連載
  続・つれづれ杉話 (隔月刊) 第2回 「熱いドイツ人
文/写真 長町美和子
  杉について、モノづくりについて、デザインについて、日常の中で感じたモロモロを語るエッセイ。 
 
今月の一枚
  ※話の内容に関係なく適当な写真をアップするという身勝手なコーナーです。
 

近所の駐車場のブロック塀から盗んできたツタ。の一輪挿しの影がきれいだな、と思って。去年のツタは根っこが生えてかなり成長したのだが、管理担当者(盗んできた本人)がきちんと水を換えないからドロドロになって死に絶えたのだった。これで3代目? 今回は長生きするだろうか。

   
  テーブルの葉っぱ
   
   
 
   
  熱いドイツ人
   
 

この夏、ずーっとかかりきりだった書籍の仕事がようやく一段落ついた。といっても自分の本ではなくて、日本で活躍している彦根アンドレアさんというドイツ人女性建築家の本のお手伝い。もう長く日本に住んでいて、ご主人も日本人なので日常会話にはまったく困らない人なのだが、「書くのはムリ」だし、ドイツ語をプロの翻訳家に翻訳してもらうと、「だいたい建築のこと知らない人だから、こんなことワタシ書いてないよ!ってなる」ので、彼女が話す日本語や、ローマ字で綴られた難解な「日本語風アンドレア語」をもう一度日本語に翻訳するという珍しい仕事を請け負うことになったわけ。

不思議なことに、彼女は自分では書けなくても、書かれたものをひらがなで読めば(あるいは読んで聞かせてもらえば)、かなり複雑な言い回しを使った長い文章でも善し悪しがわかる。短い説明的な文章ではなく、臨場感のある、感情がこもった、文学的な長いセンテンスの方が好みらしい。それでも、装飾が多いだけの技巧的な文章は受け付けない。頭の中では日本語で思考しているようで、目の前でさらさら書き込んでいるメモを見ると、KOKO KAKINAUSU=ここ、かきなうす(書き直す)などと書いてある。当初はドイツ語でいったん原稿を用意してもらって、それを日本語で語ってもらおうかと試みたこともあったのだが、語彙が足りないのでドイツ語の微妙なニュアンスが表現できない。それに、言語が違うと、思考回路も違うらしく、そのまま頭から日本語にしても、同じ内容にならない。

人間の脳ミソのしくみって、なんて面白いんだ! 私たちは何かを「考える」時、あるいは「感じる」時、それを無意識に言葉に置き換えているらしい。幼い頃にいろんな理由でどこか一つの国の言語を母国語としてしっかり身につけるチャンスを逃すと、会話はできても論理的な思考ができなくなるのではないか、と、あるドキュメンタリー小説に書かれていたのを読んだことがある。たしかにそうかもしれない。自分の元になる言語がある、というのは、その言語の背景にある文化を知らず知らず受け継いでいるということで、すなわち自分のアイデンティティが築かれる、ということにもつながると思うのだ。日本語は主語があいまいでも成立する、とか、言いたいことが文末にならないとはっきりわかならない、とか、そういう特性が日本人の思考に影響を与えているのかもしれないし、逆に、そういう民族だからそういう言語が発達したのかもしれない。と、少々道がそれてしまったけれど、思考の元は「言語なのだ! (感性が伴わなければダメだけどね)

事実関係の説明ならまだしも、デザインや建築といったアートと理論と技術がないまぜになった思考を、他人が推測しながら言い換えるというのは至難の業だった。これは翻訳というものではなくて、「言い当てる作業」と言った方がいいだろう。聞いた内容だけでなく、こちらでも補って創作しないと本人の言いたいことに追いつかない。

かくて、「聞き書き」とも違う、まったく別物の読み物ができあがった。高い知性、鋭い感受性、深い洞察力、想像力、創造力を持っていながら、日本ではずっと日常会話のレベルでしか建築を語れなかった建築家は、「自分のコト自分で読んで楽しんでる」と喜んでくれている。
本が出るのは12月(まだタイトルが決まっていないので、お知らせは次の機会に)。彼女のつくる「サステイナブル建築」の例として本の中で取り上げられた建物は木造ではないし、杉も使われていないけれど、地球環境について、エネルギーについて、森の保全について、太陽や水や植物の関わり、そこで人間がどう暮らしていくべきか、などなど、これからのモノづくりに役立つことがたくさん詰まっているので、建築に直接関係のない人にもぜひ読んでもらいたいと願っている。

彼女の言っていることは至極まっとうで、すがすがしい。「正直なモノ」を「正しいと思える手法」「適当な素材」で「できるだけエネルギーを無駄遣いすることなく」「当たり前に」つくっていけば、地球上の生き物みんなが幸せになれる、と彼女は言う。建築の話から世界平和まで! いやいや、実に壮大な内容だ。考えてみれば、自分が気持ちのいい暮らしをするには、隣の人も、他の生き物も、山も川も海も、地球全部が気持ちよくつながっていなくちゃならないのだ。スギダラも熱いが、ドイツ人も相当熱いのだった。

   
   
   
   
  ●<ながまち・みわこ> ライター
1965年横浜生まれ。ムサ美の造形学部でインテリアデザインを専攻。
雑誌編集者を経て97年にライターとして独立。
建築、デザイン、 暮らしの垣根を越えて執筆活動を展開中。
特に日本の風土や暮らしが育んだモノやかたちに興味あり。
   
 
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