特集 東北復興木づかいプロジェクト「タコマツの木づな」
  スギダラな一生/第57笑 「タコマツの物語」
文/ 若杉浩一
   
 
 
  2011年3月11日。僕は、栃木県鹿沼にいた。鹿沼商工会議所のメンバーと工場にいた。暫くして、僕たちは、津波が押し寄せ沿岸が波にさらわれて行くのをテレビで呆然と見ていた。僕はまず、奥羽木工所のことが頭に過った。何故なら仙台北港のすぐそばで、海のすぐ近くの工場だったからだ。しかし携帯は一切通じず、何も通信の手段が無い、翌日、僕らも乗り継ぎ乗り継ぎでようやく都内まで帰ることが出来たくらいだった。暫くして様々な状況を知ることが出来るようになり、奥羽木工所の工場壊滅のこと、そして惨状、幸いにも社員は無事だったことを聞いた。いつも元気な芳賀専務だが、電話していいものやらと躊躇していた。あるとき芳賀専務から電話があった。
被災木のこと、そして、それを使ってパーチクルボードを作って家具を製作していることを聞いた。
ほとんど同じくして、林野庁の高木さんが被災木を、何とか活用したいという話を聞いたのだった。何かの偶然が重なった。
僕たちだけでは、何ともならないが、関わりのあるメンバーが集まれば何かが出来るかのではないかと思った。
そして、差して時間もかからず、このチームが生まれた。
   
  僕たちは、まずは現状を知るために、現地へ出かけた。震災から1年が経っていたにもかかわらず、悲惨な状況だった。美しかった海岸は、防風林のほとんどが、なぎ倒され、未だにガレキの山、いや山だらけ。広大な田園は塩害でまるで広大な湿地帯のように放置されている。市内は晴れているのだが、海岸近くの田園は湿度が高く、強い風と海との温度差で、霧で煙っている、よけいに物悲しい風景だった。
全く人気の無い、モヤがかった風景に、倒壊した住宅や施設、そしてガレキの山。行っても、行ってもこの風景が続く。
全放置された生活の後から、かつてあった、楽しい風景が思い浮かぶ。
何も出来ない自分がやるせない。
被災木を使って何かを作ることだけでいいのか?
そんなことなのだろうか?
そんな簡単なことでいいのだろうか?
被災地を見ながら、製材工場やチップ工場に向かった。山に向かう程、美しい風景と、目が痛い程の新緑の色。ここには、かつて豊かな物語があった。希望があった。何とかその希望や物語を再生させたい。そう思った。
   
  被災木はクロマツを始め、様々な素材があった。杉、檜、桜、楢等。多種な素材や大きさを考えると、径も180ミリ以下ということ、加工が複雑に出来ないこと、節や樹種の個性もあるということ。色々なデザインを考えたが、余った材料も加工して製品にすることを考えると統一した何かが必要だった。そして何より、この製品を通じて地域の風景や希望をもう一度取り戻すという運動を伝えたかった。それぞれの地域の事情を伝えたかった。
だから、美しい家具より、何か家具というモノが、物語を語るキャラクターであって欲しいということを考えた。
以前にデザインしてお蔵入りしていた、タコ杉、イカ杉(スツール)を思い出した。
そうだ!!「ガレキの山から、もう一度、僕たちの生活を支えるために!!」
「タコマツがやってきた!!」
「そして、そしてタコマツはタコマツの思いはやがて、地域の産業を結び、再生のシンボルになる!!」なんて一人で盛り上がった。
「WEBで物語を伝えよう!!キャラクターをデザインしよう!!」
「手ぬぐい、Tシャツ・・・」皆がノッてきた。
   
  もうこうなれば、動き出す。東京ウチダの海老ちゃん、篠宮君、片岡君。普段とは全く違うキャラが出て来る。すんげ〜え力を持っているのだ。
そして、ネオコミュニケーションチームの鳥井さん、多田さん。
内田洋行チーム、齊藤、松井、高山。我がチームの奥ちゃん。
無理矢理誘われ、迷惑をかけた、サンテック細井社長。
そして、奥羽木工芳賀専務。
皆、それぞれの配役を感じ、演じ、動いて行った。仕事を乗り越え、何か使命感を持っていた。自分ごとだった。だから、芳賀さんの思い、僕たちの思いそして、関わった、応援してくれている人の思いが詰まっている。一人だって大切な仲間なのだ。
色々な地域の方から、使って欲しいという要請を受ける。そしてその土地の事を知る、まだまだ、途方も無いくらいの木材があるし、被災しなくとも風評被害を受けている林業の状況もある。そんなことを知りながら、伝えながら、作りながら、そして繋がりながら、少しづつ、広げて行きたいと思う。
   
  先日から、内田洋行の社長、柏原さんがタコマツのピンバッジをスーツに着け下さっている。
「若杉〜〜! 会社でさ、皆でやるのも大切だが、まずは個人として応援するよ。俺がさ〜〜これ付けているとさ〜、皆が聞いてくるんだよ。何ですか?って。その度に宣伝している。」
「うちの社員がさ〜〜こういうことに気がつく、そして動く、そういう会社にしたいよな〜〜」
有り難いことである。大きな動きも大切だが、小さい動きが重なり、そしてこのことを話し、伝え、気付いて、動くこと。
そしてそれが、豊かな未来につながって行く、事始めの様な気がするのである。
お金を使って、大きなものを動かして、組織を使って、メディアを使ってということも大切だ。
しかし、忘れず、地道に、出来ることをやり続けることの価値や繋がりが、もっと、もっと大切な様な気がするのである。
まだまだやり残したことが沢山あるし、作りたいものも沢山ある。
未だ始まったばかりである。
これからも、この活動を通じて、沢山の人や素晴らしい出来事に出会うことを楽しみにしながら次の策を練っている。
そしてやがて、地域と企業と社会の繋がりを皆が感じて、繋がって、見えて来る、素敵な未来がくることを望んでいる。
それから、それから、このプロジェクトのムービーに、僕が大好きなジャズピアニストの、ミッチェル・フォアマンさんが、「A DEEPER DREAM」という曲を使うことに協力してくれた。なんということだ!!素晴らしくいい曲なのだ!! 是非皆さん見て下さい。
   
  素晴らしい仲間に感謝の気持ちを込めて。
   
 
  タコマツプロジェクトのムービーで、楽曲使用に快く承諾してくれたジャズピアニスト、ミッチェル・フォアマンさん。
   
   
 
   
  タコマツプロジェクトのムービーはウェブサイトトップページの左下「ムービーを見る」よりご覧いただけます。
  ウェブサイト:http://www.takomatsu.jp/
   
   
   
   
 
●<わかすぎ・こういち> インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 テクニカルデザインセンターに所属するが、 企業の枠やジャンルの枠にこだわらない活動を行う。
日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長
『スギダラ家奮闘記』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_waka.htm
『スギダラな一生』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_waka2.htm
 
   
 
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