不定期連載

かみざき物語り 第7回
文・写真 / 田丸貴久 / 構成・南雲勝志
もうすぐ橋が架かる上崎地区、架橋を通してまちが動く!?
 
 

かみざき物語り今月号は田丸貴久さんに登場していただきました。
上崎橋の高欄の手摺りは約20cmの杉材になります。その手摺りを田丸さんに加工していただいています。
田丸さんだから専門は丸太です。
工場は延岡、上崎橋の下流にあります。現場や住民との打合せには、にもいつも顔を出してもらっています。製造の現場から見た上崎橋は・・・南雲勝志

 

 昨年12月の第一回上崎プロジェクトで、大きな盛り上がりの中伐採された杉の木は、2月の玉切り・搬出作業を経て約6ヶ月の乾燥の後6月に我がミサイル工場へ搬入された。
 上崎の人たちが手塩にかけてきて上崎橋の高欄手摺にと寄付してくれた大事な杉材を、梅雨で傷ませては大変と、すでに雨が多い中空をにらみながら作業を進めた。
この時期の材や製品の管理は難しく、雨には濡らせないが風通しが悪いとすぐにカビがくるし、かと言って晴れの日の宮崎はすでに日差しがきつく気温も高くて、乾燥した丸棒製品はすぐに割れが入ってしまう。要するに加工を始めたら一気にモックル処理(無害・無毒の薬剤を注入して長期間木の性能を保つ夢の防腐処理)までやってしまいたいのだ。
そのため加工工程をしっかり考え、製材や大工さんのスケジュールも滞ることないよう調整した。
カンタンに説明すれば、丸棒加工→高欄へ取付ける為の1面落とし→背割り・定尺カット→連結金具のための穴加工→そしてモックル処理となる。途中移動の時などに限って雨に降られ(やはり温暖化の影響か?)スコールのように突然!ザアッときたかと思えば、しばらく降ったら晴れ間が見えたりと。その度シートを掛けたり、はぐったりと忙しい。(もちろんほとんどの時間は屋根下にあったのだが、海野さん曰く「田丸さん、雨男やね。」)
どうにか無難にやりぬけて現在は注入も終わり、ミサイル倉庫で出番をまっている。

  モックル処理も終わり、仕上げの後取付へ

   加工形状も長い時間をかけ、南雲さんやヨシモトポールと植村さん、海野さんとで「あーでもない、こーでもない。」「あーしたら、こーしたら。」と何度も話し合った。手摺の取付けも地元を中心にイベントとして多くの人と行う予定なので、シロートがいかに簡単かつ安全に取付けられるか、また頑丈でなお且つメンテや交換がし易いようにと、試作品を作りながらやってきた。それでもこの初めての事に(よそでもあまり聞いたことがない)準備してもしきれない様に感じていた。

   

 さてさて肝心の上崎プロジェクトは、前号までにも報告されてきたように色々な展開を見せつつも進んできたが、そしてまたさらなる展開が・・・。

 先日10月5日に振興局の植村さんと谷本さんと3人で上崎地区の打ち合わせに参加した。
開通式前日の手摺りの取付イベントとトロッコ製作や駅舎のリニューアルに関する打ち合わせだ。前々から地区としてはイベントよりもオフィシャルな開通式を重要視しているということはこの物語の中でも述べているが、開通式の準備が思うように進んでいないようであった。というのも、これまでならば当たり前と考えられていた行政側(町)からの開通式への支援が、合併、人員削減、財政事情などから見込めなくなり、全て(事前準備、予算など)を住民の手で行わなければならなくなったらしい。
開通式の準備が思うように進まないことから、開通式担当の区長を中心とする年長者グループ、イベント担当のふるさとづくり会長を中心とする若手グループともに少し苛立っているようであった。

そんな少し重苦しい雰囲気の中、はじめに手摺りの仕上げ作業とその日程調整、そして取り付けについて話し合われた。

住民の一番の心配は、それにどれくらいの時間が掛かるかであった。なにが何でも取り付けてしまわないと翌日に開通式なんて迎えることができない。しかも2mの手摺りを100本である。絶対に失敗は許されない。そのため、町内の小学生や父兄をより多く集めたイベントにすることにした。更に、手摺りの取り付けイベントと開通式の間に1日の余裕を見ることにした。
取り付け前の仕上げ作業(ヤスリによる磨きと塗装)は、住民自らが仕事の合間に作業したり、町内の特産品展示祭りなどで作業自体をイベント化することで、なんとか10月末までには仕上げ作業を完了させることとした。

 
  200φへ丸棒加工

 
  宮崎空港の駐車場で出発前の一瞬の時間を利用して。
「う〜ん。」金具との取り合いを検討

 
  10月5日の打ち合わせ。
このあとひとつの大きな決断が・・・。

 
  9月16日に行われた活動で広くなった小屋。 この日ベンチ作りも平行して行われた 。

 

 話し合いの内容がトロッコ製作と駅舎のリニューアルに移った。
スギダラと地元との役割分担、イベントととしての広報手段や人集めの方法など問題は山積みだった。さらに、地元住民が主体となった開通式の準備、住民の殆どが従事する稲刈り、費用負担など、まずはトロッコ製作と駅舎のリニューアルが実現できるかどうかが問題であった。
第1回のワークショップ(スギの伐採)から約1年、プロジェクトの企画段階からは約2年の月日が過ぎようとしている。橋の完成と地区の未来について私たちとともに議論してきた比較的若い世代の数人(ふるさとづくり協議会のメンバー)はイベントも開通式もどちらも同じように成功させたいと考えていた。しかし、かなり厳しい現実と直面し、みんなうつむいたままだった。

 これまでのまちおこしのためのストーリーづくりで
・橋が架かること、台風被害に伴うTR(高千穂鉄道)の廃止問題など、今まさに地区にとって  はチャンスであること。
・お金、時間、労力とかじゃなく地元を盛り上げようとする熱い気持ちが大事であること。
・そして、なにより熱く、楽しく活動することが大事なこと。

それはみんな分かっていた。しかし、このままでは開通式、手摺りの取り付け、トロッコ・駅舎のリニューアルも全てが中途半端になるかもしれないと危惧していたようだ。
 盛り上がらない・・・。
あとさき考えずにとにかく頑張ろうとしない住民に正直苛立っていた。「地区には24戸の住民しかおらず今時は稲刈りも忙しい、お金もないとなれば開通式と手摺りの取り付けだけでも大変なんだ。」と言うことか。「仮に失敗してもいい、だれも責めないし、これからの地域のためには少しくらい無理をする必要もあるのではないか。」と、言葉が出かけた。
 「田丸さん、今回はやめときましょう。地区に大きな負担をかけてまでやっても意味ないしスギダラは呼べないですよ。」植村さんがそっと言った。半分同感だったが、どうにかならないか諦めきれないでいた。

 若者のひとり藤本隆雄さんが「トロッコや駅舎のリニューアルができなくても、上崎橋開通式の日は駅の清掃、駅周辺の草刈りなど、これまでの感謝を込めて迎えようと思う。今回はトロッコや駅舎が無理でも次回やることにしても良いではないか」と言うと、年長の甲斐靖さんが「駅周辺に植樹しようと思って木を注文したから、それだけでも植えればいいじゃないか」と言いだした。

 確かにそうかもしれないと思い直した。自分たちが確実にできる範囲で、地区の和とまとまりを大切にしながら一歩ずつ前進していこうとするこの地区ならではのやり方も尊重する必要があるのではないか。長年の悲願だった橋の完成は地元関係者にとってそれはそれは大きな喜びだろう。
そこに自分達のような外部の人間から「橋づくりと共に地域づくりをしましょう」と聞き慣れないことを言われ、さらには初めて試みるような提案をされたりと戸惑いが多かったのだろう。
「小さいながら非常にまとまりがよい地域でいつもたくさんの人が集まる。だから違った価値観を地域として消化するのには2年は短かいのかもしれない、でも本当はわかってくれる人もいるのだ」などと勝手に自分達の提案を正当化し、押しつけていたのかもしれない。
 
地域づくりに参加しながら、良くも悪くも地域の人たちに問題を提起しながら人づくりを担っていると勝手に自負していたが、一番成長させられたのは自分ではないかとも思った。
 
 トロッコと駅舎のリニューアルはとりあえず保留となったが、まだ諦めたわけではない。他のやり方がないか検討することで打ち合わせは終わった。

橋の工事は完成に向け着々と進んでいる。10月中ごろには袖柱が、終わりごろには親柱ができあがる予定だ。

 
  完成が近づく上崎橋の遠景。はやく渡りたいなぁ
   

 

●<たまる・たかひさ> (有)マルウッド

 


 


   
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