連載
  日南飫肥杉大作戦を間近に控えて
文/写真 ・ 南雲勝志
  いま地域が生き残るために・・・
 

史上最大の日南飫肥杉大作戦まであと3日。受け入れ側は大わらわで準備に奮闘している。
先週まで杉コレや飫肥杉商品、ミヤダラとの最終調整(ほとんど飲み会)をしていたが、もう大丈夫。だいたいやろうとしてきたことは出来そうだ・・・と確信している。おまけに天気もバッチリ。(そもそもスギダラ館には屋根がない。)

一昨年の暮れだっただろうか、日南市の岡本武憲さんが、いきなり「来年スギダラ全国大会出来ませんかね〜」と電話が掛かってきたことをふと思い出している。市の教育委員会文化財担当で堀川運河の整備の全体調整を行い、その完成を一番喜んだ一人である。(その事を一番喜んでいるのは篠原修さんであるが。)
岡本さんが飫肥杉課に属しているとは言え、その発言にはちょっと度肝を抜かれた。そして僕は「ありがたいですが、今のスギダラにはその力はありません。簡単に出来る事ではないし、そもそもスギダラは有志の会であり、負担が大過ぎて無理です。」と答えざるを得なかった。
多分歴史の専門家としては、日南と飫肥杉の、切っても切れない関係を利用しながら、今後の日南のまちの力に何とか出来ないものだろうか、そう考えていたに違いない。(月刊杉15号「飫肥杉が造船材に適した理由」月刊杉27号「油津の橋物語」参照)

その後、岡本さんはしばらく時間をおいて飫肥杉商品開発のプロジェクトをスタートさせた。前身のエコプロダクトを進化させたものでこれは理解できた。それから二年、エコプロ丸4年、ようやく飫肥杉製品もカタチになってきた。もちろんその間、ひたすら商品を作っていたわけではない。(笑)逆に、商品づくりはその一部で、これからどんな体制でどう進めていくか。単なる商品開発ではなく、地域に繋がる動き方とは・・・そんなことに時間をかけ議論してきた。そこにもう一つの要素が加わった、幸運にも2009年の杉コレの当番が日南十日会に回って来る事になったのだ。杉に関連した大きな柱が揃いだしてきた。これをそれぞれを繋いで行くと大きな動きに出来るかも知れない・・・若杉さんや辻さんとそんな事を徐々に感じ、企み、昨年から大作戦決行を決めた。そんな流れも偶然ではなく、なにか運命的なものが働いていたような気さえする。

岡本さんは確か広島県の出身で二十数年前に日南市に就職、それで日南の住み着いたと聞いたことがある。つまり生粋の地場人間ではない。地域の特性や歴史を熟知し、過去の栄華となってしまった日南の財産を、もう一度日南の力に出来ないか?という発想は、元々の日南の生まれではない岡本さんだから出来たのではなかったかと今になって感じている。
電話を貰ってから、二年遅れになったが、大作戦は当時岡本さんの思い描いた日南スギダラ全国大会に近いものが開催されようとしているのかも知れないと思っている。

今年の大作戦の特徴は、地元に加え、領域を越えた人々が一体になって「杉」というひとつの素材に対して取り組んで来たこ。 山や杉の問題は実は森林関係者だけの問題でなく、みんなの問題であり、みんなの喜びに繋がる可能性を持っているということに気付いたことだ。もしかしたら、今とても弱い存在である「杉」がその事を我々に教えてくれたのかも知れない。

色んなことがありすぎて、頭を整理できる状態ではない。今も飫肥ただしい?メールが飛び交っている。一年以上の時間を掛け、飫肥ただしい人々によって周到に準備され、大作戦が実行されようとしている。そして90人近い人間がひとつのバンガローに集い、語りあう。その力はいったい何なのだろうと思う。応援し、賛同したくなる理由があることは間違いない。うっすらとその理由はわかっている。しかし、実際にその事を体験し確かめる事が出来る事をとても嬉しく、そして楽しみにしている。

大作戦の翌週。11月14、15日。吉野で再びスギダラな出会いが待っている。吉野とスギ関がいよいよ動き始める。これはまた、たまらない。

   
   
   
  ● <なぐも・かつし>  デザイナー
ナグモデザイン事務所 代表。新潟県六日町生まれ。
家具や景観プロダクトを中心に活動。最近はひとやまちづくりを通したデザインに奮闘。
著書『デザイン図鑑+ナグモノガタリ』(ラトルズ)など。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部
 
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