短期連載
  領域を超えて 〜「みんなが使う駅」で木材を活用する〜 第6回(最終回)
文/写真 川西康之 
   
 
 
 
*領域を超えて 第1回はこちら
 
*領域を超えて 第2回はこちら
 
*領域を超えて 第3回はこちら
 
*領域を超えて 第4回はこちら
 
*領域を超えて 第5回はこちら
  6-1 来ゆう、新!中村駅
   
   2009年暮れ、中村駅リノベーションの建築工事が着工した。もちろん、鉄道駅としての機能は1日も休むことはできない。工事の財源は、国土交通省の補助金事業を活用しているため、年度内に設計と施工を終わらさなければならない。すべてが大急ぎのスケジュールだった。
   
   私は、中村駅の利用者に申し訳ない気持ちだった。私は設計者として、徹底して利用者の立場で考え、管理者である鉄道会社の様々な決まりごとを理解しているつもりだった。しかしながら、諸条件とは言え、設計から完成までの期間が短すぎる。日向市駅や高知駅、旭川駅、岩見沢駅などは、設計やデザインに関わる人々が非常に長い時間を掛けて、市民や利用者に説明責任を果たし、時には怒号が飛ぶ議論をして、コミュニケーションを重ねていた。
   
   中村駅リノベーションは、それらの駅とは比較にならないほど小さな規模だが、私たち設計や企画に関わった側の立場や意思を、毎日の利用者に対して明らかにする必要があった。そこで、私は下記のような手紙を書き上げ、A0サイズのポスターにして、工事中の仮囲いに掲示することにした。
   
   
 
  来ゆう、新!中村駅
 
  幡多地域の拠点として、四万十川や足摺岬などへの観光の玄関口として、中村駅は開業以来約四十年間、皆さんにご利用いただきました。
 
  幡多に初めての鉄道が開通したとき、中村駅は大変な賑わいで迎えていただきました。まるで、生まれたての赤ん坊を祝福していただけたかのように。
 
  それから四十年。人間で言うならば、いちばんの働き盛り。でもさすがにそろそろ、街の顔や玄関と言うには傷みが目立ってきました。
 
  今日、中村駅の周辺環境やお客様も変わられました。お客様の数は、開業当時に比べて半分以下。お子様や学生さんたちはずいぶんと減りました。自家用車での移動が当たり前になり、街も郊外へ広がりました。幡多地域での鉄道の役割は、変わりつつあるのかも知れません。
 
  でも世界では、二十一世紀は鉄道の世紀だと言われています。環境問題を重視するヨーロッパでは各国が競い合って、鉄道ビジネスを繰り広げています。自動車産業が破綻したアメリカでも、大統領主導のもと鉄道を重視する政策に転換を図っています。中国や東南アジア、南米でも、鉄道を中心にした交通体系の整備が計画されています。
 
  中村駅も、世界に負けてはいられません。
 
  だからこそ今、高知県西部の拠点たる中村駅は、皆さまひとりひとりのために、この街と地域の、未来のために生まれ変わります。あの頃の賑わいをもう一度、とは申しませんが、二十一世紀にふさわしい、幡多地域の身の丈に合った駅へ、遠方からのお客様が、うらやましがる駅へ、いつも人の顔が見える、安心できる駅へ。
 
  これからも、ずっと、中村駅はがんばります。どうぞよろしく。
   
   
   高知県の人々は、世界を見渡すことが大好きである。「小さな中村駅の知恵を、世界に向けて発信しましょう。」という私たちの問い掛けに対して、現場サイドは私が驚くほど理解していただけた。「世界へ向けて発信するローカル駅かえ?他にないねえ。えいねえ。」と言って頂ける。郷土への愛情と仲間意識が強い高知県人にとって「他にはない」ことは、彼らにとって大きな価値であった。中村駅リノベーションは、人々の高い意識に支えられて創られた。
   
   しかし一方で、JR高知駅や高知県立牧野植物園などを設計された建築家の内藤廣氏からは「高知県人は一見楽点的に見えるが、根底ではしっかり保守的だから、甘えるな。」という忠告も頂いていた。
   
 
   
  6-2 現場工事
   
   年末年始の混雑が一段落したころ、予め工場で制作されたヒノキの家具が駅構内の工事現場に搬入された。このとき、上述の手紙ポスターが貼られた仮囲いが撤去され、利用者の目に初めて、新しい中村駅が突然現れた。
   
   その瞬間、女子高生たちからは大きな黄色い歓声が上がった。ある子が私に「ここは駅をやめて、お店にするなが?」と聞いてきた。
   
   対照的に、年配の男性たちからは悲鳴のような声が上がった。最初に「好きにやってみい」と言ってくださったはずの鉄道本部長は「どうやって掃除をするなが!(怒)」と私に詰め寄ってくる。ヒノキをたっぷり使った空間の迫力を初めて実感されたのか、不安な表情だった。
   
   もちろん汚れや清掃への対応を考慮した塗装仕上げにしてあるのだが、彼らの不安をよく聞いてみると、デザインに文句があるのではなく、自らの責任や仕事量が増えるのではないか?という不安であった。
   
   工事が終盤を迎えた3ヶ月間、私は大学の授業がある木曜日だけ千葉へ戻り、それ以外はほぼ毎日、中村駅の工事現場に常駐していた。私が不在の時は、設計メンバーの栗田と柳とで交代して監理した。
   
   私たちは駅事務室の片隅に机を借りて、実施図面を描き、時刻表や運賃表などのグラフィックもデザインし、休みなく駅の内外を走り回っていた。施工してくださった佐竹建設の方々はもちろん、駅員の方々、行政の方々、見知らぬ利用者の方々ひとりひとりに暇を見付けては説明をし続けた。
   
   時には態度の悪い高校生を叱りつけたこともあった。「新しい駅を支えてくれ。大事にしてくれ。」と言うと、意外と彼らは聞き入れてくれた。そのうち、怒鳴りこんできた人たちも「綺麗になったねえ。」とニコニコしながら立ち寄ってくださるようになり、駅に関わる様々な人たちが本当に応援してくださるようになってきた。
   
 
   
 
   
 
   
  6-3 空間が人を変える
   
   建築工事自体は2010年2月末に完成し、3月のダイヤ改正に合わせてグラフィック・デザインをすべて揃え、3月20日には沿線市町村長、国土交通省や高知県の行政関係者臨席のもと、無事に開業式を迎えることができた。
   
   また、土佐くろしお鉄道の鉄道本部長直々の奨めもあり、建築やデザインの賞に応募させていただくことになった。2011年12月現在、国内外から11の受賞、雑誌や新聞への掲載、各地からの視察や取材も非常に多く頂いている。
   
   ある日、土佐くろしお鉄道の社長が地元のスーパーで買い物をしていたところ、見知らぬ女性が突然声を掛けてきて「テレビのニュース、見ました。中村駅がすごい賞を頂いたそうで、私も嬉しいながです。」と言われ、握手を求められたそうだ。
   
   完成後、10年来のお付き合いをさせて頂いている駅長からは「今まで、駅でお客様に声を掛けられると、苦情か質問だけでした。でも新しくなってからは、駅について褒められるんですわ。駅のゴミはハッキリ減りました。お客様のマナーも凄く良くなりました。空間が人を変えるんですね。」と言って頂けたとき、私は正直に嬉しかった。
   
 
   
 
   
  6-4 売り上げが伸びないデザイン
   
   先日、あるデザイナーの方に「売り上げが伸びない設計なんかダメだよ!」という厳しいお言葉を頂いた。確かに、中村駅リノベーションの完成後、駅の利用者が激増したわけではない。土佐くろしお鉄道、中村駅から直通運転しているJR四国とJR西日本の路線も乗客数は微減傾向にある。沿線の少子高齢化と過疎化、高速道路整備が進む一方で鉄道整備の財源は皆無であることなどが主な原因であり、国家レベルでの取り組みが重要になってくる。
   
   中村駅リノベーションは、地方ローカル線活性化のための特効薬ではない。動物の駅長のような華やかさがあるわけでもない。限られた予算と時間の中で、地方都市の中の鉄道駅が担うべき未来は何かを考え、戦略を練り、何とかカタチに仕上げられた最大の原因は、土佐という地域の人の力であった。
   
   さらに彼らを惹き付けられた原因は、地場の木材に対する尊敬の念だったのではないかと思う。中村駅で外国産の石材を使って同じデザインを採用しても、同じ結果は得られなかったであろう。私たちのデザイン戦略や設計は、それらを最大限に引き出す味付けに過ぎないと思う。だが、人→木材→デザイン→戦略は循環しており、一体でなければならないとも言える。
   
   「売り上げが伸びるデザインでなければならない」は、ある価値観の一方的な押し付けであることが多い。目先の利益だけを追求するモノづくりは過去のものであり、世界有数の課題先進国たる四国の高知県では、時代遅れの発想であり通用しない。杉やヒノキなど木という素材は、人・デザイン・戦略という大切なことを気付かせ、使い手〜受け手の双方向の共感を呼び、それぞれに想いや愛着を持って頂いたのではないか、と私は思う。
   
 
   
  6-5 ローカル/グローバル
   
   先日、The Great Indoors Award 2011の最終選考上位5者に中村駅リノベーションがノミネートされ、オランダのマーストリヒト市での最終講評会に招待された。
   
   最優秀は頂けなかったが、多国籍の審査員たちからは「中村駅のデザイン手法はシンプルながら、地方鉄道の駅空間に非常に大きな影響を与えた。」という講評を頂いた。私がオランダ在住時代に、土佐くろしお鉄道から中村駅リノベーションの依頼が舞い込み、オランダやフランス、デンマーク、日本を行き来しながら構想を練ったことを考えると、感慨深いものがあった。
   
   中村駅というローカルの背景や問題点は、地球上のどこかにも同じような街や地域が存在しているはずである。ローカルでの戦略や知恵を、グローバルで共有し、未来へつなげたい。もちろん、これは鉄道駅に限ったことではない。
   
   今現在、医療施設や教育に関わるプロジェクトを進めている。医療や教育も、問題の深さは少々異なるが、問題構造は似ている。又の機会に説明させていただければと思っている。
   
 

(終わり)

   
   
   
   
  ●<かわにし・やすゆき> 
建築家 nextstations 共同主宰。1976年奈良県生まれ。千葉大学大学院自然科学研究科デザイン科学博士前期課程修了、デンマーク王立芸術アカデミー建築学校招待生、オランダ・アムステルダムの建築事務所DRFTWD office勤務、文化庁芸術家海外派遣制度にてフランス国鉄交通拠点整備研究所 (SNCF-AREP)勤務などを経て、現職。
   
 
Copyright(C) 2005 GEKKAN SUGI all rights reserved