連載
  スギと文学/その41 『土』 長塚節 明治43年
文/ 石田紀佳
   
 
   まるで伏線のように物語のはじめに杉があらわれます。
   
  「外は闇である。隣の森の杉がぞっくりと冴えた空へ突っ込んでいる。お品の家は以前からこの森の為めに日がよほど南へ廻ってからでなければ庭へ光の射すことはなかった。お品の家族はどこまでも日陰者であった。それが後に成ってから方々に陸地測量部の三角測量台が建てられてその上に小さな旗がひらひらと閃くように成ってからその森が見通しに障るというので三四本だけ伐らせられた。杉の大木は西へ倒したのでずしんとそこらを恐ろしく撼がしてお品の庭へ横たわった。枝は挫けてその先が庭の土をさくった。それでも隣ではその木の始末をつける時にそこらへ散らばった小枝やその他の屑物はお品の家へ与えたので思い掛けない薪が出来たのと、も一つは幾らでも東が隙いたのとで、隣では自分の腕を斬られたようだと惜しんだにも拘らずお品の家では窃に悦んだのであった。それからというものはどんな姿にも日が朝から射すようになった。それでもさすがに森はあたりを威圧して夜になると殊に聳然として小さなお品の家は地べたへ蹂みつけられたように見えた。」
   
   去年の秋にはじめて読んだのですが、想像していた内容とまったく違い、自分の無知と、いったい一生のうちに、どのくらいの本が読めるのか、と愕然としました。味わいたいものは、本だけでないし、ああ死ぬまでの時間に、、、とこの作品と出会えたことの喜びよりも、おかしなことに焦る気持ちが出ました。
 この作品には夏目漱石の推薦文があるのですが、夏目さんは「土」を真剣には読んでなかったのでしょう。なんだか道徳教育のドキュメンタリーみたいにうけとっているところが、残念でなりませんでした。多忙でかつ病を得ていたら、この作品を読む胆力はなかったかもしれません。
 
   
   「土」の自然描写は中勘助以上の執拗さがあるかもしれません。人と自然をまるで対等にたんたんと描いているようです。  
   
  「こうしている間に春の彼岸が来て日南(ひなた)の垣根には耳菜草やその他の雑草が勢よく出だして桑畑の畝間には冬を越した薺(なずな)が線香のような薹(とう)を擡げて、その先に粉米(こごめ)に似た花を聚めた。そっけない杉の木までが何処から枝であるやら明瞭とは区別もつかぬ様な然も焼けたかと思うほど赤く成っている葉先にざらりと蕾がついてこっそりと咲いてしまった。淋しいうちにも春らしい空気が凡ての物を動かした。日はまだ南を低く渡りながら暖かい光を投げる。たまたま夜の雨がやんでふうわりと軟らかな空が蒼く割れてやや昇ったその暖かな日が斜めに射し掛けると、枯れた桑畑から、青い麦畑から、凡てが湿った布を日に翳したように凝った水蒸気が見渡す限り白くほかほかと立ち騰って低く一帯に地を掩うことがあった。」  
   
   杉がなぜ伏線なのか、ぜひ読んでみてください。  
   
 
  杉の練り香
   
   
   
  ●<いしだ・のりか> フリーランスキュレ−タ−
1965年京都生まれ、金沢にて小学2年時まで杉の校舎で杉の机と椅子に触れる。
「人と自然とものづくり」をキーワードに「手仕事」を執筆や展覧会企画などで紹介。
近著:「藍から青へ 自然の産物と手工芸」建築資料出版社
草虫暦:http://xusamusi.blog121.fc2.com/
『杉暦』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_nori.htm
『小さな杉暦』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_nori2.htm
ソトコト「plants and hands 草木と手仕事」は3/5日号が最終回。トリを飾るテーマは「杉」です。
   
 
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