連載
  今思うこと・・・
文/ 南雲勝志
  いま地域が生き残るために・・・
 

今、我々にとって本当に必要なデザインというものは何か考えざるを得ない状況であるが、それは大震災があったから変わるというものではなく、もっと本質的なものだと思っている。
先々月号の自立する地域のデザインでも書いたが、これからは無くてはならないデザインを目指すべきで、あってもいいデザインはもういらない。学生時代に読んだヴィクター・パパネックの「生きのびるためのデザイン」は1974年の著だからもう35年も前の本だ。現代に置き換えると、古いことも多いがそれでも必要なデザインの本質が書かれていた。

    また、カメラマンのピーター・メンツェルの「地球家族―世界30か国のふつうの暮らし」という本、こちらも初版が1994年だから、もう十五年以上前になるが、リビングデザインセンターオゾンで行われた出版記念セミナーに行ったので、衝撃を受けたことを鮮明に覚えている。ご存知の方も多いだろうが、世界30各国の平均的な家庭の家財道具を全部表に出して撮影し、比較してみるというものであった。発展途上国の家財道具はいずれもなくてはならないものばかり。それに対して先進国、中でも日本のそれは本当にいるの? と言うべきものがぎっしり。それも耐久性のないものが非常に目につく。いやいや、これは他人の家の話でうちは違うとはっきり言えるだろうか? これらのものをメーカーがつくり、消費者がそれを消費し、経済を支えてきた。しかしその先に見据えていたものは何だったのだろう。そして現在の日本はこの時と大きく変わっただろうか。  
  ピーター・メンツェル:東京1993
 
  ピーター・メンツェル:インド1993
 

僕は経済社会である限り、ある意味強者が弱者を支配する、あるいは上まわる仕組みはどうしてもなくならないと思う。秋田の能代市二ツ井の窓山集落でわかったことのひとつ、いくら美しくとも、いくら環境的に大切なものを持っていても、経済を生産する力がない限り、その地は滅びてもしょうがないという現実的な理論だ。そこに経済的価値がない限り、限界集落や里地里山は今も亡くなっていく。それを思うと苦しくてしょうがなかった。それに対し何も出来ない自分を含め、悔しくてしょうがなかった。
しかし、今はもう少しはっきり言える。窓山は他の地域が持っていない魅力を間違いなく持っている。その価値ををみんなで大切にし、守っていこうという気持ちを共有しようと思いがあれば良いだけのことだ。窓山を訪れ、滞在し、感動し、そこの食材を食べたり、体験したりしながらその地を理解する。もちろん、キーとなる住民がそこに住むと言う大前提は必要だが。
ちなみに限界集落(65歳以上の高齢者が住民の半数以上を占め、共同体機能が低下している集落)の数は、昨年2011年4月時点で10084。2006年度の前回調査から2213の増加。全国的には、中国地方が2672で最も多く、九州2094、四国1750。震災で大きな被害を受けた東北は1027、以下首都圏312、北陸324と続く。 このうち各市町村が「10年以内に消滅」「いずれ消滅」との懸念を持っているのは、集落総数のうち2796あるという。2006年調査では限界集落が7871であり、1999年の前回調査以降、191集落が消滅していることになる。(以上総務省調査より)

僕は資金投入も含め、この問題をどう共有し、クリアーしていくかということは、これからの日本の問題としてとても大きな問題だと思っている。しかしながら、調査でこれだけの現実が明らかになっているのに、国も社会も何とかしなければの大合唱になっていない。かなり近い存在であるはずの森林系NPOでさえ、手を挙げない。その理由は経済効果が見込める可能性が非常に低く、NPOとしても関わったはいいが結果が出せず、評価に繋がらないという予測が出来るからだ。このままでは行政的にもNPOにも見放された格好で消滅を待つしかない。だからこそ、名ばかりの森林育成と称してのの企業貢献とはレベルの違う、地域や現場を見据えた資金や知恵の投入が必要だ。それを実行している企業や市民を本当に尊敬する。

今この大震災でみんなが心を痛めている、この問題はそれと同じ種類のものではないかと思っている。限界集落を守り、我々の財産としていくことと、東北の失われたまちをどう復興していくか? という問題は根っこの部分では同じ価値観が存在している。弱いところに協力し、元気になってもらう。それにはお金も必要だし、知恵も必要、あるいは好奇心かも知れないし、欲望かも知れない。しかし根底はその地を大切にしたいという、情感の共有だ。
思わずほほえんでしまう、本当の意味の豊かな社会、口で言うことは簡単だけど、毎日仕事に追われている身で本当に何か出来るのか? 経済論から精神論へともう少しシフトした議論をしていかないと、東北の復興、失われた日本の文化の再生は無理でないかと思っている。

最近、「私は15年以上、人の四分の一のお金で生活している。」という方に出会った。tempology forumというシンポジュウムを企画した、社団法人テンポロジー未来機構の渡辺隆さんである。彼は「今回の震災は確かに憂いているが、私が一番心配しているのは東京だ。東京に住む人の価値観の意識がこのままであれば、遠くない未来に滅びてしまうだろう。つまり東京を代表とする日本型経済社会はいずれにしろ、破局を迎える。だからその前に意識を変なければいけない。そのために有効な方法のひとつは、我々の資産である木といかに上手く共存していくかということだ。」と語っていた。

 

現在の比率輸入材と国産材の比率は大体7:3。10年後にはそれが逆転し、杉は引っ張りだこになるだろう。国産材であればどんな高くとも、どんな使い方をしても価値がある、などと現在では信じられない状況が生まれて来る可能性もある。だからこそ、その時に備え、我々は杉と日本人の良い関係、人と地域が育む個性的な魅力。そしてそこから生まれる、持続的で緩やかな経済社会というものを目指して行く必要があると思っている。

 
 

今月号の特集、吉野の新しい取り組みは、これからの地方のまちがどうしていくべきか? ひとつの方向性を示してくれた。これからの地域の力は結局は理論だけはなく、成功事例や体験というものがひとつひとつ増え、それがまた他の地に波及していくことが、時間は掛かるが基本であると教えてくれる。そしてそんな仲間の出来事を近くで見守っていける事も、またありがたい事だと思っている。

   
   
   
  ● <なぐも・かつし>  デザイナー
ナグモデザイン事務所 代表。新潟県六日町生まれ。
家具や景観プロダクトを中心に活動。最近はひとやまちづくりを通したデザインに奮闘。
著書『デザイン図鑑+ナグモノガタリ』(ラトルズ)など。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部
 
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