特集 天草・高浜フィールドワーク2011開催
  高浜フィールドワークの感想ぞくぞく!
   
 
JR九州チーム
   
  高浜フィールドワークに参加して
  文/ 津高 守
   
  あっという間の3日間でしたが、藤原先生をはじめ関係者の皆様、本当にお疲れ様でした。私も天草には何度か足を運んでいましたが、このように濃く(というかしつこく)天草に浸ったのは初めてです。我々鉄道関係者(というか私の周辺の人々)の天草観光とは、三角線で三角まで行き、旅館のバスで宿に行って温泉&料理で一杯飲んで帰ってくるというものです。従って、行き先も大矢野か松島がせいぜいで本渡でさえめったに行くことはありませんでした。観光案内で崎津や大江の天主堂を知っていたとしても、実際に足を運んだ人は非常に少ないと思います。
   
  そういう中での高浜フィールドワークでしたが、地域にはまだまだ我々の知らない魅力が潜んでいること、地域の人たちはえてして自分たちの地域の魅力を自覚していないということを再度認識したというのが正直な感想です。上田家の建物、天草陶石という素材は全国どこに出しても通用するものだと思いますし、天然うなぎに至っては、運がよければ食べれるという触れ込みだけで人が寄って来ると思います。今回のフィールドワークを契機として活性化に取組めば高浜はもっと注目を浴びるところになると確信しています。
   
  今回、地元の人たちと一緒に現地を歩き、高浜の活性化について真剣に議論しましたが、我々も仕事上で沿線の人たちとこんな風に交流を図ることは全くありませんでした。弊社は地域貢献を会社の基本方針の一つとしていますが、一口に地域貢献といっても方策は様々です。特に我々のような非営業部門にとっては「鉄道を安全に走らせることが地域貢献」と言って何ら新しい取り組みをしていないというのがいままでであったと反省もしています。そういう点でも、今回のフィールドワークはまさに地域と密着してその発展のお手伝いをさせてもらう取り組みとして、我が部においても地域貢献の先駆けができたと思っています。今後とも機会があればこのような行事に参加させていただき、地域を深く知るとともに地元の人たちと交流を図って生きたいと思っています。
   
  以下は私が天草や高浜について思いついたことを書きます。
   
  三角線にはこの秋から観光特急が走ります。それと時期を同じくして、熊本、宮崎、鹿児島の3件は10月からJRグループのデスティネーションキャンペーンの地域に指定され、全国からの注目も浴びると思います。特に観光特急は天草地区の知名度を上げる絶好のチャンスです。でもこれは地域の人たちが必死になって取り組まないと地域間競争に勝てません。熊本にはすでにSL人吉、あそぼーいのような観光特急が走っています。天草全体で観光特急を盛り立てて行く取り組みが不可欠と考えます。観光特急に合わせて三角駅もリニューアルを計画しています。あの駅舎には宇城市の観光協会が入っているようですが、天草の入り口として天草市や上天草市のPRスペースも必要ではないかと思っています。スペースについて確約できるものではありませんが・・・。
   
  地域の知名度を上げるにはその地域内の連携が重要であると考えます。特に高浜の上田家の売込みには、大江や崎津の天主堂を交えた建築物群として知ってもらうことも必要かと思います。また、五足の靴のメンバーが長崎(茂木)から船で富岡に入り、徒歩で大江まで行ったという史実を再現するようなイベント(ウォーキング等)も企画する価値があると思います。
   
  ●<つたか・まもる> JR九州 施設部
   
   
 
  高浜フィールドワーク
  文/峯 雅彦
   
  天草高浜地区の皆さま、藤原教授をはじめとする九州大学関係の皆さま、そして南雲・若杉・千代田のスギダラ三賢人(偉人)を筆頭とするスギダラケ倶楽部の皆さま、本当に7月のフィールドワークの節はお世話になりました。改めて御礼申し上げます。実は、今回のようなフィールドワークというのは、初めての経験で、申し込みギリギリまで参加をためらっていました。そもそも、何をどうやったらいいのか判らないし、第一このくそ暑い中、体力が持つかどうか不安でした。とは言いつつも、地域の宝探し的な取り組みに興味が沸いているのは自分自身感じているし、少しでもそのような取り組みのお手伝いができるなら楽しそうだし、なんと言っても「バイタリティ溢れる藤原先生はどんなことやってらっしゃるんだろう。一度見てみたい」という思いが強くなり、暑さでぶっ倒れてもプロレス研究会出身のわが社のホープ稲盛がいれば、担いで病院まで運んでくれるだろうということで、参加を決心しました(でも、近くに病院はあったのかなぁ・・・)。
   
  【峯にとってのこれまでの天草】
   
  私は大牟田にある有明高専の出身ですが、在学当時(昭和49〜54年)は熊本出身、特に天草地区出身の学生が多く、都呂々とか牛深とか本渡から来た連中が、恥ずかし気もなく大声で天草弁を話していたのを覚えています。私は「うきは」の百姓の長男坊で、子供ながらに高専に行けば親に経済的に大きな負担をかけずにすむと思い高専に進学したのですが、高専に行く学生は貧乏人が多いと(実態は判りませんが)、勝手に思い込んでいました。ですから、先輩や後輩が多くいる天草は経済的に恵まれていない方たちが多いんだろうなと、これまた勝手に想像していました。勝手な想像ではありますが、大きく外れてもいなかったと思います。そんな貧乏なイメージのある(失礼!)天草へは概ね年に1〜2度、同級生たちの実家に泊りがけで行ったと思います。日本国有鉄道への就職など夢にも思わない紅顔の(美)少年だった35年ほど前の話です。
   
  【峯にとっての今回の天草】
   
  三十数年ぶりの天草ということで、とても懐かしい思いがありました。が、当然のように学生時代の訪問は、海で遊んで、酒飲んで魚食べて、くたくたになって帰るだけで、地域の特色や魅力について考えたことなど少しもありませんでした。そこで、今回の参加に際し、少し天草について調べてみました。すると・・・思いもかけず超怒級のインパクトをもって現れたのが「天草陶石」。いやいやこんな凄いものが天草にあったなんて・・・。と、びっくらこきながら現地に臨みました。たぶん、ふつうに訪れてしまえば「なんもないな〜」で通り過ぎてしまったであろう高浜の街。が、しかし、トランセクトウォークのお陰で、だんだん見えてくる高浜のお宝たち。「さすが藤原先生、やることが違うな〜」と感動するFW初参加の峯でした。
   
  テーマは歴史的建造物の活用を選定し、上田家住宅の再生を検討しました。結果的に宜珍くんを有名にすることが上田家再興の近道だと、「ヨシウズくんメジャー化計画」を進めることにしましたが、実に楽しく地域の産業や歴史を学ぶことができたと思います。その時驚いたのは、同じチーム地域の方々(私よりは年配の皆さま)が、地域の歴史に非常に詳しいということでした。上田家の出来事や地域の歴史をきちんと学んでらっしゃる姿勢にとても感動を覚えた峯でした。今回の取り組みで、地域の皆さまと一緒に上田家再興への一つの足掛かりも提案できたと思います。またしても「さすが藤原先生」と痺れた峯でもありました。しかし、なんと言っても今回の峯にとっての天草のクライマックスは遠く天草灘に沈む真っ赤な夕日でした・・・藤原先生、ごめんなさい。
   
  冒頭にも記しましたが、今回のFWに参加に際しての私の隠れテーマは「暑さで倒れないこと」でした。倒れたりして皆さまの足を引っ張ることがあってはならない!と自らを戒め つつ、家を出る時も○○な嫁(○○には好きな言葉を入れてください)から「馬鹿みたいに飲むんじゃありませんよ!」ときつ〜くきつ〜く仰せつかっておりましたので、楽しく遅くまでアルコールを媒体に親睦を深めている皆さまには不義理を致しましたが、無事天草から生還できてほっとしている、更年期障害の疑いのある峯でした。
   
  【峯にとってのこれからの天草】
   
  今回のFWでは、「よそ者」と自覚している私たちが、地域の皆さまと一緒に地域の活性化を目指すためのアイデアを模索しました。あくまで「よそ者」と自覚したうえで、地域にカンフル剤を注射し、空気を乱し、「よそ者」VS「地域住民」という構図を敢えて作り出すことも一つの手段ではあると思いました。よそ者と向かい合うことで、見える見えないに拘わらず地域の「物」や「人」や「歴史」や「絆」と言った魅力を再認識できるのではないでしょうか。その再認識をベースとして、「よそ者」が考えたアイデアをしっかり吟味し、地域の皆さま自信の手で、地域の問題やあるべき姿を模索し、活性化の方策を地域のアイデアとして構築し、じっくりじっくり地域全体のコンセンサスと取りながら進めることが成功の鍵ではないかと思いました。
   
  今回このような形で天草高浜地区に関わりを持つことができたことを大変うれしく思っています。高浜のために私個人でできることは恐らくほとんどないと思いますが、今後のFWのお手伝いに参加したり、旅行に訪れることなどを含め、高浜地区並びにヨシウズ君の1ファンとなって(甚だ傲慢な言い方ではありますが)見守っていけたらいいなと思います。
   
  ●<みね・まさひこ> JR九州 施設部
   
   
 
  高浜でZIKIぅ走
  文/ 荒川堅太郎
   
  天草高浜地区のみなさま、藤原先生をはじめ関係者のみなさま本当にお疲れ様でした。本当にアット言う間の2泊3日でした。 心残りは、連日の激しい夜に負けてしまい、荒尾岳までZIKIぅ走ができなかったことです・・・ これについては、必ずリベンジを果たしたいと思っております。
   
  私は今年4月に博多に戻ってくるまで、2年間宮崎で勤務していました。 運良く1年目の10月に日南線観光特急「海幸山幸」が運行開始するということで、7駅のリニューアル工事に携わることができました。 しかし、九州の中でもローカル線である日南線に、いくらリニューアルといっても多くの予算は付きません。 そうした少ない予算の中で、何か面白いことはできないか?という発想から、スギダラメンバーや地元の方々と一緒にベンチや掲示板といった家具等の整備を行いました。 この取り組みは、私というか、JR九州の建築として初であり、本当にできるのか?といった大きな不安はありましたが、みなさんの協力のおかげで、何とか成功することができました。 ここで、本気でやろう!という意識があれば物事はうまく進むし、かならず形にすることができるということだけではなく、今まで社会人となって忘れていた、地元の人と一緒に形あるものを作り上げる楽しさ・面白さを思い出すことができました。 この経験が、ただサラリーマンとして仕事をするだけではなく、地域と繋がりながらそれを仕事に結びつけることができればこんなにも面白いのか!と考え始めたきっかけでもあります(もちろんスギダラに入った理由でもあります)。
   
  そのような考えを持ちながら、地域密着の活動をしてきた宮崎から、博多に戻ってきました。博多の仕事は規模も大きく、簡単には地域密着で活動することはできません。何か良い方法はないのだろうか?と考えていた頃に、今回の天草高浜フィールドワークが開催されると聞き、喜んで立候補させていただきました。 私自身、このような取り組みに参加したことがないので、自分に何ができるかわからないが、とりあえず高浜を見て・聞いて・感じようと思いました。 もちろん、参加が決定して高浜のことについて少し勉強しました。驚いたことが陶石。なんと全国の陶石生産量の8割を占めており、有田等にも運ばれているではありませんか!知っている人の中では常識かもしれませんが、このことは多くの人は知らないと思います。
   
  そんな状況で高浜に到着しましたが、トランセクトウォークのおかげで、高浜に来ないと分からない、様々な情報が分かりました。温かい地元の方々、素晴らしい上田家、昔の面影を想像させる古びたトロッコ、一度だけ上がったのろし、見てみたい帰帆船、食べてみたい天然うなぎ、松のなかった砂浜、少ない小学生、昔は5件あった飲み屋etc… その中で一番印象に残ったのが、一度だけのろしを上げた荒尾岳からの夕日です。みんな最高なんだ!と何度も聞き、知らず知らずにいろいろな方からそこまでのルートを聞き出し、ある程度の道を理解してトランセクトウォークが終了しました。 夕食まで時間があるということなので、そしたら荒尾岳方面に走ってみよう!てなノリで走り出しました。
   
  漁港横のわき道から上っていきましたが、いきなり心臓破りの坂が出迎えてくれます。しかし、少し頑張れば視界が開け、右側に海と太陽がサンサンと輝いています。体はきついけど、景色が綺麗なので走るのが楽しくなってきます。もう少し上まで、あの景色のよさそうなカーブまで・・・どんどん走ります。ふと気づくと夕食の宴会時間までの時間が・・・ Uターンして、どんどん下ります。しかし、左手には壮大な景色が続いてます。下りなのでスピードを出そうと思えば出せるのですが、あえて景色を楽しむためセーブします。そんなかんじで、高浜の自然に一気に魅了されました。
   
  次の日は朝から荒尾岳トライのはずでした。しかし、深酒の影響で青空市まで行くのがやっとでした。辿り着いたときは時既に遅しで、皆さん片付けて帰宅する前でしたが・・・ そして、プログラムチームに別れ、高浜のいろいろな魅力ある場所にどんどん連れて行ってもらいました。個人的には、やはり陶石がいい! 採掘場まではいけませんでしたが、粉砕している工場?では、晴天下に無造作に放置された白い陶石の山はあまりにも眩しく、何か忘れかけた宝物のように見えました。やはり、高浜は陶石であり、この名をもっと売り出す必要があるのではと感じた瞬間でもあります。 高浜はやはり現地に来てもらい、地元の方々と触れ合いながら散策するのが一番だと思いますが、どうやって、人に来てもらえば良いのか・・・
   
  スギダランナー(走り杉)としては、サンセットマラソン! 参加賞(もしくは完走賞)はもちろん陶石でできた素焼き状態の陶磁器。 マラソンの競技概要としては、十三仏像をスタートし、夕日と競争しながら荒尾岳までひたすら走る(多分21kmくらいのコースになる?)。そして、ゴールしたらのろしを上げる! スタートが夕方なので、選手はみんな高浜に宿泊。 次の日は、参加賞の素焼き陶磁器に絵付けと、ゴールタイムを記入して帰宅。 後日、ZIKIに完成した陶磁器を自宅に郵送。 何かとんでもないことを言っていますが、本気でこんなことを考えさせるほど夕日を見ながらの坂道ランは最高でした。 もし開催されることになれば、もちろん参加し、荒尾岳にリベンジを挑みます。
   
  JR九州は九州全域に鉄道網を走らせています。この鉄道を活かして、どう地域を活性化させるのか?が重要ですが、天草には鉄道は走っていません。 しかし、入り口の三角までは10月頃に観光特急「A列車」が運行開始する予定です。このお客さまをどのようにして高浜まで呼び込むかは、やはり地元の方の取り組みが大切です。今回のフィールドワークを活かし、「A列車」とタイアップし、高浜に呼び込む企画を立てることができれば最高だと思っています。先ほども記しましたが、これからは本当に地元の方の頑張りが必要です。 私自身、社会人として、JR九州社員として、今後もこのようなフィールドワークに積極的に参加し、本当の意味での地域貢献に取り組んでいくことができればと思います。 フィールドワークは、一度浸かってしまうと抜け出せなくなってしまうほど、魅力的なものでした。フィールドワークは、ただサラリーマンとして淡々と仕事をこなす上では必要ない取り組みかもしれません。 しかし、そんな生活楽しくない!せっかくなら楽しく仕事したいし! 今回、高浜で知り合った方々はみんなパワフルな人たちばかりでした。みんなに負けないためにも、基礎体力をしっかりとつけるべく、今後もZIKIぅ走を続けます。
   
  いつものようにダラダラ文章になりましたが、高浜のみなさま、藤原先生、タカクラさん、三浦さん、参加したみなさん、本当にありがとうございました。
   
  ●<あらかわ・けんたろう> JR九州 施設部
   
   
 
  信頼関係はスタートダッシュ
  文/稲盛智章
   
  天草高浜での充実した三日間お疲れさまでした!今年の夏はミンミンという蝉の鳴き声よりも、ZIKIZIKI という言葉の方が耳からはなれそうにありません。
   
  私は天草の「フィールドワーク・ワークショップ」について感想を述べたいと思います。
   
  私は、博多冷泉地区、フィリピンパサイ市、宗像市玄海地区など様々な場所においてワークショップ形式のイベントを開催して参りました。イベントの趣旨は様々なので一概には言えませんが、この手の参加型ワークショップでは、限られた時間で地域に関する多くの情報が得ることが第一目的だと考えていました。しかし、今回のフィールドワーク後には、情報を得ることよりもまず、専門家や地域住民等の立場を超えた信頼関係を築くことが第一目的ではないかと考えるようになりました。もちろん、信頼関係を軽んじていたわけではなく、信頼関係は長い年月をかけて築くものだと悠長な姿勢でいました。そのため、初対面の方が多いイベントでは探り合う感じでぎこちなく展開し、スムーズに行かないこともありました。
   
  今回の高浜フィールドワークでは、スギダラ流ダジャレトークやエンドレス自己紹介はもちろん、初日からのトランセクトウォーク、夜の懇親会を通して信頼関係の基礎をがちっと築くことが、二日目のグループワークを楽しく有意義に行えるようにしたと実感しております。グループワークでは、陶石の採掘場や狼煙跡を巡る車中でZIKIZIKI聞こえ始め、自らもいつの間にかZIKIZIKIいい始め、次の日にはZIKIZIKIを発表していました。高浜地区全体でも、このように何かに人々が巻き込まれ、大きな動きになって高浜の宝が注目されることを願っております。藤原先生をはじめ、藤原研究室の方や、スギダラメンバーの方のフィールドワーク及びワークショップスキルを目の当たりにし大変刺激的な三日間でした。ありがとうございました!  
   
  ●<いなもり・ともあき> JR九州 施設部
   
   
   
   
 
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