連載  
  あきた杉歳時記/第32回 「動かす力」
文/ 菅原香織
  すぎっち@秋田支部長から、旬の秋田の杉直(さんちょく)だよりをお届けします ・・・・
 

3月最後の金曜日。今年の窓山での活動を相談するため、半年ぶりに二ツ井へ向かって車を走らせた。その日はきみまち塾で能代・ふたつい将来研究会の例会があり、窓山のメンバーも集まることになっていた。

能代・ふたつい将来研究会は、経済・農業・産業などさまざまな方面の専門家を講師に招いて共に学びながら合併後の二ツ井町の将来について研究している。メンバーの伊藤さん(窓山場所の行司?担当)菊池さん(稲刈り指導担当)、鈴木さん(大工のイケメン社長)、中西さん(きりたんぽ鍋指導)、三國さん(シェフ)、高橋さん(シーガルジャパンの社長)。少し遅れて野呂さんや畠山さんも駆けつけてくれた。杉穂さんや杉キッチンの櫻庭さん(元櫻庭木工)も久しぶりに会うことができた。

屋根も設備もなんにもない、あるのは美味しい空気だけという野山の中で、デザインのワークショップと会議をやろうなどと、無謀?とも思える計画にもかかわらず、なぜ窓山デザイン会議は実現できたのか?それはGSデザイン会議の活動支援はもちろんだけど、地元の受け入れ側である加藤さんをはじめ、窓山メンバーみんなが良い意味で「いい加減だった」からである。どうしたらできるかを真剣に考え、多少の不都合は「なんとかなるさ」「大丈夫!」と励まし、一緒に行動してくれる。そんな人たちの存在あったから実現できたのだ。

限界集落を超え、消滅寸前の窓山を再生したいと願う仲間と共に窓山で過ごした3日間は、長い時の流れの中ではほんの一瞬の出来事だったかも知れないけれど、とても大きな意味をもつ出来事だったと思う。後日、忘年会で野呂さんが「春になったら一家で窓山に引っ越して、豚や鶏を飼う」と言っていたと加藤さんから聞いた。なんだか、ものすごく嬉しかった。南雲さんからは、基調講演をしてくれた篠原先生が、いろんなところで窓山を紹介してくださっていると聞いた。これも本当に嬉しかった。小さいけれど、窓山という場所を共有した体験や、語り合ったこと、体で感じたことが、参加者全員の心に「種」としてそっと埋められて、その種はそれぞれの心でふくらみ、発芽のときを待っているに違いない。そう確信した出来事だった。

秋田の県民性は良くも悪くも「おれもさねがら、おめもすな。(おれもやらないから、おまえもするな)」という横並び意識といわれる。成功も失敗も許されない雰囲気がある。だから地元で何か新しいことを始めようと思っても、前例がないからとか、お金がないからとか、人がいないとか、とにかくできない理由をあげられて、如何にそれが実現不可能な夢かを思い知らされる。結局「どうせうまくいきっこない」と何もできない体質になってしまうのではないだろうか。夢をむしり取られ続けると、人はやる気を失う。挑戦する機会もないから、失敗から学ぶこともできない。夢だけじゃ食べていけない。でも夢がなければチカラが湧いてこない。少子化や若者流出の原因もその辺にあるんじゃないだろうか。

最初からうまくいかなくてもいい、高い目標じゃなくても出来るところからでいい、何でもひとりで完璧にやらなくても、できるひとがいればいい。先に成功した人や失敗した人が自らの経験を伝えていく。窓山ではそれが可能だということが、昨年のデザイン会議でわかった。窓山は、実は限界集落じゃなくて、可能性に満ちた無限界集落だったのだ。未来を担う若者に、机上でなく現場で、大人が技や知恵を授ける場所。問題解決のために、志を同じくする人々がともに汗を流しながら活動できる場所。集落再生に取り組もうとする人なら誰でも受け入れられる。私はそんなところに窓山がなっていけたら・・・と大きな夢を描いている。

今年も窓山での活動は続きます。詳しくは北のスギダラで。

 

 
 
 
能代・ふたつい将来研究会のみなさん   カメラ目線のイケメン社長
 

 

   
   
   
   
  ●<すがわら かおり> 教員
秋田公立美術工芸短期大学 産業デザイン学科 勤務 http://www.amcac.ac.jp/
日本全国スギダラケ倶楽部 秋田支部長 北のスギダラ http://sgicci.exblog.jp/
   
 
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