連載
  続・つれづれ杉話 (隔月刊) 第12回 「重い軽い」
文/写真 長町美和子
  杉について、モノづくりについて、デザインについて、日常の中で感じたモロモロを語るエッセイ。 
 
今月の一枚
  ※話の内容に関係なく適当な写真をアップするという身勝手なコーナーです。
  家庭菜園に精を出してる横浜の父からときおり野菜が届きます。
今は、空豆、新玉ねぎ、カブと大根の間引いたの、小松菜、レタスの間引いたの、など。
で、これは玉ねぎの葱坊主。クローバーの花くらいの大きさです。
坊主だったのですが、飾っておいたらちゃんと花が咲きました。
(すみません、肝心な花がピンぼけで。でも瓶もカワイイでしょ?)
 
   
   
   
 
   
  重い軽い
   
  先日、雑誌の取材で、あるアメリカ人の家に伺った。ご本人にはお会いできなかったけれど、空間のデザインを担当したデザイナーに隅々まで案内してもらい、その豪華なつくりと、思い通りのものができるまでとことん突き詰める施主の根気強さに圧倒されたのだった。いや、ホントにお疲れ様でした、という感じ。
   
  で、面白いな、と思ったのは、案内してくれたデザイナーの「日本人とアメリカ人とでは重さに関する感じ方が違う」という話。引き戸にしても扉にしても、家具の引き出しにしても、日本人はスッと軽く動くのを好む人が多いけれど、アメリカ人は手応えがあるのを好むようだ、と彼は言うのだ。手にグッと重みが伝わる=しっかりできている、あるいはいい材を使っている、というイメージがあるらしい。「日本人は障子や襖に慣れているからでしょうかね」とデザイナー氏は言ったが、障子も襖もあまり軽くスコーンと滑るのは気持ち悪いものだ。ちょっと抵抗を感じながら、戸当たりまで静かに動かすことができる「ちょうどいい」重さ、擦り感が欲しい。
   
  作家の向田邦子が、文中でよく「持ち重りのする」という言葉を使っている。見た目は大仰ではないけれど、手に載せた時に想像をわずかに上回る心地よい重みを感じて、「あ、いい品だな」とうれしくなる、そんな意味合いを含んだ言葉だ。
   
  知り合いの建築工具のメーカー社長は、その「持ち重り」を「期待重量」と呼んで、商品開発に生かしていた。小さな工具でも、手にした時に一瞬グッと下がる感じ。それは、頑丈で長く使っていけるそうだ、と本能的に感じる「ソリッド感」であり「時間品質」だと彼は言っていた。特に、頑強な男たちの世界である建築現場では、華奢で小さく軽いよりも、そうした重さの方が存在感を持つのかもしれないし、わかりやすいのかもしれない。
   
  文明が進み、加工技術が進み、素材の開発が進むと、なんでも小さく軽くすることが可能になって、それが最先端の証であるような錯覚を起こすけれど、丸太や石や動物の皮から道具をつくっていた本来の感覚からすれば、「重い」=ミの詰まったいいもの、丈夫な、価値のあるもの、なんだろうな。
   
  薄く、軽く、透明なモノに惹かれる気分と、ずっしり重いものに何となくワクワクしてしまう気分は、単なる「重さ軽さ」の好みとか選択の問題ではなく、実はまったく違う路線上にあるのではないか、とふと思った。脳ミソ的な思考vs生きものとしての本能……みたいなもの? ま、モノによるんだけど。
   
   
   
   
  ●<ながまち・みわこ> ライター
1965年横浜生まれ。ムサ美の造形学部でインテリアデザインを専攻。
雑誌編集者を経て97年にライターとして独立。
建築、デザイン、 暮らしの垣根を越えて執筆活動を展開中。
特に日本の風土や暮らしが育んだモノやかたちに興味あり。
著書に 『鯨尺の法則』 『欲しかったモノ』 『天の虫 天の糸』(いずれもラトルズ刊)がある。
『つれづれ杉話』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_komachi.htm
恥ずかしながら、ブログをはじめてみました。http://tarazou-zakuro.seesaa.net/
   
 
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