杉コレの一次審査が9月上旬、最終審査が開かれる「宮崎やまんかん祭り」が10月下旬の約一か月半、森会長、若松専務理事、持永実行委員長、各部会長をはじめ会員の心労は頂点に達していたと思う。
それでも、実行委員長は作品の4件に関わり、専務理事は杉の魂を凝縮したような作品と格闘し、杉コレ部会長は会場設営まで担当していたのだから、かなりの負担だったと思う。そう考えると私は苦労した、というより、不安だったといった方が適当だという気がする。最終候補作を眺めつつ、予算書のことばかり考え、実務も何をどうしていいのか、不安ばかりが先に立った。
具体性を持たない困難は不安を煽るばかりだと、積算資料のようなものを作ったのだが、これが概算ばかりの実態の見えぬお化けみたいなもので、制作方法が目に見えてこない。
謳い文句の100m3は、基準であって想定内だったが、実際は加工・施工費が最もかさんで、ちょっとした仕様が思わぬ経費を呼ぶ。
一様に杉コレの作品というのは、矜持の高い作品群で、それが最も大きな困難で経費もかさむ点であり、最も大切な点だっただろう。
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