連載
  続・つれづれ杉話 (隔月刊) 第22回 「銘木には銘木なりの苦労が」
文/写真 長町美和子
  杉について、モノづくりについて、デザインについて、日常の中で感じたモロモロを語るエッセイ。 
 
今月の一枚
  ※話の内容に関係なく適当な写真をアップするという身勝手なコーナーです。
  北山杉林
  北山杉の林。ぎっしり植えて枝葉を落として水分の蒸散量を抑え(水を吸い上げる力を弱くして)成長をコントロールしながら、細くまっすぐ育てるのだそうです。
後ろに見えるのはヒノキ。「山の尾根の付近にはヒノキやマツを植え、谷あいに杉を植える」と組合の方。急斜面なので、谷の方が土が肥えているとか。
   
 
   
  銘木には銘木なりの苦労が
   
   実に久しぶりの京都出張。昔は関西の仕事でも必ず1泊できたのに、世知辛い世の中になって1件の取材ではもう日帰りが当たり前になってしまった。悲しいことである。やっぱり、その土地のモノづくりを体感するには、食べて飲んで丸一日浸らないとねぇ。というわけで、むりやり自主的に「泊」して、翌日の弘法さんの市も堪能したのだった(これが目当てだったんだけどね)。
   
   本来のお仕事は、北山杉の磨き丸太の取材(ここでは本筋からこぼれた話を書きます)。仁和寺あたりから北西に向かってどんどん山を入って行くと、頭の方だけ刈り残したマッチ棒みたいな細い細い杉の林が左右に見えてくる。いや、ほんとに細い! 細くまっすぐ育てるために、ぎゅうぎゅうの満員電車並みにぎっしり植えるそうな。その様子は、地面から生えているというよりも、天から降ってきた矢が地面にぷすぷす突き刺さってるって感じに近い。だってふつうは根元が太くて、上に向かって伸びているという実感があるけれど、北山杉は菜箸のように上から下までほとんど同じ太さなんですもの。そしてさらに、むき出しの幹には枝落としの痕跡もほとんど見つからない。若いうちからたんねんに枝落としをするので、30〜40年も経つと根元の方はすっかり節を内側に巻き込んで、表面がきれいさっぱりつるつるの美しい丸太ができあがるのだという。
   
   さすがのブランド品。ものすごく手がかかっています。きれいに枝打ちされたマッチ棒の群れの中に、ときどきチョロッと枝が残っている木を発見して「あれ、下の方に1本枝が出てますねぇ」などと指さすと、協同組合の人は身をよじらして「あぁぁぁ!」と悔しがる。「ああいうのは恥ずかしい仕事です。ウチだったらただじゃ済みません」。例えば、ハウスメーカーに納品する化粧丸太の場合、太さに一定の規定があるため、1本の木から切り出す場所が決まってしまう。ちょうどいい太さで3メートルとれるところに枝が残っていたりすると、もうそれは「節アリ」として売り物にならないわけだ。
   
   その昔、千利休が佗茶を提唱し、ありのままの草木を生かした素朴な茶室の良さを広めた時代、北山丸太は数寄屋建築の建材としてモテモテだった。協同組合の人の話によれば、人工の絞り丸太ができる以前(昭和30年代中頃まで)は、凹凸が素晴らしい天然物の絞り丸太の逸品を運良く見つけると、それ1本だけで500万円の値がついたという。高度経済成長の頃には、人工絞り丸太が量産できるようになって(それでも1本ずつ手作業でつくるんだけど)、庶民が建てるふつうの住宅の建材としても、飛ぶように売れた。
   
   でもそれは、「床の間がある座敷のある家」が一般的だった時代の話。今はどうよ。床の間はおろか、和室がない家だって多い。畳が敷いてある部屋があったとしても、それは床材として畳を採用しているだけのことで、他のしつらいは洋間と同じだったりするから、そこに突如、磨き丸太や絞り丸太が登場するわけにはいかず、北山丸太は今、困った事態に陥っているのである。
   
   垂木をつくる「台杉仕立て」(DAISUGIではありません)なんて、直径5センチほどの丸太を栽培するためのもので、室町時代から600年余りも続いてきた知恵と技の結集なのだけど、今や庭木としての需要がメインで、「あとは和食の店の内装や、住宅の階段の手すりに使われることが多いですね」という悲しさだ。階段の手すりとは!
   
   もともと、山が急峻で土の栄養も少なく、霧が多くて日当たりも悪くて、なかなか太い木が育たない場所だから、という理由で始められた細い丸太づくり。垂木用の丸太などは、川も急で細く、運搬もままならないため、担いで京都の町まで運ぶのに最適だったという。なんと、丸太を売りに行くのは女の仕事で、帰りに食料などを買って帰った「女の道(めのみち)」と呼ばれる山道も残っている。
   
   そうやって、北山丸太は京の文化だ、伝統の技だ、と説明を受けると大きくうなずくことばかりなのだけど、銘木としての地位があまりにも偉大すぎると、新しく自由な使い道がなかなか見つからないというのが難しいところだ。飫肥杉デザインプロジェクトから生まれた「SUGIFT」みたいに、積層して固まりをつくってトロフィーをつくるとか、角材をくり抜いて一升瓶を入れるとか(笑)、そういうスギダラ的な柔らかな発想を寄せ付けない重々しさ、神々しさが、今後の道を切り拓く邪魔をしているような気もする。
   
   ……てな話を、翌日立ち寄った骨董やのおじさんにしたら、「新築の分譲マンションのど真ん中にボーンと磨き丸太の柱立てればよろしいわ。ねぇ、京都らしさを売り物にして。洋間でもきっと似合うでしょ」と明るい笑顔。そうですよねぇ! プレーンな磨き丸太だったらソファの脇にちょっと立っててもいいかもしれない。気持ちの拠り所になるし、場を分ける装置にもなるよね。位置を決めるのが難しいけど、動かせるようにできないかしらね。床と天井に固定金具を数カ所に用意するとかねぇ。……お茶をいただきながらおしゃべりは続いたのでした。
   
   
   
   
  ●<ながまち・みわこ> ライター
1965年横浜生まれ。ムサ美の造形学部でインテリアデザインを専攻。
雑誌編集者を経て97年にライターとして独立。
建築、デザイン、 暮らしの垣根を越えて執筆活動を展開中。
特に日本の風土や暮らしが育んだモノやかたちに興味あり。
著書に 『鯨尺の法則』 『欲しかったモノ』 『天の虫 天の糸』(いずれもラトルズ刊)がある。
『つれづれ杉話』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_komachi.htm
『新・つれづれ杉話』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_komachi2.htm
恥ずかしながら、ブログをはじめてみました。http://tarazou-zakuro.seesaa.net/
   
 
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