連載
 

スギダラな一生/第93笑 「鬼塚電気工事株式会社の事」

文/ 若杉浩一

   
 
 
 

ある日、JR九州の津高さんから連絡が来た。
「若さん、鬼塚電気工事という会社の社長の尾野さんが、新社屋のデザインば頼みたからしいです、相談に乗ってもらえんですか?、若さんのセミナーば、聴いております。」と連絡が入った。
僕のセミナー聞いて、デザイン頼むとは余程の変態か、普通の頼みではない事はすぐに理解できる。間も無くして、尾野社長から連絡があり、ミーティングをした。とにかくコロナ禍の真っ最中なので、早々に会う事もできず、資料とオンラインのやり取りが始まった。
そして、尾野社長の資料が届いた。それが以下である。

家庭では、お互い直接話しをしなくても家族同士の会話などから誰がどんな予定なのか体調はどうだ、精神状態までくみ取れることが多いと思います。
社員の少ない時代は、社内もワンフロアで社員間の会話や客との電話のやり取りなどで、誰の仕事はうまくいっているかどうか・・を推測できて、問題を抱えていそうな社員を影ながら見守ることなども可能でした。

しかしながら、社員も増え、ひとつの大部屋で執務することもできなくなりました。工事の現場代理人業務も、大型工事が増えより煩雑になり現場に常駐することが増えて昼間に社内を不在にすることが増えました。
また携帯電話の普及で社員の電話内容も分からず状況予測も難しくなっています。そのようなことで、同じ部署の社員同士、部門内、私たち管理職からも社員間のコミュニケーション状況は、定時の会議報告のみになり不安です。

働き方改革の一環で、業務の始業時間が遅くなり8時からに変更。現場で作業をする技能職の社員達は、8時までに各作業所へ行く必要があり毎日早出をするので8時からの社内朝礼に出席できなくなりました。(それまでは7:20から安全朝礼を行い、現場作業員を送り出していました。それで健康状態などを直接確認できていた)結果として毎朝の部署毎の点呼も対面ではないので形骸化を心配しています。現場技能者も帰社すると打ち合わせも少なく帰宅しているようで他の社員達との会話も少なくなっているようです。

また、コロナ禍で、各種ミーティングも、月1回集まる全体会議も時間短縮で会社の状況や目指すことなどの共有や徹底もできているか、グループウェアなどを導入したものの不安です。

今後のコロナの状況次第では、自宅から直接現場へ出勤したり、在宅で勤務する可能性はありますが、私の方針として基本的には、家族間のような阿吽のコミュニケーションがはかれるオフィスの実現を望みたいです。そのために2Fを大きな執務スペースを予定しています。コミュニケーションを向上させるオフィスの有り様を探りたいと思います。

ちっとも会社の業績や、売り上げや、技術の行方や、戦略など一切なく、「ひたすら社員の毎日を思いやるメッセージに感動した。そして僕がプレゼンの最初のページに書いたこと。

   
 

「いつも、作ることが優先され、未来とか、社員の幸せとか置いてけぼりになる。
作る人も一生懸命で、関わっている人も一生懸命なのだけど
何かを置き忘れている。
そんなことばかりの、社会と、私たちのくらし」

 
  Graphic:MAIKO MORI
   
 
  「裏も表もありません

自分を、さらけ出して

社会に向かいます

会社という共同体

自分達の生態系を

見せる・魅せる職場

全ての面倒、引き受けます

余計なお世話します。

それが鬼塚電気工事株式会社。」
Graphic:MAIKO MORI    
   
 

こんな、ヘンテコなコンセプトあるか?と自分で思ったが、この会社は、裏も表もない素直な気持ちと社員全体で、このプロジェクトに挑むことが大切なのだ、その愚直さが、今回のプロジェクトには必要だと思ったからだ。
それから毎週、ミーティングが始まった。建築設計は東九州設計工務という地元の大手設計会社が決まっている、そこにヘンテコなメンバーが介入するのだから、設計側はあまりいい感じはしないはずだ。担当が若手の木島さんだった。社長とも顔合わせ、自己紹介、プレゼンをした。その場で意気投合し、地元チームといい関係が出来上がった。兎に角今回はZEB認証のオフィスビルである事は基本にあるのだが、単にハイテクだけではいけない。それでは大手がこれ見よがしにやる技術自慢と一緒になる。地域の電気設備会社だから、できることを出来るだけ見せていこう、自分達の仕事を、見せて、ものづくりのプロセスをお客様に見せる。地域の人達の素材で、地域の人達と一緒に作り、今まで関わってきた作家や、アーティストにも手伝ってもらい(沢山のアート活動を支援している)、沢山の仲間達と作り、その事を、お客さまに、自らが語り、もてなそうと考えた。
自分達で考え、作ったものには言霊が宿る、沢山の人が絡めば絡むほど、こだましあい洗練される、そしてその言霊に、人は魅了されるのだ。
だから毎週の打ち合わせには、たくさんのメンバーが参加した。だんだん、メンバーの結束も高まり、信頼が生まれ、いい感じでチームは動き始めた。
コロナ禍ではあったが、何か起こると僕たちはすぐに、日帰りで大分に出かけた。
いろいろな事があったが、2021年から始まったプロジェクトは2022年の春に竣工する事になった。出来上がって僕らは社員のメンバーにある事を伝えた。
「皆さんと一緒に、建物は出来上がりましたが、本当に完成させて行くのは皆さんの毎日のお客様に対する対応や、説明や、おもてなしです。テクノロジーや、製品や、空間は一度見れば終わりですが、人のもてなしや情熱は、どんどん洗練されて、それが人を魅了し、何回も訪れる事になるのです。」
「うちのメンバーと一緒にもてなしの練習を楽しみましょう。」
奥ちゃんチームに頼んで、地元の食材、そして自分達の力で、宴のデザインをすることをやった。
最初は何でそんな事まで?ケータリングにすれば?どこか居酒屋かレストランにでも行けば?ここは職場だし?と言う空気が流れるのは当然である。
僕らは、仕事とは、業務であり、業務以外の事はやらない、職場は仕事の場であるから、そんな事を会社に持ち込むとは、如何な事か?と思い込む。当然のことである。
「会社は職場で有り、仕事以外の事をやるべきで無い。」
「会社は仕事の関係で成り立っていて、あまり人の関係に関わりたくない。」
「お金貰って働いているので、お金と関係のないことはやりたくない。」
しまいには「会社とは仕事だけをやる場なのだ、黙って、言われた事だけやれ!!」
「出来るだけ、面倒なことは避けて、手っ取り早く儲けて来い!!」
こんな、組織、会社に魅力や愛を感じるだろうか?仲間を思いやる関係ができるだろうか?
まして、大切な顧客の事に想いを馳せるだろうか?
お客様との間に真の仲間意識?パートナー意識は構築できるだろうか?
深い関係性、信頼は、必ず面倒臭いのである、なぜなら人間が一番合理的でなく、面倒くさく出来ているからだ。
人間は、経済的な行動原理だけで動くのではなく、文化的な(大切なこと、守るべきこと、信頼、感謝、美意識、共同体)行動原理によって動くのだ。その事を忘れてしまって、私達は、お金さえ儲ければ、幸せになれる、経済的成長こそ人間の目的なのだ、と思ってはいないだろうか?
確かのそのことで物理的に豊かになったし、食べるのも困らない。しかし、お金のことばかり気にして、いつも不安で、誰かと比較をし、経済や技術、都市や海外に憧れ、いつまで経っても自己を肯定できないでいる。こんなに素敵な環境で、素敵な仲間と、尊い仕事をしながら、目の前に人生を左右しかねない、顧客がいるのに、接点を避け、刹那に生きる。
そして「あいつとは違う、俺には〇〇があるから。」と自らの壁を立ててしまうのである。
どこにでもある状況である。
本当はみんなと繋がりたい、認めてもらいたい、許したい、と思っている。
なぜなら、人間の幸福感の目的がそれだからだ。結局他人との関係性で人間は生きている。
だから、どんなにお金を持っていても、権力や役職を手に入れても、不安でたまらない。
沢山の経営者、リーダーに会ってきて本当に感じた事だ。
だから社員が家族のような関係で信頼し合い、仕事に誇りを持ち、助け合いながら生業を続けている会社こそ「幸せな職場」だと言えるし、そんな会社に仕事が集まるのだ。
だから、冒頭の尾野社長からのお手紙は、まさしく、そんな事を憂いていたのだ。
だから、最後は、社員が、仲間が、成し遂げるしかない、社長では出来ない事なのだ。
社員が、お客様との間で築き上げるしか無いのだ。
最初の練習は、まあまあ、恐々と出来上がったが、次第に社員の心が開き始めた実感は、少しは、あった。
しかしそれからが凄かった、沢山のお披露目の会、見学、時々送られてくる写真に、驚いた来訪者の楽しそうな笑顔、もてなし、案内。そして毎月の絶えることのない訪問者の数。
「若杉さん、旅行代理店から、ツアーの企画したいって来ましたよ。」尾野さんの嬉しそうな声に、とても感動した。やっぱり解るのだ、ここにある魅力の本質が。そう確信した。

多くの地域、企業、行政どこも一様に、自分達の魅力や可能性に目も向けず、売れるもの、観光、ブランディングばかりに目を向け、あれが無い、これが無いと言う。
結局どれも、経済的持続性ばかりに目が眩み、人という文化的持続性を忘れているのである。
長い間に先人達が作ってきた、経済的発展こそ「幸せ」であるという魔術から目が覚めないでいるのだ。この事はエリートや成功者こそ、そうなりがちだ。なぜなら自己否定に繋がるからだ。信じたく無いのだ。だから、コンサルティング会社や、専門家にすがり安寧を得ようとする。答えは自分達の足元に、手の中にあるのに。
思想家のイバンイリイチは、私達は、自分達が作った道具(仕組み、ツール、思想、ルール)に縛られ真に人間としての創造性や、幸せを忘れてしまっている。今こそ、人間らしいコンビビアル(懇親という直訳)な社会が(自律:自らを表現し、協生:共に助け合い生きる共同体)訪れるべきだ、と言っている。
本当にそう思う、そしてそう思っている人が沢山いるはずだ、そうでないと鬼塚電気工事にあんなに人が集まるはずがない。
私達は見えなくなった新しい価値:文化的資本の存在を形にし、その姿を露わにし、次の社会へとデザインしなければならないと思う。
そう社会のデザイン、「社会造形」の時代の始まりなのだ。
尾野社長から「役員の葬儀を会社で行いました。」、春に「花見を会社で行いました。」と報告が来るたびに、この社屋は、「働く場ではなく、暮らしの場」になったのだなあと、思うのである。素晴らしい未来を期待して。

共に作った、沢山の仲間達に感謝の気持ちを込めて。
   
   
   
   
   
 

●<わかすぎ・こういち> デザイナー
武蔵野美術大学 クリエイティブイノベーション学科 教授

日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長 
月刊杉web単行本『スギダラ家奮闘記』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka.htm 
月刊杉web単行本『スギダラな一生』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka2.htm
月刊杉web単行本『スギダラな一生 2』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka3.htm

   
 
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