井県三方町にある鳥浜貝塚遺跡では、長さが6m、幅63cmのスギを刳りぬいて作った丸木舟が出土し、大量のスギの割板材が見つかっています。富山県魚津市には埋没林と呼ばれる、海中より発見された約4000年前に生えていたスギの大木の株と根が見つかっていることから、日本海側にも広く巨大なスギの森林があったことがわかります。
   
  木材を伐採する道具として石器から鉄器に変わり、古墳時代には鋸が使われるようになり、木材の加工がスピードアップしました。飛鳥・奈良時代には、宮廷、仏教寺院などの巨大な木造建築が造営された始め、針葉樹の建材としてはスギよりも優れているヒノキが重用されました。事実、畿内地域には滋賀県の田ノ上山のようなヒノキ林が多かったことから、奈良の平城京から出土した柱材、角材、板材の70%以上がヒノキです。
   
  ヒノキ材が豊富にない地方でも律令制に基づき国分寺・国分尼寺の大県建築物が都に習い建てられましたが、本州の日本海側や東海地方はスギが大変豊富にあったので,スギがヒノキの代わりに巨大建築の主要材として使用されています。都との文通や木の荷札、祭祀具等にも、都ではヒノキが使われたのに対してスギが使われています。曲物、折敷、井戸枠、箸などもスギが使用されています。福井県の遺跡から出土した木材の中でスギの占める割合は70%以上、石川県では65%にもなることからスギが最も利用しやすい木材資源であったようです。ただし、佐賀県の吉野ケ里遺跡、宮城県の多賀城遺跡などではモミがその主要材であったようです。つまり、どの地域でも、一番身近で豊富な針葉樹を建築や生活用具の材料として利用していたことが分かります。
   
  縄文時代から古代にかけて大型の建築物を造ったため、天然林から木材の収奪が進み森林資源が不足してきました。それを補う目的で、成長が早く、良質の加工しやすい樹種としてスギが選ばれたと思われます。スギが我が国の木の文化を支えてきたのです。 
   
  その後,中世になり、大規模な城郭や寺院建設による森林の略奪期がありました。近世では、人口が当時世界一でありながらエコな生活が営まれていた江戸では木造家屋は頻発した火事で焼けていました。したがって、住宅の再建に必要な大量の木材が各地の造林地から供給されていた。そのため成長が早いスギが最も適した建材であったわけです。
江戸時代の人口は約3000万人程度と推定されていますが、明治時代・大正・昭和と経過して人口は1億2千万人にまで増加しました。
   
   
   
  スギの未来:持続可能な発展を約束する資源です
   
  第2次世界大戦後に戦地から帰ってきた国民の住宅を短期間に建設する目的から、木材の輸入関税をゼロにしたため、大量の外材が輸入されました。その一方、1950年代から行われた拡大造林で産み出された1000万ヘクタールものスギ人工林は間伐などの適切な森林管理を放棄したために、いまや災害や花粉症を引き起こす張本人として悪者扱いされるようになっています。
   
  ところが、森林が急激に減少している世界から見ると、1000万ヘクタールという巨大な人工林を作り上げた我が国は賞賛に値する森林大国であるといえます。50年前から現在まで、人工林はもとより天然林も面積、材積とも増加している事を知らない人が多いのです。この優れた杉材を、将来はプレカットして木材不足に悩むアジアの近隣諸国に輸出することも出来ると思います。
   
  我が国には50〜60年経過した伐採適期のスギ林があるので、スギを様々な目的に利活用する事です。これから、成熟した杉人工林を伐採し国産材での木造住宅の建設などに活用する事はもちろん、バイオマス資源として利用したり、安全で安心な国産割り箸の製造に有効に活用することが出来ます。
   
  あまり気づいている方は少ないようですが、杉を製炭することで二酸化炭素の削減が可能となり、排出権取引に活用する事が出来ます。固体である木材を燃焼すれば二酸化炭素となり大気中に戻ります。これはもともと大気中にあった二酸化炭素が光合成で木材となり、それを元に戻すのでカーボンニュートルといわれ、二酸化炭素の増加にはなりません。
   
  現在の地球環境の温暖化の一因は、二酸化炭素の増加であるといわれています。その二酸化炭素の増加は、化石燃料である石油、石炭、天然ガスなどを燃焼することが原因です。原子力発電自身は二酸化炭素を排出しないといわれますが、原料であるウランを採掘し精製するために大量の二酸化炭素が排出されています。
   
  バイオマス資源を炭焼きをすることで炭(バイオ炭)を作ると、炭素の約半分が炭として残りますので二酸化炭素の排出を半減することが出来ます。さらに、炭にすることで、土壌改良、水質浄化、悪臭除去、調湿、電磁波防護等に加えて、炭アクセサリーを作る事も出来ます。この炭アクセサリーは数年前から売れているようです。このような炭の利活用は、石油、石炭、天然ガス等では出来ないことです。
   
  また、亀岡地域では、数年前から竹炭を土壌に投入して野菜を育て、それを「クールベジ」と名づけて販売しています。これは炭素貯留といいます。つまり、炭を土壌に入れることで土壌改良をするだけでなく炭素の排出を半減出来る(炭素貯留)ということから二酸化炭素の削減をできるという実験です。このようにすると、二酸化炭素の排出権取引に利用する事が出来ます。間伐材から作られた割り箸に二酸化炭素の排出権(カーボンクレジット)をつけたものが、国会議員会館の地下食堂ですでに利用されています。
   
  このように杉は木材生産に利用するだけではなく、製炭することで多目的に活用することが可能となる資源です。450万ヘクタールもの世界に冠たる杉人工林は、21世紀の持続可能な発展を約束する貴重なバイオマス資源であることがわかります。
杉がこれからの日本を救う救世主であることがお分かりですか。
   
   
 
   
   
  おまけ:炭焼きの活動紹介
   
  龍谷大学の里山学研究プロジェクトに参加していた2008年。使用済みの回収した割り箸数万本を炭にしようと考えていた所、インターネットで岡山農業総合研究所が特許を取った簡易軽量炭化炉があることを知りました。この装置は、今までの炭化装置とは決定的な違いがあります。それは、誰でもどこでも簡単に炭化をする事が可能であるという点です。軽量で使用しない時には折り畳んでおける点も素晴らしい。直ぐに研究費で購入して試験しました。ところが、最初から開発されたばかりの「簡単スミヤケールL」という大型の装置を使ったので、色々工夫をしても焼きむらができて全体がなかなかうまく炭に出来ない事が分かりました。そこで2年目からは、小型の「簡単スミヤケールW」で炭化実験をしたところ、すべてうまく行きました。
   
  3年前から「炭焼きガールになりませんか?」と授業で声をかけると、直ぐに数名の女子大生が応募してきました。彼女達と毎年12月から3月頃まで、龍谷大学の森保全の会メンバーとも協力して炭焼きしました。熱心な学生とは一昨年は真夏の8月にも炭焼きしました!
   
  今までに、使用済みの杉の割り箸、ナラ枯れのコナラ、北山杉、竹、雑木から炭を作りました。朝9時から焼き始め午後3時過ぎには(約6時間でOK)煙が白色から青色に変化しますので、午後4時過ぎには焚き口を閉じて装置全体を密閉します。翌日の朝には、写真のような真っ黒な炭が出来上がります。装置を明ける時は、いつも参加者が驚きの声を上げます。今では、すっかり炭焼きにはまりました。
   
  毎年女子大生達と一緒に炭焼きを楽しんでいる大学教授はそうはいないでしょうね(笑)。
皆さんも炭焼きしませんか?
   
   
  北山杉の炭。2012年2月21日、簡単炭ヤケールを使い龍谷大学キャンパスで焼いたもの。   杉の割り箸、らんちゅうの炭化したもの。素晴らしい曲線。
   
  簡単スミヤケール装置(底がないステンレスの箱)で炭焼き中。火が燃えている所が焚き口。後ろの白い煙が出ている所が煙突。龍谷大学キャンパス敷地内にて。   炭焼きガールを育ててます。2012年12月のクリスマス炭焼き活動。
   
   
  購入したい方のために。
 
商品名 簡易軽量炭化炉「簡単スミヤケールW」
サイズ 幅770×奥539×高490 (mm)
価格 29,900円
解説サイト 岡山県のHPにある、簡単スミヤケール装置の開発をした農業総合研究所の解説サイト。http://www.pref.okayama.jp/page/detail-54432.html
販売元 実際に販売をしている株式会社ファインテクノのHPです。
http://finetakeda.co.jp/modules/sumiyakeru/index.php?content_id=4
 
   
   
   
   
   
  ●<たかくわ・すすむ> 京都女子大学名誉教授
31年勤めた京都女子大学を2013年3月に退職し、4月から同大学で非常勤してます。9月から同志社女子大学、大阪大谷大学でも非常勤の予定。たった一人の妻と同じ家で生活してます(笑)。
1948年富山高岡市生まれ。名古屋大学大学院博士課程修了し、理学博士号を取得。米国ミズーリ州立大学でポストドクを2年やり、京都女子大に勤務。全てのいのちを大切にする「生命環境教育」を、京都市左京区大原にある25ヘクタールの自然林「京女の森」で、1990年から実践中。専門は環境教育、微生物学。フェイスブックとLINEしてますよ。現在、杉文化研究所所長。
著書:「京都北山 京女の森」ナカニシヤ出版。
趣味:フロシキと手ぬぐいの収集。渓流釣り、自然観察等。
   
 
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