今、スギダラ天草が熱い!!
 

あの男を生んだ地「天草」

文/五十嶋さやか

   
 
   
  もともと。
天草って、天草四郎の天草?くらいの知識しかなかったが、若杉さんの故郷と知って興味を覚える程度だった。直行ではいけないらしいし、なんだか秘境感あふれる地名だし。
そんな私の初めての天草は、2014年の九大フィールドワーク。なかなか行くことはないだろうと思っていた天草に行けるとあって、興味本位で参加したところから始まる。
今回は、そこからの足掛け5年に渡る活動の、全体像について話をしようと思ったけれど、宗像夫妻の完成度の高い文章が先にきているので、ここでは完全なる主観で、天草を第2の故郷と呼ぶに至るこれまでを振り返ってみようと思う。
   
 
  最初に行った時の下浦の海
 

さて、その2014年フィールドワークは天草・下浦地域での開催だった。
その当時は人見知りで、引っ込み思案だった私は、(ちょっと。そこの人。そんなわけないだろ〜とか言わない。)福岡空港から出る九大バスに乗るのも恐れ多く、内田亮という先輩と一緒に、熊本空港からレンタカーで向かった。当時、すでに天草・高濱でのワークショップが3年間行われており、倉内、千代田といった面々はすでに「顔」となっている中を出かけていくのも腰が引け、ワークショップね。。。2泊3日くらいでどうにかなる様なもんなのかなー、とか思って、要は、完全に消極的だったのである。

しかし、1年目の経験は、天草を印象付けるのには十分すぎるほど、かなり鮮烈なものだった。まず歩き回った下浦の風景。特にあの内海。完全にやられたー。。どこまでも静かで、すべてを分かったと言ってくれている様な感じで、本当に感動した。フィールドワークの中で船にも乗せてもらい、あんなに爽快な思いをしたのはいつ振りだろう。海、綺麗だったなー。

石工、ポンカンについても学んだが、強烈な友平くん順次さん親子のキャラに驚き、そっちの印象ばかりが強い。

 
  あと、学生さんたちと民泊先の顔合わせの時、女の子しか泊めない!って言ってた近藤さんのいかついこと。。。
天草弁で何言ってるかよくわかんないし、なんかこわーいと思ったものだ。。その近藤さんちに今ではすっかり「泊めてくださいっ☆」ってしょっちゅう頼む様になったのだから、わからないものだ。

あと忘れてならないのは若杉さんのご実家に泊めてもらったこと。お食事もご馳走になり、新鮮なお魚の美味しさに感動したが、一番驚いたのは、もやしがでかいこと!!びっくりした、なんだあのもやし。もやしっこ、なんて言葉は天草にはないんだろうなって思った。こんなところで育ったんだなーってしみじみとした。
   
 

さて、そこから実は2年開いて、次に天草に降り立ったのは2016年の3年目のフィールドワーク。あれ、前も来たね?と言ってもらえる嬉しさもあったり、湯貫さんのお宅にお邪魔したこともあって、随分と慣れ親しんだ感じでお世話になった。やっぱりリピートするって大事だね。この時は、朝早くに釣りに連れて行ってもらったのがとっても印象的でした。静かな海の上で見る日昇。このまま悟りを開けるんじゃないかと思ったほど。

そこから時は経ち、ある時、おてんと丸 原田さんという方が来社されるという。なんでも天草広域本部から受託した天草ヒノキの活用検討事業で、若杉さんに講演と3回にわたるワークショップをしてほしいとのこと。初めて故郷で役立てるとあって、若杉さんも気合の入り方が尋常じゃない。

1回目のワークショップでは、しもうら弁天会の面々も含めて総勢40名程度で、ヒノキを使った新商品についての案を出した。山ほど出た案を全て倉内くんがイラストにし、2回目のワークショップに臨む。

   
 
   
 

2回目は、この中からテーブル、デイベッド、シェルフなどの家具や屋台、つるし飾りや端材のお飾りなどのデザイン、設計をして製品化のご相談。特に、屋台は森商事さんで試作を作って運び込む、気合の入りようである。
若杉さんの旅費しか出なかったのに、屋台の試作のために中尾さんも初天草。倉内、五十嶋もついていき、1回目のワークショップの案に合わせてグループに分かれ、さらなる商品アイデアを出していった。

   
 

(屋台試作の写真)

   
 
 
     
 
 
     
  最後の3回目では、銀天街という商店街でプロジェクト成果のお披露目兼、お祭りへの参加を果たす。銀天街とは、かつて天草一の商店街で、若杉さんが若かりし頃は相当賑わっていたらしいが、現在はシャッターが閉まるお店が多い、ちょっと寂しい場所である。そこを最大限盛り上げようと、特別の屋台をデザインし、みんなで協力して組み上げた。晩柑ゼリーや下浦石こんにゃくなど、食べ物も屋台で販売。こんにゃくなんて飛ぶように売れ、相当数のお客様が喜んでいた。その中で美しい家具や小物たちが並ぶ。盛り上がったね。
   
 

(銀天街写真)

   
 

この頃から、天草訪問時は下浦民泊!が定着する。近藤さん宅、宗像さん宅、湯貫さん宅には随分とお世話になった。やはり、民泊とホテル泊では距離の縮まり方が全く違う。私にとってはこの民泊があったから、天草・下浦が人ごとじゃ無くなったと感じている。一宿一飯の恩義というか(一宿どころではないんだけど)、すっかり親戚のような感じになり、子どもたちも連れてプライベートでも遊びに行く始末。本当に嬉しい。

さて、話は戻して、3回のワークショップで終わって帰らないのが、若杉さんだ。実は前々から天草土人形(どろにんぎょう)を新しいデザインで復活させたいと言っていた。そこで、新たな縁起物のデザインを下妻が考案。出来上がったサンプルを持って、天草土人形保存会の方のところへ相談に行った。新しいデザインを作るのは構わないが製作はお好きにどうぞ、ということで、「下浦土玩具」(どろがんぐ)という名前で下浦で作ることにした。といっても、誰でも作れるわけではない。自然と石工の千葉友平さんが、作れるの僕しかいないねと言って作ってくれることになった。

それからは、千葉さんと下妻(土玩具デザイナー「上下島堂賢」)の二人三脚で土玩具作りに励み、艱難辛苦を乗り越えて、アマクサローネという天草の大イベントでデビューさせるまでに至るのであった。

   
  (サローネ)
   
 

イベント会場では特別にオリジナル絵付けまで実施。

そして、2019年初に発売された無印良品の「福缶」で、全国に飛び出して行ったのである。今ではFacebookで受注を開始。お届けまではお時間を頂くが、可愛らしいのが届きますので、ぜひどうぞ。

こうなってくると、作ったものたちがきちんと世の中に出て行くようになり、作る甲斐もでてくる。器用でも不器用でも、心を込めてみんなでものづくりをして、それが発信されるようになったら、なんだかとてもワクワクするじゃないか。新しいものづくりってこうやって起こるんだなって、本当の勉強になった。

そのほかにも、ライブや、映画上映会、狭小住宅プロジェクト、「学林」プロジェクト…といったように、若杉さんの情熱が故郷に向けてまだまだ猛発信している最中。(宗像夫妻の記載に詳しい。)次回特集までに、またたくさんの報告ができるように頑張りたい。

天草・下浦の皆様への愛を込めて。

   
 
   
   
 
 

●<いそじま・さやか> パワープレイス株式会社

   
 
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