連載
  スギと文学/その25 『山椒魚』 井伏鱒二
文/写真 石田紀佳
  (4コマまんがのおまけもあります)
 
山椒魚は悲しんだ
くったくしたり物思いにふけったりするやつは、ばかだよ
今でもべつにお前のことをおこってはいないんだ
   
  小説の文頭と最後とまんなかあたりのことばのみっつ。これだけでも、読む人にははたと思い当たるふしがあるのではないか。擬人化された両生類、サンショウウオとカエルの洞くつの中の劇は、その狭いとざされた空間に彼らのはく息がびっしりつまっているように、息苦しいほどの風刺にみちている。滑稽な悲しみ、悪意と弱気。
   
  井伏鱒二さんのことはよく知らず、これがペンネームかどうかもわからないが、生き物への観察の鋭い人だ。そういえば、梶井基次郎もそうだった。そういう人しか杉を小説中に使うことはないのだろうか。
   
  「山椒魚」には、杉ではないが、杉のような杉苔が出てくる。
  「岩屋の天井には、杉苔と銭苔とが密生して、銭苔は緑色のうろこでもって地所とりの形式で繁殖し、杉苔は最も細かくかつ紅色の花柄の先端に、可憐な花を咲かせた。可憐な花は可憐な実を結び、それは隠花植物の種子散布の法則どおり、まもなく花粉を散らしはじめた。」
  これは小説の最初のほうの描写で、山椒魚が岩屋にとじこめられて最初のころ。山椒魚はこの花粉で自分の住処の水が汚れてしまうのを嫌がっていた。
  けれども、意地をはっていた山椒魚と蛙をほぐしたのはこの杉苔の花粉だった。お互いの嘆息さえきこえないようにがんばっていたのが、杉苔の花粉の散る光景にそそのかされて、蛙は「ああああ」と小さな風の音を出してしまう。
  そして最後のセリフが山椒魚の口から出る。
  「今でもべつにお前のことをおこってはいないんだ。」
   
  私も山椒魚のようにいいたいことがある。
   
   
   
   
  ●<いしだ・のりか> フリーランスキュレ−タ−
1965年京都生まれ、金沢にて小学2年時まで杉の校舎で杉の机と椅子に触れる。
「人と自然とものづくり」をキーワードに「手仕事」を執筆や展覧会企画などで紹介。
近著:「藍から青へ 自然の産物と手工芸」建築資料出版社
草虫暦:http://xusamusi.blog121.fc2.com/
『杉暦』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_nori.htm
『小さな杉暦』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_nori2.htm
ソトコト(エスケープルートという2色刷りページ内)「plants and hands 草木と手仕事」連載中
   
 
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