特集 祝!スギダラ5周年と会員1,000人達成!
  スギダラ倶楽部 会員1000人の歩み
文/  千代田健一
 

スギダラ広報宣伝部長がこの5年間を語ります

 

2009年6月はスギダラ倶楽部にとって、倶楽部設立5周年という大きな節目である。それに今月号の特集で記事を書いていただいている宮崎県高千穂の飯干淳志さん(一般会員No.132)のスギダラ仙人認定祝いと会員千人突破という3つの記念が重なっている。千人と仙人が掛けてあるのがスギダラ流。
スギダラ仙人については本誌45号にて南雲さんが記事を書いているので参照されたい。⇒http://www.m-sugi.com/45/m-sugi_45_nagumo.htm
スギダラ仙人認定式も執り行われている。
詳細はミヤダラのブログで ⇒http://miyadara.exblog.jp/10972944/

そんなことで、スギダラ倶楽部の会員の皆様との最初の接点を担っている本部広報宣伝部長の私、千代田が会員登録係専任の立場から、この5年、会員千人の歩みを少し解説させていただこうと思う。

 
   
 

スギダラ倶楽部にとって、時間的な節目は2つある。ひとつはスギダラ倶楽部設立記念日、もうひとつは月刊杉の発刊記念日である。
スギダラ倶楽部の設立は2004年の6月1日。現在、設立5周年を迎えた。
月刊杉の方は2005年7月に創刊しているから、次次号で4周年である。
月刊杉では、創刊以来ほぼ毎月発刊しているので、節目節目で総括的特集や読者プレゼントなどをやってきた。一方で、倶楽部設立記念の方は今まで特別なことをやって来なかったことに今更のように気づく。今回の月刊杉の特集は「祝!スギダラ5周年と会員1,000人達成!」そう、この5周年で会員総数が1000人となったのである。単純に考えると年間200名の会員の輪を広げて来たことになる。

5周年記念イベント等、特別なものは用意していないが、この機会に会員1000人までの歩みを振り返ってみたい。実際、この記事を執筆時点で一般会員登録数904。宮崎県日向市の富高小学校の課外授業プロジェクトでの特別会員101名を加えると総勢1005名となっている。

2004年6月1日 スギダラ倶楽部ホームページ開設。
会員募集を開始。設立以前から発起人の南雲さんは自身の家具デザインの中で杉を使いながら、デザイン関係の仲間に杉の魅力や杉にまつわる社会的な問題を語り、何かしらのアクションを起こそうとしていた(と、思う)。
そんな中で、月刊杉編集長の内田みえさんやライターの長町美和子さん、内田洋行の若杉浩一さんといったごく限られたメンバーが呼応し、冗談を言い合っていたところから設立の準備が始まる。「日本全国スギダラケ倶楽部、略してスギダラ倶楽部!」「ケだけじゃないですかぁ! 略してるのは!」
その辺、スギダラ倶楽部の立ち上げまでの話は以前にも書かれているので、参照されたい。

  ■2007年 統括 スギダラ倶楽部 特集記事
http://www.m-sugi.com/29/m-sugi_29_chiyo.htm
■杉スツール100選 第3回 「杉太」-ナグモ少年の杉ものがたり
http://www.m-sugi.com/03/m-sugi_03-stool.htm
   
 

南雲、若杉、内田、長町に続き、私千代田はスギダラ倶楽部のサイトを立ち上げるに当たって、会員登録してくれた人々との窓口となるべく、本部広報宣伝部長に就任。2004年のサイトオープンから1000名の方々に会員登録完了のメールを今も送り続けている。内田さんや長町さんは立ち上げに加担していたにも関わらず、一般会員からスタートし、南雲、若杉、千代田は本部メンバーなのか未だに謎であるが、内田さんがスギダラ倶楽部設立前から、会員番号1番の約束を南雲さんに取り付けていたからだと思う。事前に南雲さんから連絡をもらっていたので、まずは内田さん、次に長町さんと、順にサイトオープンの連絡をして登録してもらうようお願いした覚えがある。(苦笑)

よって、
・本部メンバーNo.1 南雲勝志
・本部メンバーNo.2 若杉浩一
・本部メンバーNo.3 千代田健一
・一般会員No.1 内田みえ
・一般会員No.2 長町美和子

ということで、スギダラ倶楽部はスタートする。

 

内田さんに関わらず、会員番号にこだわる人は結構いる。キリ番狙いというヤツだ。立ち上げ当初はデザイン関係の知人、友人や内田洋行の客筋で杉家具を既に愛好していただいている方々にメールで案内を出し、会員を募っていった。何番くらいになったら教えてくれとか、何番が欲しいとかそういう要望も多くあった。
こちらとしても例えば100番とか200番というのは規模拡大の目安となるので、どうしても仲間になっていただきたい影響力の高い方に名誉会員枠のような形で割り当てることを姑息にやっていた。
まず最初の記念枠が100番で、その当時、杉コレクションの審査委員長をお願いしていた建築家の内藤廣さんに会員になってもらいお渡しした。以降、100を節目にその時々で関わりが深い方にキリ番をお渡ししている。
なので、100単位の分は狙おうと思っても狙えないシステムになっていたのである。(キリ番狙いの皆様、ごめんなさい。)

そのキリ番を元にこれまでの会員1000人の歴史を見てゆこうと思う。

 
   
  ■100番 内藤廣さん(建築家・杉コレクション審査委員長)
   
 

2004年の6月、スギダラのサイトオープン以後、100名突破したのが2005年の4月末頃のことなので、少し時間がかかっている。今ではスギダラ倶楽部の主要メンバーとして活躍しているナグモデザイン事務所の出水さんが会員No.101でスギダラが活動開始して1年近く経ってから会員になっているのである。2004年は10月から宮崎県日向市のまちづくり課外授業をやっていて、その授業の修了証書として91名の小学生と先生方、県や市の担当者の方々10名に記念としてお渡ししているのだが、それを機に漸く会員証を作って配布することになる。それまでは「素敵な会員証をお送りします」とホームページに謳いながら配布できていなかったのである。
その課外授業にも応援で来ていただき、杉コレクションでも審査委員長をお願いした内藤廣さんに仲間になってもらい、記念すべき100番をお渡しした。

100番までの歩みのトピックとしては、宮崎支部長の海野洋光さん(会員No.3)は会員番号が示すように設立当初から南雲さんとの関係を築いていたことになる。現在も月刊杉の発刊案内を皆さんに流している本部広報部員の増田奈菜さん(会員No.8)、かなり後になって東京支部を立ち上げてくれる萩原修さん(会員No.15)の入会はかなり早い。
記念すべき第1回杉コレクションのグランプリ受賞者、狩野新さん(会員No.43)に続き、グランプリ作品を製作にあたった、吉野中央木材の山本三四郎さん(会員No.44)の後に関西支部を結成するメンバーが入会。
また、秋田支部長の菅原香織さん(会員No.47)、後にスギダラ3姉妹を結成することになる石田紀佳さん(会員No.53)が入ってくれたのが2004年の年末から2005年の年始にかけてである。日本一の杉フリーク、辻喜彦さん(会員No.48)もこの頃入会。宮崎大学の出口近士さん(会員No.73)と吉武哲信さん(会員No.74)のお二人は2005年3月のスギダラ吉野ツアーを機に入会。吉野のチェーンソーアーティスト梶谷哲也さん(会員No.64)は吉野ツアーに参加する前から独自に入会してくれていた。
後に北部九州支部を結成することになる杉の木クラフトの溝口さん、池田さん(会員No.87)の入会と続き、この頃スギダラ倶楽部の支部設立の土台が揃い始めていたわけである。

 
   
 

■200番 武田光史さん(建築家・日本工業大学教授)

200番の突破は2005年の9月のこと。
武田さんには特に意図して200番をお渡ししたと言うより、2005年の杉コレクションの1次審査に加わってもらった時期に、自ら登録してもらい、キリ番をたまたまゲットされているので、そのままお渡しした。
この頃は、南雲、若杉、千代田のスギダラ3兄弟が大学や専門学校の講師をしていた関係でデザイン系の学生の入会が相次いだ。

100番から200番までのトピックとしては、後に宮崎支部広報宣伝部長に就任してくれる吉武春美さん(会員No.118)、宮崎支部写真部の斎藤詩織さん(会員No.119)、今回スギダラ仙人に認定された飯干淳志さん(会員No.132)は2005年5月に行ったスギダラ秋元(高千穂)ツアーを機に入会してくれている。
後に北部九州支部の広報宣伝部長をやる羽目になる佐藤薫さん(会員No.126)の入会もこの頃である。千代田が会員さんの名前と番号をある程度把握していたのはいいとこ200番くらいまでであった。

 
   
 

■300番 前〇〇県知事

前知事には杉コレクション2005でお会いした縁で名誉会員としてお願いした経緯がある。県庁に杉太も置いてもらったのだが、その後・・・

300番突破は2006年3月末。
200番から300番の間、杉コレクション2005in 宮崎、スギダラ秋田ツアーなどがあり、杉コレに応募してくれた人や、秋田ツアー繋がりの入会が相次いだ。後にミヤダラ3姉妹を結成する工藤登紀子さん(会員No.208)、崎田真央さん(会員No.223)、後に天竜支部を引き受けることになるキャッシーこと袴田彩子さん(本部メンバー)がこの頃入会。
2005年の年末には関西支部に強力なメンバー、吉野中央木材の石橋輝一専務(会員No.238)が加わってくれ、関西支部の活動に勢いが付いた。以後月刊杉の連載執筆陣としてもご活躍いただいている。
一方、秋田支部長すぎっちこと菅原香織さんが会員を勧誘しまくって、宮崎に負けじと対抗していた。モクネット加藤さん(会員No.280)を始め、二ツ井の青年部一八会の皆さんが18名まとめて入会してくれたり、秋田おばこ3姉妹を結成することになる小林瑞穂さん(会員No.279)、渡辺千明さん(会員No.302)が参加。

 
   
 

■400番 未配布

400番の突破は2006年の8月初旬。ほぼ2年で400名。順調に数字を伸ばしている。実は次の500番までがかなりの勢いで、11月までの4ヶ月で100名が入会。このキリ番は誰に進呈しようか画策している内に次の500番が来てしまったという訳だ。
2005年5月に実施したスギダラ群馬ツアーでは各地から会員が集まったり、その夏には東京のスギダラ本部(内田洋行)にてスギダラセミナーやったり、各支部の活動も活発になっており、ネットワークが一気に広がっていった。後に日光・栃木支部を引き受けてくれる山本美穂さん(会員No.346)、関西支部を盛り立ててくれた内田利恵子さん(会員No.397)がこの時期に入会。どの支部もそうがあるが、女性会員に活動家が加わると、支部の活動も活発となり、人も一気に増えてゆく傾向がある。

 
   
 

■500番 篠原修さん(土木設計家・政策研究大学院大学教授)

500番の突破は2006年11月末。300から500までの勢いはすごいものがあった。
記念すべき500番は以前から仲間になってもらおうとチャンスを狙っていたGSデザイン会議を主宰されている景観ヤクザ軍団の大親分、篠原修さんにお渡しした。

  この頃の特徴としては、環境ジャーナリスト枝廣淳子さんが発行する「Enviro-News」にスギダラ倶楽部の紹介をしていただいたようで(千代田は知らなかった)その読者の入会が相次いだ。さすがに1万人以上に配信しているメールニュースだ。仕掛け人は宮崎支部長の海野さんだった。
日南市役所の河野健一さん(会員No.441)が入会してくれたのが2006年の8月末頃。宮崎支部は日南支所を持つまでになり、その後河野さんが日南のブログ「オビダラ日記」を開設し、日南独自の活動が始まる。
また、2006年10月に札幌デザインウィークで行ったデザインセミナーを機に北海道の会員が増える。セミナーのように多くの人が集まるイベントでの告知勧誘は会員獲得する上でとても効率が良いのである。
 
   
 

■600番 川上元美さん(プロダクトデザイナー)

プロダクトデザインの巨匠、川上元美さんは前述の札幌デザインウィークでのセミナーで講演をしていただいた時に、仲間になっていただく確約を得て、600番をお渡しした。

600番突破は2007年5月末。この間はスローペースだ。スギダラのイベントが冬季には少ないのが原因かと思う。
2007年2月に行った窓山デザインコンペの1次審査関連でのコンペ応募者の入会を含め、建築関係の方の入会が多かった。その中の一人が宮崎支部長の海野さんにスギダラ病の末期的患者に認定された建築家の阿部直樹さん(会員No.554)である。阿部さんには何度が月刊杉の記事も書いていただいているが、頼みもしないのに投稿してくれたりする。やはり末期的症状だ。

 
 

■700番 藤森泰司さん(プロダクトデザイナー)

スギダラ3兄弟と仲良しのプロダクトデザイナー藤森泰司さんは4番目の兄弟として本部メンバーに参画してもらっても良かったのだが、本人がどうしてもキリ番にこだわっていたので、仕方なく(うそ)700番をお渡しした。

700番の突破は2007年の年末頃。期間中のイベントとしては5月に行われた秋田支部の「窓山デザインコンテスト」授賞式や7月に東京で行われた「全国都市再生まちづくり会議2007」、10月には恒例の杉コレクションが都城市で行われる等があり、その関連の入会が多かった。
後に日光・栃木支部を盛り立ててくれる片見雅俊さん(会員No.653)がこの頃入会。

実はこの間2007年の8月ごろに、会員登録のためのデータサーバが覗き見られるという事件があった。会員登録のデータを退避させたり、新しい会員登録ページを再構築したりで、会員番号の管理が困難になってしまったことがある。
そんなこともあって、それ以降は予め会員番号を発行せずに、会員証の準備ができ次第、番号を割り当て発送するスタイルにしているので、発送後にまとめて番号管理を行っている。キリ番に関しても800番と900番はまだ割り当てていない。

 
   
 

■800番 未配布

800を超えたのが2008年の9月上旬のことである。この間、1月に実施したスギダラ天竜ツアーを皮切りにスギダラ3兄弟新潟進出(3月)、関西にて京都北山スギダラツアー、GSデザイン会議in 内田洋行(4月)、東京支部『スギカワ2008 in 武蔵五日市』(7月)、杉コレクション2008 in 日向!第1次審査(9月)と大きなイベントが目白押しだったにも関わらず、会員数はさほど伸びていない。傾向としては、各地で満遍なく会員が増えていっているという感じだ。北部九州、関西、天竜が頑張っており、なぜか今まで会員が少なかった広島県の方の入会が相次いだ。実は2008年6月に近畿大学建築学科(広島)で本部若杉さんがデザインの講義を担当した時の縁でこぞって入会してくれたのである。
後に北部九州支部広報宣伝部長の佐藤薫さんと杉モノ・デザイン展+を実現させた中心人物、造形作家の有馬晋平さん(会員No.729)や現在、月刊杉にて「いろいろな樹木とその利用」を連載執筆していただいている、林業普及指導員の岩井淳治さん(会員No.780)がこの時期に入会している。

 
   
 

■900番 未配布

本当にこの記事を執筆している最中に一般会員900をちょうど突破した。(一般会員904名 2009年6月1日現在)
富高小学校の特別会員約100名を合わせ、会員証発行数1000ということになる。スギダラ仙人認定式と会員数千人がほぼ同時期に達成できたことになる。
めでたい、めでたい! これで名実共に仙人(千人)となった飯干淳志さん、おめでとうございます。
この間は、会員証のモノ自体の在庫が底を突き、会員証の発送が滞っていた時期だ。ちょうどその頃接点があって入会をしてくれた木工職人の藤崎仁さん(会員No.810)の工房にお邪魔して、会員証のストックを藤崎さん自身の分も含め製作していただいた。
2008年11月に行ったスギダラ北部九州支部のビッグイベント「杉モノ・デザイン展+」により、イベントの広報を担当していただき、イベントの成功に多大なる尽力をしてくれたグラフィックデザイナーの長尾行平さん(会員No.824)を始め、九州地区のものづくり仲間のネットワークが拡大。

 
   
 

■1000番 飯干淳志さん(スギダラ仙人)

一方、後先になってしまうが、一般会員の900から999まではこれからの配布になる。銀河鉄道999は誰の手に渡るのであろうか?
はたまた、未配布のラッキーセブン777番、800番、900番は誰の手に!?
スギダラ倶楽部広報宣伝部の悩み?は尽きない。

 
   
  最後に完全ではないが、地区別(県別)の会員分布表を掲載したい。
   
 
   
 

47都道府県で会員がいない都道府県は岩手、愛媛、佐賀のわずか3県だけとなった。

さすがに首都東京は圧倒的に多い。259名もいるわりに実は活動家がそんなに多いわけでもない。特にデザイン系、建築系の会員が多いのが東京支部の特徴。

県単位で見るとやはり東京に次ぐのは日本最大の杉材生産を誇る宮崎県で、特別会員を合わせると200名近い。そのわりには近県の会員数が極端に少ない。宮崎県は木材関係や自治体職員の会員が多いのが特徴。

管轄で言うと東京支部の次は、関西支部で合計131名。この地区はデザイン関係と木材関係の他、ボランティアのネットワークとも繋がりがあるのが特徴。

次は北部九州支部で、2008年の「杉モノ・デザイン展+」で拡大したものづくりネットワークが支えている他には無い特徴をもっている。福岡県の51名の会員もいつの間にという感じで、大阪府と同数だ。

その次が秋田支部で、支部長菅原香織さんの職業柄、大学関係者が多いのが特徴。二ツ井出張所の加藤さんのモクネット繋がりは他県の木材関係者の集まりとちょっと違っており、独特の活動を展開している。

天竜支部の管轄は会員数で言えば結構な所帯になっている。カバーする地域としはちょっと無理があるかも知れないが・・・。木材関係者の会員が多い。

新潟を中心とした上信越地区や四国、中国地区はまだまだこれからという感じだが、まずは南魚沼支部を軌道に乗せるところからだろうか。

 
   
 

以上、会員1000人までの歩みを振り返ってみた。
5年で1000人まで来た。各地区ごとに会員数もある程度把握できてきたので、各地区でも独自に会員管理、会員サポートができるようにして行った方がいいような気がしてきた。今後の課題である。
5年で1000人という数字が示すものがどうであるか、様々な意見もあるだろう。1000人の中でどれだけの人が意欲的に取り組んでいてくれるのか? それも重要だ。しかしながら、何にしても5年やってきた。年々活動もレベルアップしてきたのではないかと思う。各地で有機的にネットワークが機能している証だと思う。継続は力なり!である。この先どこに向かってゆくのか、次に振り返る時が楽しみである。会員2000人突破か?!設立10周年か?!

スギダラの挑戦は続く・・・(ち)

   
   
   
   
  ●<ちよだ・けんいち>インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 テクニカルデザインセンター所属。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部広報宣伝部長
   
 
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