この社会実験のあと14日・15日に開催された「AKITAカジュアルアーツフェスタ2007」で歩行者天国を実施した際にも、ストリートライブアーツのステージ前に傘杉縁台を設置して、来年度秋田県北秋田市で開催される全国植樹祭の会場に設置される予定のベンチやスギ屋台とともに、そこだけ「スギダラフェスタ」になっていたのでした。(こちらの様子は北のスギダラをご覧ください。)
それにしてもここのところ秋田でも「地域資源活用」「まちづくり」といった言葉をよく見聞きするような気がします。先月の新宿で開催された全国都市再生まちづくり会議でも、いろんなタイプのまちづくりの手法が紹介されていました。地域資源も自然、特産物、景観、歴史ある建物、路面電車、芸術祭、地元出身アーティスト、商店街、イベント、学生の参画など、それぞれが知恵と工夫をこらして取組んでいるのが印象的でした。どの団体も「使命」と「情熱」にあふれたプレゼンテーションでしたが、短い時間とパネル数枚分の宣伝コーナーだけでその「価値」を伝えるのは難しいなと思いました。じっくりお話をすると伝わるのですが...。その点、スギダラ&ミヤダラは展示ブースも見る人を引き付ける魅力があったと思うし、スギコロにメッセージをこめて配付して、見る、聞く、だけでなく触って、匂いを楽しんで、と五感に訴えるものがありました。御承知のように全国都市再生まちづくり会議でスギダラは「まちづくり大賞」をいただきましたが、素晴らしい活動はほかにもたくさんありました。でも何故スギダラが投票によって大賞に選ばれたのか?新宿杉談義でもそのことが話題になりました。いくら素晴らしい価値ある活動でも、伝え方によっては感動や共感は生まれない。新しい価値を発見して自分達だけで喜んでいるだけでなく、その価値がいかに素晴らしいものであるかを分かってもらう努力が必要なんですね。共感を呼ぶ夢をカタチにすること。発見した新しい価値を、最適な媒体をもってカタチづくること。つまり「デザインすること」がスギダラにとってアキレス腱なのではないかと。
今一度杉談義のときとったメモを読み返してみました。
「まちづくりは合意形成の結果。では必然性のあるデザインとは何なのか?」
「いいデザインとは普遍的なモノなのか?最終的アウトプットは地域によって違うのでは?」
「本当にその地域にとって大切なデザインについて考えなければ。」
「ノリは大切、でも必然性のあるデザインとは違うのではないか。」
「価値あるデザインとは、経済的要因が変わっても変わらないデザインなのでは?」
「自分はデザインの本質を見失っていないか。」
「スギダラはもっとデザインをちゃんとやらないと崩壊する」
「スギダラとデザイン」について、いつかまた杉談義をしたいですね。以上の問いかけは、そのときまで宿題にしておきましょう。 |