連載
 

東京の杉を考える/第47話 「バードハウスにできること」

文/ 萩原 修
  あの9坪ハウスの住人がスギダラ東京支部長に。東京から発する杉ものがたり。
 
新潟の出雲崎に通いはじめて何年になるのだろう。地震で海底からでてきた縄文時代の古木。その古木に引き寄せられるように、出雲崎に行くようになった。「相談があります」と声をかけてくれたのが、現在ディスカバージャパンの編集長の高橋俊宏さん。その時には、雑誌もまだなくって、この古木でコンペをやりたいということだけだった。
   
  その後、雑誌もできて、「イズモザキ通信」という連載がはじまる。雑誌を通じて、街づくくりをサポートしていこうという企画だ。漁業があり、農業があり、林業があり、自然豊かで5000人が住む街で、都会の人が昔ながらの一次産業や暮らしを学ぶ場所にできないかと妄想した。題して「イズモザキくらしの学校」。少しずつだけど、東京や他の地域から出雲崎に人を呼び、出雲崎の人と交流を続けている。
   
  毎年恒例になったコンペは、1回目が「古木」、2回目が「お米のパッケージ」、そして、3回目となる今回は、「バードハウス」だった。林業組合や製材所の協力も得て、出雲崎の杉材で「バードハウス」をつくる。プロや学生からの提案を募り、入選者には、出雲崎に来てもらい、材料を吟味して、試作をつくり、実際に出雲崎の山と街にバードハウスを設置し、最終審査となった。
   
  同時に、東京と出雲崎のこどもたちに、キット化されたバードハウスをワークショップ的につくってもらった。キットのデザインは、建築家の安部良さん。森林組合と相談しながら、5タイプのバリエーションが楽しめるユニークなバードハウスのキットになった。
   
  そもそも、バードハウスのコンペをやろうと言いだしたのは、出雲崎の町長。まちに人を呼ぶしかけをいろいろと考えているだけに、その対応は早かった。林業の活性化と、街の観光、出雲崎が鳥も楽しめる環境豊なところだというアピール。そんなシナリオが町長の頭の中にすぐに浮かんだのだろうか。
   
  出雲崎は、良寛が生まれ、晩年を過ごしたところだ。自然の中で、自然を愛し、こどもと遊んだ良寛。たぶん、鳥とも親しくしていたはずだ。そんな鳥を招く象徴がバードハウス。なんだか、良寛の棲んだ五合庵がバードハウスにさえ見えてくる。
   
  ほとんどの人が自然とともに生きる方法を忘れている現在の日本。バードハウスは、ひとつのきっかけに過ぎないけど、実は、まだまだ多くの可能性をひめていることを知った。
   
  鳥と人間を分けて考えるのではなく、自然の中に共生する仲間だと感じた時、環境問題のすべてが解決するような気がする。
   
  いつの時代も何かが集まる出雲崎という不思議な場所で、鳥といっしょに、これからのくらしのことをゆっくりと考え、楽しむ時間をたまには持ちたい。
   
 
   
  イズモザキくらしの学校
  http://blog.sideriver.com/discoverjapan/2009/02/post-f2a5.html
   
   
   
   
   
  ●<はぎわら・しゅう>デザインディレクター。つくし文具店店主。
1961年東京生まれ。武蔵野美術大学卒業。
大日本印刷、リビングデザインセンターOZONEを経て、2004年独立。日用品、店、展覧会、書籍などの企画、プロデュースをてがける。著書に「9坪の家」「デザインスタンス」「コドモのどうぐばこ」などがある。
つくし文具店:http://www.tsu-ku-shi.net/
『東京の杉を考える』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_tokyo.htm
   
 
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