連載
  「居酒屋ドン」がオープンするまでー岩手大槌屋台作戦
文・南雲勝志
  いま地域が生き残るために・・・
写真・東大復興支援チーム+南雲勝志
 

 2011年6月9日、本郷の居酒屋「ゆい」で、大槌の復興支援を行っている東大景観研究室の中井さんに屋台作戦の概要を聞いていた。

 この週はハードスケジュールだった。6〜7日と佐賀県の景観シンポジュウム、8〜9日と札幌のポロクルオープニング、そしてその日の夜「ゆい」にいた。翌10〜11日はむつ市のセミナーに行く事になってて、そんな狭間のミーティングであった。事前に電話である程度の話しは聞いていたが、はっきりいって良くわからない。そもそも国と東大、県と市、そして住民との関係、どんな支援をして、他に行っている被害調査との関連なども含め、すべてがよく解っていなかったのである。解ったのは国や行政主導のやり方では時間がかかり、なかなか地元住民の要望とかみ合会っていないということだ。多分この非常事態に地域のまちをどうするか?という本質的な問題は、にわかに解決出来ないということだろう。日々まちづくりに関わり、一生懸命やってもなかなかうまくいかない。そんな問題をいきなり解決出来る方が逆に不思議と言えるのかも知れない。

 行政の調整会議、住民の要望を何度か見てきた中井さんの中にはひとつのアイディアがあった。大きな復興をいきなりやるのは無理があって、小さくとも良いから地元主導で頑張るきっかけを作れないか?それはスギダラで良くやっている屋台プロジェクトのようなものが良いと思う。ということであった。地元には話し合う場もない、希望を語る場所もないのだ。それがうまくいけば次のステップは補助金を絡め、ヤタイ広場への展開が開けてくる。
 地元主導・・・具体的には居酒屋を失いすぐにでも商売を再開したい柏崎宏美さんという方がいる。そして地元支援グループ「ゆいっこ大槌」の代表、赤崎友洋氏が中心で頑張っていることを聞いた。「彼等と協力し、まず第一歩を作りたいのです。」ここだけは、はっきり理解出来た。「解りました。何とか協力しましょう。」次週現地で二人と会う約束をし、後はいつものように楽しくゆいで呑んだ。「ゆい」と「結」。何となく語呂も良く、勝手にうまくいくような予感がした。というか思わず体が動かずにはいられない作戦であった。

 6月14日東大の復興支援チームに同行し、岩手に向かう。朝一番の新幹線に飛び乗り、北上駅で尾崎さん達と合流、前泊の中井さんと落ち合う。そのまま車で大槌に向かう。2時間程度掛かり現場に着いたのは昼頃だった。あたり一面何も無くなってしまった中に小槌神社が残っていった。400年以上の歴史を誇る由緒ある神社だ。鳥居には火に焼かれた跡が生々しく残っているが、奇跡的に無事だった。その神社の前が屋台作戦の候補地である。「何とかここにねぇ、地域のよりどころを作りたいのですよ。」中井さんが言う。ひととおり現地を確認した後、3kmほど先の会食の場、波板海岸「さんずろ屋」に向かう。ここは高台に建っているため難を逃れた。そこから見える砂浜と松の光景は、あれほどの津波が来たとは信じられないほど平穏で美しかった。

   
  屋台設置候補地。鳥居の向こうが小槌神社   小槌神社側からまちを望む
   
  さんずろ屋から見る海岸の風景。いつもは海水浴場。   同じく南側を見る。この辺は靄が多いらしい
 

 間もなく柏崎さん、奥さんのミカさん、そして赤崎さんらと会う。赤崎さん自身も被災者でありながら、しかも30代の若さでありながら、その立ち振る舞いの元気なことに正直言って驚いた。とにかく頑張るしかないんです。その言葉にはひとつのブレも感じられないどころか自分よりよりまず他人、の精神が伺える。
 そして、オーナー柏崎さんとの話し合いを開始。柏崎さんは「とにかく一日でも早く店をオープンしたいのが私の正直な気持ちです。」と切り出した。「市は仮設店舗の計画もあるが、早くて10月。しかも条件は結構厳しい。我々には時間が無い。そしてなにより生活していかなければならないのです。」その言葉には説得力があった。僕はそれならたとえば全国の杉ダラ仲間に協力を頼むことも出来る旨を伝えたが、柏崎さんはきっぱり言った。「いや、最初はぜひ地元の仲間だけで作りたいんです。漁師や大工仲間も協力してくれる。彼等は何もなくなって毎日する事もない。屋台を一緒につくる、そのことにとても大きな意義があるんです。」という。なるほど、それならその方がいい。「じゃあ、そうしましょう。ところで人手は解りましたが、材料のどうしますか?」「材料も心配いらない。知り合いが製材所をやっていて、いらない木をただでもらえると思う。」うーん。ただはともかく、”いらない木”に少し引っかかった。もしかして製材をして余った一番外側のことか?・・・「ちょっとその知り合いの製材所に連れて行ってもらえませんか?」一瞬、えっ、という顔をするが、すぐに電話で連絡を取り、アポが取れ、これから会えることになった。

 間もなく上田製材所へ到着。運良く社長が事務所にいらっしゃった。柏崎さんが切り出す。「実は屋台を作って居酒屋を再開したいのです。もし良かったら ”いらない木”をいただけませんか?」社長はちょっと怪訝そうな顔をしながら、「いったいどんな屋台を作るんだ?」と聞く。僕が今までの事例写真やスケッチを見せ、「概ねこんな感じにしたいと思っています。」というと社長は言った。「あのね、言っとくけどね、こんな屋台いらない木では出来ないよ!」続けて、「こんな屋台を作りたいから必要な木をくれ!と正直に言うのが正しい頼み方だろう!頼み方が間違っている。」少し興奮気味だ。そして、「その辺に転がっている中で使いたいのがあったら欲しいだけ持っていけ!」と怒り気味に言う。一同唖然とするもすかさず、「ありがとうございまーす。そう、そうなのです。」と頭を下げる。実は社長も製材所が海水につかっていながら、柏崎さんの本音を理解しての発言に違いない。照れた応援メーッセージだ。そんなやりとりに人と人の温かくたまらない優しさを見た。なんだか涙が出てくる。同時にに希望も出てきた。これはうまくいく、直感的に思えた瞬間であった。

 さっそくその辺に転がっている木を物色しに行く。当たり前だが何でもある。同行してくれたのは柏崎さんの友達、上田製材所の専務上田康広さんであった。上田さんは社長の息子で、「社長は簡単に言うけど、屋台をちゃんと作るといったら結構大変でしょう。細かな要望は僕に言って下さい。この辺の木は海水につかりましたが、鉋をかければ十分使えます。もう少しで水に浸かったプレーナーも修理し、使えるようになります。そうしたら鉋もかけてあげますよ。」再び涙が出そうになる。帰りがけ、専務に「実は日本全国スギダラケ倶楽部という活動をやっていて・・・」と言い出すと「えっ、あのスギダラですか、知ってますよ。うちも何か地域のために出来ないかと思っているんです。協力します。」と言ってくれた。スギダラは南雲より遙かに心強い。ここにもスギダラ仲間がいた。嬉しかった。大急ぎで概略製作までの流れを決める事が出来た。大槌に到着後、この間わずか3時間の出来事であった。

   
  上田製材所着。   仕えそうな木を物色
   
  これは天板に使えそうだ。   これは垂木にちょうどいい。
 

 しかし、なんと素晴らしい連係プレーだろう。良い感触を掴みながら釜石駅に着く。釜石で合流した西山さんにその事を興奮しながら語り、ビールを買い込み電車に乗り帰路に着いた。

 次回打合せまで2週間時間貰った。それまでに屋台のデザインスケッチ、モデル、図面などを用意する事になった。途中東京で尾崎さんと打合せを行い、こちらのイメージを共有する。最初の第一ステップ、それで終わりではなく、発展系も理想形としてイメージしておこう。つまり最終的に地域のパブリック空間を作ることを目標にした。

 
  屋台村将来構想スケッチ(出水)
 
 

屋台村モデル(出水、廣瀬)左から屋、テーブル、ベンチ、台絵馬小屋

 

 そして再び大槌を訪れたのは6月27日。あいにくの雨であった。打合せ場所は避難所に利用されている小学校の廊下を借りて行った。聞くところによると、朝柏崎さんが、朝ズバに出たという。「屋台やるって言いましたよう。」実に嬉しそうだ。用意した資料やモデルで打合せはとんとんと進み、未来の事にも話しは及ぶ。製作内容、ボリュウムが決定し、具体的な作戦がスタートした。そして、屋台オープンのXデーは7月24日に決定した。→打合せの模様
 その足で再び上田製材所を訪れる。今度は図面、モデルを持ち込み、上田専務とかなり細かな段取り打合せを行う。前回のイメージより相当木材の使用量が増えた。申し訳ない。しかし上田さんは「解りました。使用する材の数量表を起こして下さい。そうすればすべてこちらで用意します。」ありがたや〜。今回上田製材所の材料供給は大きな力になった。というか作戦実行が不可能であった。いろんんなプロジェクトが被災地で行われている。しかし、地元の善意で基本的に一円も使わず屋台作戦が行われたことはとても意義がある。上田製材所さんには改めて感謝の気持ちで一杯である。

 
 そんな事で一日が終わり民宿へ。場所は先ほどの「さんずろ屋」の向かいで「タカマス」というこのあたりの唯一といってもいい宿だ。作業員も多く宿泊するためなかなか予約を取るのが大変だという。夕食もそこそこに部屋に帰り、東大チームと飲み語った。何を話したかは良く覚えていないが、話しが弾み、ちょびちょび飲み出した日本酒を最終一升飲み干したことだけは覚えている。
 
民宿タカマス:大変お世話になりました。
 

 翌日は大槌周囲の現場を見たり、屋台設置現場を再確認したりした。小槌神社境内が暗唱に上がった。神社の境内はそう簡単に一般に貸せるものではないらしい。そりゃそうだ。結局設置場所は一旦振り出しに戻り、他の候補地を数カ所見て回った。後はまたしても柏崎さんの人脈頼みで何とかして下さい。ということで落ち着いた。
 そのころ釜石周辺にはキッチンカーが登場し始めていた。横浜資本のフランチャイズであるが、すでに営業を開始、被災地を回っている。主催者とも会い色々な話しを聞くことが出来た。自動車というハイテクシステムと棲み分けがつくか? そんな不安も一種運はよぎったが、こちらは我らが誇る柏崎さんが自分の店を開店するわけで、売るのが目的ではなく、地域コミュニケーションが基本だ。自然と違うものになっていくことは明白であった。
 昼過ぎに北上駅に着き新幹線に乗る。尾崎さんとXデーまでの段取りを確認し、数日後に迫ったGS24の段取りなど考えながら眠ってしまった。

 そして、7月1日〜2日、熱い熱いGS24(24時間ぶっ続け大作戦)が盛況に終わった。 一言では語れないので今回は内容は省略。また改めて。

 
 
 
熱かったGS24の一コマ
 
熱かったGS24の二コマ
 

 GS24の興奮も覚めなか、気がつくとXデーまで2週間あまりしかない。尾崎さんは〜大槌屋台オープンまでの道のり〜というスケジュールと段取りを作り、関係者に定期的にメールを配信した。これでずいぶん流れが共有できた。大したものだ。こちらが数量を再チェック、上田さんに送る。上田さんはせっせと材料手配をしてくれている筈だ。その間地元チームの打合せ、道工具の確認、そして事前に地元でのホゾ加工などを始め、最終のオープンまでの道のりを具体的に示してくれた。
 とはいえ現実はみんな忙しい。上田さんからは仮設住宅への材料供給がピークで思ったように動けない。赤崎さんも大槌全体の支援を見て回らなければいけない。こっちも出張やら、仕事やら、なかなかフォローが出来ない。事務所のスタッフが細かな材料表、修正にあわせたモデルの手直しなどやってくれ何とか最終仕様を仕上げてくれた。肝心の僕は7月14〜15日と天草高浜のフィールドワークに出発。もう何が何だか、いつが土日だか解らなくなっていた。

 しかし高浜は高浜で超感動。すばらしい自然、素晴らしいまちなみ、すばらしい人々と二日間時間を共有する事が出来た。多分今月号の月刊杉にも情報が出ることと思う。環境は違えど、本質的に抱えているものは北も南も日本全国一緒のものがある。
 と、 そこに大槌から連絡が入る。どうもノミがないらしい。トンカチやのこぎり、インパクトドライバーなど他の道具は確保できたが、”ノミのみ”ひとつもないという。横にいる若杉さんに相談し、高浜のホームセンターで購入し大槌に送るという行動に出た。しかし、無残にも高浜のホームセンターには、麦藁帽子は沢山売っていたが、ノミは無い。最近は多分ノミの需要がないんだな〜。そこで再考した結果がスギダラ募金でノミを調達出来ないか?いうことだった。実は日本全国の杉ダラ仲間が東北の募金活動をしていて、それを使わせて貰おうということである。若杉さんが事務局堂元さんにホットライン、すぐさまネットで購入、大槌に送ってくれた。いや〜ここでスギダラ募金がこんなに有効に使えるとは・・・。「スギダラの皆さん、ホントにありがとう! ここでも役に立ちました。」感動した僕に若杉さんが言った。「ナグモさん、そりゃそうですよ、僕は呑むたびに募金箱にチャリンと募金していた。呑むたびにですよ。解りますか。つまり呑みがノミに変身したということなんです。これ、すばらしいことですよ。解りますか〜?ハハハ。」若杉さんの高笑いはしばらく続いた。

   
  高浜フィールドワーク(一日目)   高浜fフィールドワーク(二日目)東シナ海
 

 さて、Xデーは翌週へと迫った。アチコチ出張行くも大槌が気になって電話する。柏崎さんは、「う〜ん、じっさいなかなか難しいですが、そこは少し変更して対応していますから、大丈夫ですよ。」フッと不安になる。少し変更?どこをどう変更したのだろう。 上田さんは「製作を時々見ていますが、作業はかなり難航しています。うちも手伝ってあげたいのですが、仕事が佳境で現実なかなか厳しいです。すみません。」不安は増す。しかし冷静に考えて見ると、建具やさんが作るような奇麗な屋台を期待することの方がおかしい。みんなが力を合わせ、作りあげることに価値がある。多少かっこ悪くたって大事なことはそこなんだ。と納得。心配は解消する。尾崎さんも地元に配るチラシを作成した。(協力:スギダラの文字もちゃんと入っている。)作戦はいよいよ大詰めを迎えた。

 そして出発の22日になる。本来は23日発であったが、それでは時間が足りず、前日の夜行バスで行く事になった。えっ待てよ、22日は若杉さんとBC工房の鈴木さんと10年ぶり呑もうと言っていたのだ。しかもその前に秋葉原に行って屋台の電球始め、電設の買い出しをしなければならない。夕方から走った。秋葉で猛ダッシュ。すべて買い出し終了し若杉さん達のいる青山へ向かう。と思った瞬間、さっき乗ったタクシーにバックを忘れていたことに気づく。すぐ電話をし、30分後にそのタクシーと再会。そのまま乗車し青山へ。助かった。
 久々の悪党3人の飲み方は楽しかった。10年以上が経過し、それぞれの生き方の話しをした。会ってなくても気心は知れている。ああ、やっぱりね。そう思うことが多かった。名残惜しいが行かなければならない。二人と別れ、10時過ぎに上野のバスターミナルから乗車する。しばらく暑かった気候が一転、夜は冷えた。こんな時に限ってバスのクーラーはギンギンに冷える。朝7時頃大槌ローソンに到着したときはのどが痛く、少々悪寒がする。一枚上着を重ね着し、尾崎さんに風邪薬を貰い現場に向かう。

 結局設置場所は小槌神社の真下に決定。実は一番最初の候補地だった。そこは柏崎さんの友人の土地で使用許可を貰えたという。素晴らしい人脈、良かった。そしてそこには柏崎さんの別の友人の協力で採石が積まれていた。チームは二班に分かれ、整地チームと屋台製作班。さっそく作業に入る。僕はその前に柏崎さんが瓦礫の中に見つけたキャスターが屋台に使用出来ないかどうか確認に行く。「あれですよ。」柏崎さんが指さしたものは瓦礫の山のトップにある歪んだ台車であった。「もう一つはあれです。二台分あります。」同様のものであったがサイズが違う。もっと言えばボルト接合であったので今回の木製屋台には使えそうもない。何とか諦めていただき、購入することにする。そして上田製材所脇の組み立て現場に向かう。

   
  敷地に於かれた採石   採石を奇麗に整地する
 

 現地ではすでに漁師の方、大工さんにより一台目のフレームが組まれていた。ホゾ加工に苦労の後が伺える。頑張ってくれている。上田さんと全体的な打合せを行い、僕らはまず二台分の屋台の材料にプレーナー加工するところから始めた。材料的には相当の量がある。四人で流れ作業をするも相当腰に来た。午前中それで終わった。午後は屋台の仕上げと屋根班、ベンチ班に別れ作業を分担。話しによると今日の夕方プレオープンを行うという。一台目の完成は至上命題になった。

 トンカン、トンカン無言で作業を進める。材料が無くなると製材所に行き、上田さんに頼み材料を調達。またプレーナーをかける。しかし問題はノコギリを使った材料のカットであった。人海戦術をするも相当の耐力が必要であった。そんな作業を繰り返していると、川添さん、原さんが到着。何だかホッとする。懸案のキャスターも購入してきてくれた。最後の仕上にかかり、最後に屋台を倒しながらキャスター装着。軽トラックで小槌神社へ向かう。

   
  初めてのプレイナー加工   屋台製作。腰板梁。
   
  地元の漁師さん(左)キャスター取付。   老体にむち打ち!?天板固定。
   
  最終仕上   軽トラ積み込み
 

 柏崎さん夫妻はすでに仕込み、準備を終え、屋台の到着を待つばかりであった。所定の位置に屋台をセットすると自然と拍手が湧いた。ベンチテーブルも届き、プレオープニングがスタートした。関わった関係者が飲み語り、いつまでも笑い声があたりに響いていた。良い感じだ。ずっといたかったが照明も無いし、明日もある。心地よい疲労感を抱えたまま民宿タカマスに向かう。今日は初めからためらわず一升瓶を注文。疲れたが良かった。みんなで乾杯し美酒に浸る。

   
  第一号運び込み   第一号に満足げの柏崎夫妻
   
  さっそく営業開始。ホタテやアワビ!   賑やかなプレオープン
 

 気がつくと風呂も入らないまま朝を迎える。今日はもう一台の屋台と絵馬小屋という小屋を二台、ベンチ4台作る予定。屋台は二台目なので結構はかどる。と思っていたが食事を挟み1時頃に焦り始める。現場からは3時にはすべてセッティング完了し、4時に本オープンをしたいとの連絡が入る。絵馬小屋を侮りすぎた。尾崎さん、原さんと段取りを行うもこれからホゾ加工を行い2台製作は不可能。結局ホゾ加工無し、製作台数一台に変更した。しかしそれも主材が木だからなせる技。人間の力で大抵のことは何とかなる。
 そして2時頃チームリーダー中井さんが現れる。みんな忙しくてあまり相手を出来ないが言葉は無くも意志は通じている。(筈だ)。予定の3時ほぼ製作作業終了。仕上げの照明など取付け、出来た順に軽トラに積み込み現地へ移動する。すでに体はふらふら、足が吊り気味でちょっとの段差でよろけてしまう。情けない。

   
  第二号製作開始   分担作業、みんな協力
   
  屋根製作チーム   もうすぐ完成するぞ。屋根の最終位置調整
   
  テーブルのウマ。オーヅチ   こちらは絵馬小屋。みんなの思いを込める。
   
  第二号出荷。左が上田専務。頼りになります。   最後に絵馬小屋到着
 
 みんなが頑張り、何とか何とか最低限の場が完成、「居酒屋ドン」の開店準備がが整った。4時過ぎに中井さんの音頭で乾杯! 疲れているのにみんな実にいい顔をしている。徐々に地元の皆さんも集まってくる。柏崎さんが自分の店名「居酒屋ドン」を筆で書き上げる。本当に嬉しそうだ。 そして点灯式を行い小さなあかりが灯った。本当に小さな、小さなあかりであるが、みんなが集まれる場所がとりあえずひとつ出来た。赤崎さん、柏崎さんのネットワーク、東大支援チーム、上田製材所、誰が欠けても出来なかった。みんなの力で出来た宝物である。
 オーナーは柏崎さんであるが、この広場はきっと大槌のみんなの思いが詰まっている、そんな風に思えた。明らかに人間模様だ。そして「居酒屋ドン」の海の幸の焼き料理、アラ汁。奥さんの焼き鳥、みんな抜群に美味しい。アルコールの勢いもあって楽しい場は瞬く間に時間が過ぎていく。 それにしても柏崎さんの人脈には改めて恐れ入った。敷地、発電機、プロパン、果ては杉材まで何でもその日のうちに用立ててしまうのだから。
 間もなく上田製材所の上田専務が見えた。大変だったがその顔は満足そうだ。「あなたがいたからこの屋台が出来た。本当にありがとう上田さん。」そしてその場でスギダラ大槌支部が結成されたのだった。
 
  ついにヤタイ村第一期完成。小さなあかりが灯った!
 
  喜ぶ赤崎さん(左)、柏崎さん(右)
 
  喜ぶ中井さん(右)と東大支援チームと赤崎さん(手前)
 
  テーブルとベンチのセットもなかなか。これ既製品になりませんかねぇ。
 
  良い雰囲気、美味しい料理、楽しい会話。すべてが揃っている。
 
  徐々にあたりが闇に包まれてくる。明かりはより魅力を増す。
 
  宴もたけなわであるが徐々に時間が無くなってきた。また来ます。
 
  さあ、帰りの時間も近づいた。関係者一同記念撮影。みんなご苦労さん。とてもいい顔しています。
上田製材所のタオルを頭に巻く。前列右から三人目が上田さんです。ちなみに未婚!
 

  楽しかった。充実した疲労感。さて大槌ローソン20時20分のバスに乗らなければならない。後ろ髪を引かれるように夜行バスに乗り込んだ。(つもりだった・・・)
 昨日風呂に入らなかったため、二日連続でシャワーを浴びていない。大槌に到着したときに着替えたツナギを未だに来たままだ。翌朝一番の飛行機で宮崎に向かう予定だったため、空港あたりで着替えよう。ギシギシする体でもうろうとそんな事を考えながら上野駅に着いた。ところが再び事件が起きた。(事件では無い!)バスの荷物の中にいくら探しても僕の荷物が出てこない。運転手さんが、「お客さん、乗るときは手荷物ひとつしか持っていませんでしたよ。」という。東京で一度忘れたバック、またやってしまった。どうにかしてる。
 宮崎空港に着くとまだ大槌に滞在している川添さんから連絡が入った。「捜索しましたー。ありましたよ、大槌ローソンに。」・・・乗車前ローソンで買い物をして忘れたらしい。結局宮崎滞在の2日間、都合4日間臭いツナギを着たまま打合せを通したのだった。

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 あれから10日が経つ。徐々にお客さんは増えているという。ほんの小さなお手伝いであったが、これをひとつのきっかけに大槌の皆さんが共にに将来を語り、未来を描くそんな場に成長していくことを心から願っている。この場はみんなで作ったみんなのもの。ぜひこの場を多くの皆さんが利用して欲しい。

 この一ヶ月あまり、色んなイベントがあり、とても多くの人々にあった。慌ただしさのなかに、これからの未来に向けての共通した認識とメッセージを感じる事が出来た。徐々にではあるが、いい方向に向かっていく。そんな予感も同時に感じられた凝縮の一ヶ月であった。

 

PS:
発刊前に原稿を中井さんに確認していただた。その返信一部紹介します。

一昨日、ドンで飲んで、例によって夜行バスで帰ってきました。
実にいい雰囲気です。うまくいってます。
開店前から待っている人たちがいます。
毎日避難所から来てる人もいます。
「明日からみんな仮設住宅に入るから」今夜は一緒に飲もう、
とやってきた男女の三人組もいます。
(中略)
南雲さんがお書きになっているように、誰が欠けてもできなかったことです。
この思いを、なんとか復興につなげていけるよう奮闘するつもりです。

中井 祐
 

Thu, 4 Aug 2011 20:45:53 +0900

 

 

 

 

 

● <なぐも・かつし>  デザイナー
ナグモデザイン事務所 代表。新潟県六日町生まれ。
家具や景観プロダクトを中心に活動。最近はひとやまちづくりを通したデザインに奮闘。
著書『デザイン図鑑+ナグモノガタリ』(ラトルズ)など。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部
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