スギダラツアー2019 in 山形
 

The タニチシステム

文/谷知 大輔

   
 
   
  1.『やばい仕事があるぞ』
   
 

始まりは一本の電話。
当時パワープレイスにいた若杉さんから突然連絡があった。
『谷知くん、やばい仕事があるぞ。やらんか?』
細かいこと聞いたらダメな雰囲気を察し、
「やります!ところでどんな内容ですか?」と答えた。
メッセージで送ると言われ、電話を終えた。
すぐにフェイスブックのメッセンジャーが送られてきて、
『谷地くん高畠の町有林を建材にしたり、集成したりする仕事をやらんか??』
と来た。
めっちゃやりたかった仕事やん!!もう谷知の「ち」の漢字が違うことなんてどうでもよかった。「やる。やります!やらせてください!!」と狂喜乱舞しながら、返信したことを今でも鮮明に覚えている。
高畠町のプロジェクトでは、町産木材を使うことが当初から計画されていたが、従来どおりに工事業者が材料を準備していては、町産木材の納期が間に合わないことが受注後に判明したそうだ。そのため設計段階から建材を準備することが決められた。(図1.)
地域の木材を利用して設計段階から材料の段取りを行うには、丸太から各建材(床、壁、天井、柱、造作用集成材など)を作る工程を、地元の業者と連携しながら一括して監理する必要があった。今回その役割を私が担うことになったのである。
しかし当時の僕はこれが本当にやばい仕事だとまだ知らない。
※当時の谷知の所属はNPOであった。

   
 
  地域材を利用する際の納期の問題
   
 
  2.粘着質の粘り腰
   
 

高畠町の関係者との打合せが始まり、高畠町役場の職員、高畠町の製材業者3社、町有林の伐採を担当する森林組合が集まった。しかし、集まったものの、会議中腕を組んだままで、ほぼ目が合わないし、『冬場は木が凍るから、製材はできない。』『高畠の木はとび腐れが多いから内装には適さない。』など、出来ない理由がたくさん並んだ。このままではアカン!そう思い、無理にでも話を引き出すために、執拗な個別訪問アタックを行うことを決意した。
伐採、製材それぞれの現場に何回か通って、粘っている内に、徐々に会話ができるようになってきた。しかし、まだ会話の中には出来ないと思う理由、難しいと思う理由が並んでいた。木材の流通はとても複雑で通常、森林の伐採業者や製材業者、特に高畠の事例のような小規模の製材業者は自社の工程以降、木材がどこに流れ、どのように使われているかを知ることは少ない。
そこで、パワープレイスの小林さんに頼み、完成イメージの動画やパースを見せて、改めてコンセプトを説明してもらうことにした。すると、それまでは、やや後方に体重をかけ、椅子にもたれるように座っていたが、前のめりに画面を覗き込むように動画を見ているときに私は潮目が変わった!と感じた。動画が終わった後、このプロジェクトを進める上で大切な3つのことを再度説明した。

@高畠町の製材業者による製材の後、乾燥、二次加工と他の業者を経由するが、高畠町に戻ってきて、図書館と遊戯場の建材になること。
A高畠町の木材は節やとび腐れがあるが、町産材は限りある資源であるため、内装でも使っていく必要があること。その見た目の限度、節の補修等のやり取りは全て谷知が間に入って加工業者、設計とやり取りすること。
B冬場、丸太が凍る時期であっても、何とか製材していただかないと、構造材の納期が間に合わなくなるから、是非協力して欲しいこと。
十分納得はしていなかったと思うが、やってみよう!ということで漸く、前に進みだしたのが、雪がちらつきはじめた2017年の11月頃だった。

   
 
  3.タニチシステムの誕生
   
 

製材が始まり、1か月ほどしてから、進捗や課題の共有のため製材所に向かった。この年の冬は元々雪が多い高畠でも異例なほど降り積もった。そのためレンタカーの運転は怖いのでタクシーで製材所まで向かった。
製材所に着いてすぐに私は凍る丸太を挽くための工夫に気がついた。話を聞くと、元々井戸水を汲み上げていたので、それを引っ張ってきて、丸太にかけて溶かしてから製材している。ということであった。他の製材所も刃物を変えたり、製材方法を工夫したりして何とか仕事を進めていることを自慢げに話してくれたことがとても嬉しかった。

   
 
 
凍った丸太     散水による丸太の解凍
     
 

打合せを終え、タクシーを呼んで帰ろうとした時、製材所の社長の息子から声をかけられ、駅まで送ってもらうことになった。当たり障りのない会話をして、駅が近くなった時、急に彼が、
『おやじがね、仕事をしているのを久しぶりに見ました。』
私は自虐的に言ったのだと思って、運転しながらそう言った彼の顔を見た。その瞬間に心臓の辺りがグワッとなって体の内側が熱くなる感じがした。彼は真っ直ぐに前を見ながら、すごく嬉しそうな顔をしていたのだ。
私は彼の表情を見て「ホンマにやって良かったな。」と、立ち上げ時の苦しい時期の色々と嬉しさで目頭が熱くなった。そして絶対にこの人たちのためにも最後までやりきっていいものを作ろうと気持ちを強くした。クライアントのことやお金のことばかり気にしていると、本当に大切なコトを見失ってしまう。一方で持続可能な仕事にするためにはお金も大事。だからクライアント、工事業者、設計、木材関連業者の全体最適、そして地場の業者の繋がりと誇りを取り戻すため駆けずり回る。それが私の仕事だと思った。

   
 
  全体最適とタニチシステム
   
 
  4.面倒と出来ないは違う
   
 

地域の小規模事業者は技術がないわけではない。単独で大きな仕事を請け負うことが難しいだけである。いくつかの事業者が集まれば生産量は確保できる。しかし、地域でそうした取り組みが進まないのは、生産能力や人柄、加工機がバラバラの業者を取りまとめるのが面倒だからではないかと私は考えている。面倒と出来ないは違う。私はこの面倒の中に地域産材活用や未来に続く豊かなくらしのヒントがあるように思っている。
高畠の話に戻ると、冬場の製材以降はあまりハプニングには驚かなくなった。小さいハプニングは頻発するが、問題から逃げずに真正面から向かう姿勢を示せば何故か誰かが助けてくれたり、一緒に考えてくれたりするようになっていた。私は地域材の活用には、忖度は無用であると考える。スピード、正直、信念が大切なことで、変な忖度に気を揉んでいる時間はない。喧々諤々やりながらでも前に進めなければならない。面倒なので一筋縄ではいかない。時には本気でぶつかることもあった。心が折れそうになった時もあった。しかし気づけば、高畠町の図書館と遊戯場の完成のために、木材関係者が一丸となって取り組んでいるように感じられるまでになっていたのは木材関係者と共に真正面から問題に取り組んでいたからだと考えている。

   
 
  5.シンジトーケの結成
   
 

高畠町の2施設が完成するころには、目も合わしてくれなかった製材業者の皆様から息子のように可愛がっていただいていた。シーズンになれば、さくらんぼを送っていただき、こちらからお菓子を送り返して、『そんな気を使わなくていいのに〜』というご近所マダムみたいな会話をする仲にまでなっていた。
2施設のオープニングに参加して、高畠町の皆様が図書館と遊戯場に入ってくる様子を中から見たときは、気合と根性の鎧を纏っていた心がほぐれ、色んな液体があふれ出した。恐らく自分の人生の中でとてつもなく大きな経験となるであろうこの高畠の仕事。一人では絶対にできないけれども、たくさんの仲間と共に困難に向かった成果は、一人でやったことよりも大きくなるものだなと感じた。ご協力いただいた全ての関係者には感謝の気持ちでいっぱいである。
同じような地域の困りごとは様々な地域ですでに存在すると考えている。更に、建築のみではなく、“地域材を使う”ということの、全ての困りごとを解決することに取り組もうと考え、会社の枠組みを超えた柔軟な集団づくりを考えている。その名は『シンジトーケ』。企業の枠に囚われず、森林測量、ICT、タニチシステム、設計、建築、地域活性などが行える集団だ。今後は、1つの企業だけでは、解決できない地域の問題を企業間連携でガンガン解決し、豊かな未来をデザインしていきたいと考えている。

   
   
   
   
 

●<たにち・だいすけ> パワープレイス株式会社 ウッドデザイナー

   
 
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