連載
  平泉中学校デザインワークショップ
文・写真 / 南雲勝志
  いま地域が生き残るために・・・
 

 月間杉6周年おめでとうございます。72号、半端な数字じゃないですよね。改めて編集部、著者の皆さん始め関わった皆さんに感謝します。
2007年7月創刊二周年で「月刊杉WEB版の重みとスギダラ」という記事を書いた。その中に1号をプリントすると、平均207g、厚み5mmとある。記事は当時より間違いなく増えているのが、単純計算すると、72号全部をプリントすると重量約15kg、厚みは37.5cmである。何らかのカタチで残して行きたいなぁと思う。
 そして今月号、創刊6周年記念特集「天草高浜ツアー」はスギダラの層の厚さというか、新たなパワーが加わって益々地域に対しコミットしていく様子が垣間見れる。政治や行政に頼る前に自分達の価値を見直し実践する。このような極めて正統的で真正面の取り組みが見直され、これからはひとつのスタンダードになっていくのだろうと改めて思う。

   
 

 さて、今回は昨年の秋から静かに関わってきた町立平泉中学校のワークショップ(以下WS)を紹介する。平泉町が世界遺産に指定されたのはまだ記憶に新しいが、5年ほど前、毛越寺線という道路修景に参加した事をきっかけに「平泉浄土の灯り」、「まちカンコン」など住民WSを中心としたまちづくりに関わってきた。同時に平泉景観デザイン委員会の委員も何年か勤めた。風景やまち並みをよりよくするための検討を行うのだが、そのなかで町が新設する平泉中学校も重要景観建築物と捉え検討を行ってきた。そして新しい校舎へ移行するにあたり、やや越権行為にもとれるが、校舎だけでなく、平泉町の思いや子供達の記憶を埋め込むためのWSが検討された。具体的には新校舎交流ホールの使い方をみんな考え、そこで使用する家具のデザインを自分達でやってみようというものである。メンバーは景観デザイン検討会委員長東北大学の平野勝也先生、そして平野先生が子供達のWSの第一人者と慕っている、ホンコン大学(当時宮城大学)の田代久美先生、そして平泉景観条例や住民WSを担当した東京大学助教(当時アトリエ74)の尾崎信、そして僕を加えた4人であった。別のいい方をすると、土木景観で平泉を指導する平野先生、WSスペシャリスト田代先生、町やWSの全体を把握し調整役の尾崎さん、スギダラとして実績のある僕というところであろうか。(僕だけいい加減ぽい。)

 様々な難関はあったが、平野先生、田代先生の熱意で実現する方向へ固まった。WSは全4回、1、2回をWSの意義と今後の方向付けとし田代先生と平野先生中心で担当、第3回は尾崎さん中心で平中WSとまちづくりとものづくりの繋がりについて。第4回で具体的なデザインWSを僕が担当、最終回でまとめ、終了後可能な限りそれを現物化していこうというプロジェクトであった。当初は翌年の5〜6月がゴールだった。 2010年10月5日学校や町を巻き込み第1回平中WSがスタートした。そこに参加出来ない僕と尾崎さんは事前に田代先生と新宿で合流、子供達にメッセージを送ることにした。慣れないビデオレターと写真を撮影し、ポスターにして届けた。(写真1.参照)少し間が空いて2011年1月に第二回目が行われた。東北大学生の協力もあり、交流ホールの1/20のスケールの模型を製作、イメージがぐっと掴みやすくになった。田代先生もさすがにプログラムを立てきっちり進めていく。やっぱりその道のプロだ。 毎回終了後は臨場感のあるメールが飛び回り、参加しなくとも概ね内容を把握できる。しかし、このメンバーは遠距離恋愛のようなものである。仙台、香港、そして東京とおびただしいメールが行き交うが、時としてちょっとした事でズレが生ずる。そんなとき、最年少の尾崎組員がこまめに個別の調整をしてくれ、ずいぶんと助かった。しかしやはり会って話さないと微妙な思いが通じ合わないところもある。第2回終了時、隙間を縫って上野で会う。やはり会うと話が早い。軌道修正を行い第3回は3月16日に決定、尾崎組員が登場準備万端で望む予定であった。が、その直前に3.11が起きた。

 当然のことながらWSの今後は全く見えなくなった。平野先生の東北大学は校舎が被災し、事実上機能不能、平泉中学校はしばらく休校、第3回WSは中止となる。幸いなことに体育館の天井が落ちた以外、新校舎を含め大きな被害はなかった。すこしして平野先生からメールが届く。とにかく無事で良かった、4月に入り入学式は行ったものの余震の影響もあり、なかなか学校の体制も平時には戻らなかった。しかし関係者の努力により、6月になんとか第3回目が開催出来た。みんなで力を合わせ平泉の未来の事、そして自分達の平中の事を考えよう。まちを新た得手みたり、大工さんの話も聞いたりした。時期が時期だけにみんな真剣だった。 そんな困難な時期に明るいニュースが飛び込んできた。一度落選し、再挑戦していた世界遺産登録が認められたのだ。6月22日の事である。関係者はみんな喜んだ。第4回は何となく明るいムードで迎えることが出来た。7月7日七夕ナグモ担当で交流ホールの具体的な家具のデザインを考えるデザインWS開催を行った。事前に生徒達には宿題ならぬ宿台を出しておいた。テーマは「台」。イスやベンチ、あるいはテーブルと言いった既存の家具に捕らわれず自由な発想で挑戦して貰いたかったからだ。僕にとっては初めてのWS参加であったが、今までのバトンリレーでずいぶんとスムースに行った。生徒達もとても元気に積極的で、驚くようなアイディアを次々と発表、素晴しいデザイン続出である。ネーミングを一部紹介すると、どこでも使えるん台、くっつくん台、どうしたん台、なかよく食べられるん台、どんなもん台等々、何と自衛台まである。恐れ入った。終了後の感想は80%以上が南雲先生のダジャレと言ったとか言わないとか・・・中学校の先生達もとても協力的で最終回に向けての目標とスケジュールを確認し合った。 終了後久々に町役場を訪れるとバッタリ菅原町長と出会った。(写真2.参照)世界遺産決定後は表敬訪問やら挨拶やらで休む暇もないらしい。そうはいいながらもとても元気だ。「だって頑張っていくしかないんですよ〜。」と明るい笑顔で語ってくれた。せっかくなので町長含め、まちづくりにずっと係わってきた皆さんと、久しぶりに会食することが出来た。ああ、やっぱり楽しいな〜。と思えた瞬間だった。

 さて、最終WSは9月22日。約1年間にわたるワークショップもいよいよ大詰めを迎える。前回のアイデアに対しこちらの感想は伝えてある。生徒からはグループごとのアイディアを絞り込み、使い方を整理し最終提案が提出される。それを受け、大人達は実際に交流ホールで使用する家具の実現へ向け調整していく。最終目標は生徒がデザインしたものを地元の職人さんが地物の素材を使用しつくる事である。但し当たり前に良いことがそのまま通用するわけではない。まず予算の問題、通常の家具の予算ではおそらく足りない、そして発注の問題、公平性を保つため学校も競争入札が一般的だ。地材地消が本当に競争入札に相応しいスタイルだろうか?とは思いつつも決まりは決まり。その決まりを越える理由が無ければ実現しない。しかしみんなの思い、そして苦労した人が報われる、そんな社会になって欲しいものである。スペシャルな面々による極めて正統的なワークショップ。いよいよフィナーレを迎える。また報告したい。

   
 
  写真1.ワークショップに向けたポスターメッセージ。中央が田代くみ先生、そして南雲くみ員、尾崎くみ員
 
  写真2.久々に再会した菅原平泉町長。右は平野先生。(町長室にて)
   
 

 

 

 

  ● <なぐも・かつし>  デザイナー
ナグモデザイン事務所 代表。新潟県六日町生まれ。
家具や景観プロダクトを中心に活動。最近はひとやまちづくりを通したデザインに奮闘。
著書『デザイン図鑑+ナグモノガタリ』(ラトルズ)など。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部
 
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