連載
  続・つれづれ杉話 (隔月刊) 第23回 「つくる本能、繕う本能」
文/写真 長町美和子
  杉について、モノづくりについて、デザインについて、日常の中で感じたモロモロを語るエッセイ。 
 
今月の一枚
  ※話の内容に関係なく適当な写真をアップするという身勝手なコーナーです。
  日だまりで繕いもの
  冬の窓辺の日だまりでのんびりと繕いもの。
ちょっと席を立ったら、その隙にザクロがちゃっかり座っていた。
   
 
   
  つくる本能、繕う本能
   
   太平洋戦争の時、アメリカの強制収容所に送り込まれた日本人(日系アメリカ人)たちがつくった手工芸品をコツコツと集め、「The Art of GAMAN(我慢のアート)」と名付けて展覧会を開いた女性がいる。たしか、自身も日系3世で、家の整理をしている最中におばあちゃんのつくったブローチを見つけたのが展覧会を企画するきっかけだった、と記憶している。砂漠や荒野の中に建てられたバラックに押し込められて、番号をつけられ、名前さえも剥奪されて動物のように扱われた日系人が、日々の暮らしの中で人としての尊厳を忘れずに芸術的な作品をつくり続けたことに対して、その人はいたく感動し、「我慢のアート」と呼んだのだろう。
   
   荒れた土の中から掘り出した(昔の地層の)貝殻を花びらに見立て、歯ブラシをほぐして雄しべをつくり、木の枝の曲がりを生かして鳥を彫刻し……、と精魂込めた作品が次々と紹介されるのをテレビで見ていて、ふと思ったのは、いや、これは我慢の美と呼ぶのはちょっと違うんじゃないかな、ということ。
   
   美しいもの、素敵なもの、使いやすいモノを身近にあるもので「つくる」のは、当時の日本人にとってごく自然なことだったのではないかと思うのだ。それは、モノがないからしょうがなく、とか、つらさに負けずにコミュニティを明るくするために、というような(アメリカ人が考えそうなことだが)意味合いでつくられたものではなくて、当たり前の日常の暮らしの中に「つくる」という行為があったのだと思う。
   
   もしかしたら、味気ない収容所の日々の手慰みであったかもしれないし、遊興が制限された中で気を紛らわすための作業だったかもしれない。でも、それは決して「我慢」の産物ではなかったはずだ。どちらかというと、例えば雪に埋もれて農作業ができない冬の夜なべ仕事でわら細工をつくるとか、ぼろ布を生かして雑巾を縫う時に少しでも楽しく、美しく、丈夫にしようと刺し子の模様を考えるとか、そういう創作活動に近かったのではないか。
   
   時間があれば何かしたい、そこに素材があれば何かモノをつくる、工夫してよいものにする。それは人間の、特に昔の日本人の持っていた本能なのだ。
   
   「つくる」が日常にあれば、そのモノのどこが傷みやすいか、どう気をつけて使うべきか、どこをどう直したらいいかが自ずとわかる。「つくる」と「繕う」はセットなのである。大事に長持ちさせるために繕うし、自分がつくったモノでなくでも、修繕作業をする中から改善点が見つかる。次に自分がつくる時にはこうしよう!というアイデアが湧く。そしてまた一つクオリティの高いモノが生まれる。
   
   何年か前、雑誌『住む。』で昭和の掃除というか、昔の日本人の掃除の作法ついて書いたことがある。暮らしの道具の研究家である小泉和子さんに、彼女が子供時代に実際に行っていた掃除の仕方を教わったり、作家、幸田露伴が娘に施した掃除教育についての記述や、戦中・戦後の『主婦の友』の記事などを参考にしたりしたのだが、書き進めるうちに、昔の人の掃除というのは汚れを落とすためにあるのではなく、常に気持ちよく過ごすため、モノを長く大事に使うための「手入れ」としての掃除だったんだ、ということに気づかされて目からウロコの思いだった。
   
   今の雑誌のお掃除特集は、いかに簡単に合理的に汚れを落とすか、というノウハウに主点が置かれる。「重曹の上手な使い方」とか「70℃くらいの熱湯につけてからこするとすぐに落ちます」とか。でも、気持ちよく&長く大事に使うための掃除というのは、汚れをつけないための手入れをどう工夫するべきか、という話がメインになる。家の内部を清浄に保つというのは、家自体をていねいに長く使い、子や孫の代にまで残す「修繕」の一環なのだった。
   
   先の笹子トンネルの天井崩落事故で思ったのは、これをつくった人は壊れることを予想できていただろうか、ということ。予想はしていたけれど、メンテナンスの予算がなかったからやらなかったのか、「壊れるわけはない」と信じていたのか。人間がつくるものに「万全」というのはあり得ないし、素材自体の寿命もある。設計していれば、「■年くらいは大丈夫だけど、ここに無理がかかるだろうな」とか、施工する側も「このつくりだとこの先ちょっと不安だな」とか、何かしら思うところはあったはずだ。でも、自分は設計担当であって保全は別会社の仕事だから、とか、オレは指示どおりにつくっただけで強度についての責任はないからね、とか思わなかったか?
   
   「つくる」が日常にもっと身近にあった時代(それも人の力で身近にある素材を加工していた時代)だったら、橋にしても堤防にしても、「これはそろそろ手入れをしないとイカンだろうねぇ」と、そのモノに関わる人すべてが感づいたことだろう。設計した人や施工した人だけでなく、その地域で使っている人たちも。
   
   トンネルの天井の手入れ不足は、崩落事故が起こって初めて白昼にさらされた。つくった人も、保全を担当する人も、使っている人も、何も思わずに放置し続けていた、ということだ。その「何も思わずに」というところに、つくる本能を忘れた現代人の怖さを感じる。うすうす気づいていたけど見て見ぬふりをする、というのならまだしも。
   
   
   
   
  ●<ながまち・みわこ> ライター
1965年横浜生まれ。ムサ美の造形学部でインテリアデザインを専攻。
雑誌編集者を経て97年にライターとして独立。
建築、デザイン、 暮らしの垣根を越えて執筆活動を展開中。
特に日本の風土や暮らしが育んだモノやかたちに興味あり。
著書に 『鯨尺の法則』 『欲しかったモノ』 『天の虫 天の糸』(いずれもラトルズ刊)がある。
『つれづれ杉話』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_komachi.htm
『新・つれづれ杉話』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_komachi2.htm
恥ずかしながら、ブログをはじめてみました。http://tarazou-zakuro.seesaa.net/
   
 
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