連載
  杉と文学 第10回 『高野聖』 泉鏡花 明治33年
文/写真 石田紀佳
  (4コマまんがのおまけもあります)
 

去年からヒルに興味があったので読んでみました。 ヒルのシーンがあることをなんとなく知っていて、高野山なら杉も出てくるだろう、短篇だし、と。

けれども舞台は飛騨の山越え、しかも少しは杉が出てきてよさそうなものを、ちっとも出てきません。かわりに檜がこのお話の重要な役割をします。 松本へぬけようとする道が二手にわかれています。本道らしき道を行こうとすると

「今いうその檜じゃが、其処らに何にもない路を横断って見果てのつかぬ田圃の中空へ虹のように突き出ている、見事な。根方の処の土が壊れて大鰻を捏ねたような根が幾筋ともなく露れた、その根から一筋の水が颯と落ちて、地の上へ流れるのが、取って進もうとする道の真中に流出してあたりは一面。」 先の道が水浸しになって見えるので、高野聖(以下上人)は躊躇します。

躊躇したのが運のつき、けっきょく本道でない旧道をいくはめになります。 いけすかない奴だと思っていた富山の薬売りが先にその道を行っています。上人は偽善的な気持ちで彼を追います、檜笠をかぶって。

旧道にいったがために物語は展開しますから、檜はまさにキーな木ですね。

さて、上人は大嫌いなヘビにあいながら、いよいよ山蛭(やまびる)の潜む森へ入っていきます。しかし、そのちょっと前に、ようやく杉がさりげなくあらわれます。 「今度は蛇のかわりに蟹が歩きそうで草履が冷えた。暫くすると暗くなった。杉、松、榎と処々見分けが出来るばかりに遠い処から幽に日の光の射すあたりでは、土の色が皆黒い。」

(あまりに杉が出ないので、泉鏡花は杉を知らなかったのではないかと思いながら読んでいたのですが、そりゃあ知ってますよね) まだ修行を積んでない若い上人は「先ずこれで七分は森の中を越したろう」とぬか喜びしますが、そのとたん蛭にみまわれます。けっこう気持ち悪い場面ですが、おもしろい。

「凡そ人間が滅びるのは、地球の薄皮が破れて空から火が降るのでもなければ…(中略)…、飛騨の国の樹林が蛭になるのが最初で、しまいには皆血と泥の中に筋の黒い虫が泳ぐ、それが代がわりの世界であろうと、ぼんやり。」 蛭の森を命からがらくぐりぬけます。これから先の肉付きのいい年増の女があわわれるところは、興味のある方はそれぞれにお読み下さい。

一見甘い、しかし蛭の森よりもおそろしい罠が、うぶな青年にまちうけているのです。

ところで泉鏡花は金沢の出身。わたしは幼少のころから高校生まで金沢にいたのですが、中学高校生ぐらいのときにはそこから出たくて仕方なかったので、金沢にゆかりのある作家というだけで敬遠してきました。誤解されても困るのですが、金沢の文化に馴染めなかったのです(日本の文化とおきかえてもいいです、書くと長くなるしややこしいので、これについてはまたいつか)。 それで、今回この年齢になってはじめて読んでみたのですが、これが幻想文学なの? と気がぬけました。ヒルのところは別として、けっこうありきたりなストーリーです。ある種の男の人には、あからさまに欲情をわきたてさせるシーンがあってたまらないのかもしれませんけど。。。女に息をふきかけられてヒキガエルやサル、ウマになりそうな人たちには。。。と、いじわるをいうのはよしときましょう。

でも、そういうところをぜんぶとっぱらって(作家の意図も別にして)このお話の普遍性をみたならば、どうでしょうか。

このお話のはじまりは、 「参謀本部編纂の地図をまた繰り開いて見るまでもなかろう、と思ったけれども、余りの道じゃから」です。

  彼は地図を見た。しかし、地図を見ても人は迷うのです。
   
   
   
 
→おまけスギボックル その20
   
   
   
  ●<いしだ・のりか> フリーランスキュレ−タ−
1965年京都生まれ、金沢にて小学2年時まで杉の校舎で杉の机と椅子に触れる。
「人と自然とものづくり」をキーワードに「手仕事」を執筆や展覧会企画などで紹介。
近著:「藍から青へ 自然の産物と手工芸」建築資料出版社
草虫暦:http://xusamusi.blog121.fc2.com/
ソトコト10月号より「plants and hands 草木と手仕事」連載開始(エスケープルートという2色刷りページ内)
   
 
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