連載
  地域にとって必要なデザイン
文/写真 ・ 南雲勝志
  いま地域が生き残るために・・・
 
 

2年ほど前、長岡造形大学の渡辺先生から、新潟県南魚沼市の六日町(月刊杉32号:のーりんジャーの舞台。)坂戸地区という所で、中越地震復興基金の地域再生プロジェクトをやっているだが、単に防災だけではなく、地域コミュニティーを高めるため、たとえば屋台のようなものを絡めることは効果があるんではないか?と問いかけられた。
よくぞそこに気が付いてくれた。いつ来るかわからない災害は本当に怖いが、じっとそれに備え、防御するよりは、日常、いかに繋がりある地域をつくるかという考えの方が、もしかしたら大事じゃないのか、とも言えるわけだ。
以前、土木学会の表彰式で愛知県豊田市にある児の口公園のプレゼンテーションで、地元住民が自ら公園の魅力を説いていた。そこで印象的だったのが、「私たちは公園を守るために両手を使う。右手にスコップ、そして左手に一升瓶をもって公園に集まる。」と。つまり、右手のスコップは公園の掃除、手入れなどのメンテナンスを行うものである。一方の一升瓶は掃除が終わった後、打ち上げでみんなでワイワイ楽しむためのものだという。しかし、稚児の口公園は市の施設、火を使う事は禁止されている。そこで私たちは知恵を出した。バーベキューは無理かも知れないが炊き出し訓練なら行けるかも知れない。案の定訓練で市に届けるとOKがでたそうだ。誤解のないよう書き加えるが、もちろんこれは抜け道的発想でなく、市の職員も市民が公園を守るために本当に苦労して頑張っていることを知っているからだ。要するに辛いことだけでは長続きしない、そこに楽しい仕掛けが一緒にあることで、苦労を苦労と思わず地域を守っていける。
篠原先生がよく言われる。『きみねぇ、長く続く事をしようと思ったら、マイナスからゼロにするんじゃダメなんだよ。大事なことはゼロではなくどれだけプラスをつくれるかなんだよ。そうじゃないと市民活動然り、ボランティア然り、途中でなくなっちゃう。』
話は本題に戻り、地方といえ、近隣が疎遠になりつつある。みんなで力を合わせ、一体感のある力をもった集落をつくるための一環として、屋台やベンチを製作するというプロジェクトである。たとえばそこに非常時の備蓄を行ったり、期限切れになる前に食べる事を理由にみんなで炊き出し訓練を行ったり、祭りにはもちろん子供達の学習の一環としても活躍できる。つまり、ことあるごとに屋台を理由に年に何回も集まるのだ。
・・・というところまではかなり早い時期に決まっていたが、昨年の暮れになって急に事態が進展する。翌年2月の雪祭りをターゲットにお披露目する段取りでスケジュールをつめて欲しいということになった。

年が明けた。正月実家に帰った直後だったが、再び六日町に行った。終的に製作する屋台について話し合うために坂戸区の皆さんのワークショップに参加した。今年は例年より雪が多い。

 
  雪の魚野川。向こうに見えるのが坂戸山。坂戸地区はその麓にある。
  屋台の可能性について全国の事例を紹介しながら今回の意義を改めて説明する。あまり屋台については異論がなかった。というのも渡辺先生から事前に摂田屋で製作した屋台「あましゅぎだ」(参照:月刊杉50号)を紹介していて、それをサンプルとして貸し出していたため、実物をすでにみていて、大体のイメージを把握できていたからだ。
主な話題は二点。1点目はは使用する場所の候補地として、山の上の神社や、少し離れた場所への移動が考えられるため、徹底的な軽量化と、運びやすさがあった方が良いことが求められた。たとえば軽トラにひょいと乗せて行けるようにして欲しいと。もう1点はお披露目を雪祭りをターゲットとするために雪の上の移動をどなんとか出来ないかということであった。すると、「昔のそりを使えば良いんじゃないか。」と意見がでた。改造そりというもので、僕らも子供のころ良くそれで遊んだ。ただかなり重いのと、今や博物館に飾ってあるような言わば貴重品だ。するとふと区長さんが、「そんなのスノーボードで良いんじゃないいいよ。貸しスキーで使わなくなったのがいくらでもあるし。」話の展開が早い。すごい、それは瞬間的に良いと思った。スノボは短いからキャスターの四輪に対し、それぞれ一枚ずつ履かせられる。つまり方向転換や操縦がが容易になるし、なにより軽い。一同その場で「ヨシ!そうしよう」と決まった。会議は早々に切り上げ、場所をホテル坂戸場(社長さんが坂戸区の役員さん)二次会が始まった。こちらの方はほんとに良く酒をを呑む。そして役員さん達の多彩な顔ぶれだ。皆さん話がとても面白いし、真剣だ。後半の自己紹介あたりから後はよく覚えていない。(笑)
   
   ワークショップの模様。    区長さん初め役員のみなさん。
  翌日は「あましゅぎだ」を実践使用する事になっていた。祭の神(どんど焼き)の日で、昨日の会議もその前日ということでセッティングされていた。昨日からの雪で積雪は1m以上増えている。どうやってあそこに屋台を設置するのだろうと思っていたが、そこは地元、あっという間に踏み固め、会場設営がスタンバイした。さあ、いよいよ屋台を会場に移動する。雪のない車道はキャスターで問題ない。しかし会場につくと一面雪の原だ。すると誰かが「スノーダンプもってこい!」と叫び、四つのキャスターに一個ずつ計四台のスノーダンプで所定の位置にセットされた。すげ〜、やっぱ雪国の人は違う。改めて敬服の念をもって見ていた。
      

 祭の神の会場へと出発。雪がないと問題ないが・・・

   ここからはキャスターでは無理。
      
 スノーダンプに乗せながら移動。見事なものだ。    どんど焼き
  雪の移動が大体イメージできてきた。これは行ける。こうして坂戸用屋台の図面を提出したのが祭りのほぼ一ヶ月前であった。改良点は全体の軽量化、着脱式の屋根と天板。スノーボード対応型が主なところである。
二週間ほど経ち、製作検討会が行われた。半分くらい出来ているのかな、と思いきや、何も進んでいない。製作担当は地元の大工さん大塚さんだ。「いや、掛かってしまえばすぐに出来るよ。でも今うちも今仕事がいそがしいで・・・」なんだか歯切れが悪い。やると言ったものの厄介で面倒なものを引き受けてしまったというのがありありの顔だ。「あましゅぎだ」の現物を見ながら、今回の製作のポイントを伝え、その日は少々不安なまま終わった。
 
 
 
   数日後、心配になって事務局の浅井さんに、大塚さんの製作の進捗状況を確認して欲しいとお願いをした。すると間もなくほぼカタチが出来る。見に来れないか?と誘われたが、流石に僕もスケジュールが調整できず、渡辺先生立ち会いの元でチェックをお願いした。
その報告写真をみて驚いた。事前にこちらから送っておいたチェックリストのほとんどが、リクエスト通りに出来ている。屋根や天版、スノボの着脱もスムースで完璧だ。へ〜やれば出来るじゃない、とニヤリとした。
      
 組み立てたところ。右は事務局浅井さん。    天版をとるとかなり軽い。
   
 屋根もワンタッチで外すことが出来る。    薄く折りたためる。
      
 屋台を持ち上げ、スノボを履かせる。    キャスターが確実に入り、簡単に抜けない。
 

さていよいよ六日町雪祭りの日、2月13日再び六日町に向かった。今年三度目である。
実は六日町の雪祭りは子供の頃一度行った記憶があるが、それ以来初めてだっだ。規模は小さくなったというが、改めて見るとなかなか感動的な光景だ。会場に向かって歩いて行くと屋台が見えて来る。初めてご対面である。メイン会場に行くアプローチに地域ごとにテントとかまくらで来訪者をもてなすのだが、その中でも雪の中の屋台は異色の存在である。区長さんにかまくらに案内していただき、お酒と鯣をいただく。昔は自分でつくって入って遊んだが、かまくらに入るのもずいぶんと久しぶりだ。人情味溢れたもてなしにありがたいのと、なんだかとても懐かしい気分である。嬉しくなって数少ないスギダラ魚沼支部会員で、十日町の藤田満君を呼び出すが、向こうも自分の雪祭りの準備で無理との事だった。残念だがしょうが無い。
この日振る舞った酒は50升、そしてお母さん達は山菜などの自慢の手料理を振る舞っていた。そこには製作者の大塚さんももいた。「やるじゃないですか〜。想像以上の良い出来ですよ。ほぼ完璧ですよ〜」というととても喜んでくれた。「めんどくさかったけど、つくっていくとだんだん面白くなってきましたんだよ〜」と満面の笑みで話してくれた。
あたりは闇に包まれるが、この会場は雪明かりにうっすらと浮かび上がり、寒さの中にも大勢の市民が楽しんでいた。坂戸区の皆さん、渡辺先生たちといやー呑んだ呑んだ呑んだ。

   
   会場に向かうアプローチ。突き当たりは坂戸山。    向こうに会場が見えて来る。
   
   通りの両側に各地区が主点している。    坂戸区は屋台があるのですぐわかる。
   
   かまくらが想像着かない方は写真を押して下さい。   区長さんとお孫さんの写真を撮る浅井さん。
   
   八海山がずらりと並ぶ。   今回の作者大塚工務店の大塚さん。
   
   はっぴの背中はやはり「愛」    渡辺先生ご一家。皆さん楽しそうです。
 
  テントとかまくらがセットで各区の出展スペースとなる。
 
  夜は幻想的。手前のボックスは屋台の収納庫。今回はゴミ箱に活用。
 
  ほんと、良い雰囲気です。
 
  かまくらの背後はこんな風です。製作は大人4人で2〜3時間という。
 

夜9時を過ぎ、撤収の時間になった。さっとスノボーを履き、てきぱきと雪の上を滑らせていく。まるで昔からやっていた様に見える。その時感じたことは坂戸区の皆さんは、移動も方向転換もそれをごくごく普通に扱うのである。除雪してある道路まで行くと、またさっとスノボを脱ぎ、今度はキャスターでゴロゴロと何もなかったように暗闇に消えていった。取りあえず、第一回めの製作と使用実験は上手く行った。今後違う場所、違う季節で、様々な検証を行い最終的な坂戸オリジナル屋台に育てていく予定である。何年か後には数台の屋台が坂戸地区に設置されているだろう。
岩井さん、そろそろ只見線(参照:月刊杉35号)でもやってみませんか?

 
  さて、帰るぞ〜
 
  一旦バックをして方向転換。
 
  狭い道も大丈夫。
   
   スノボを脱ぐときも瞬間芸。   何事もなかったように今度はキャスターで移動。
 

僕は世界初とか言って喜んでいたが、そこに雪国に住み生活していく人々の日常をみた感じがした。必要だからスノボを履いた。それがきちんと機能している。当たり前の事である。そこに生活する人にとって必要をきちんとカタチにしていくこと。それはやはりデザインであり、それが地域のオリジナリティになっていくんだろうなぁ。と思った。

酔いもまわったこと、まっ白な雪上空間にいたこともあって、ちょっと不思議な感覚に漬りながら会場を後にした。

   
  メイン会場。雪の上だと不思議に綺麗に見える。   竹に紙コップを利用した灯り。綺麗だ。
   
   
  ● <なぐも・かつし>  デザイナー
ナグモデザイン事務所 代表。新潟県六日町生まれ。
家具や景観プロダクトを中心に活動。最近はひとやまちづくりを通したデザインに奮闘。
著書『デザイン図鑑+ナグモノガタリ』(ラトルズ)など。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部
 
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