やがて風景になるものづくり。ようび再始動!
  大工見習の日々

文 / 斉藤丈史

   
 
   
 

今もふと思うことがある。

この、見たこともない木造建築をよくも完成させられたものだと。どう考えても普通じゃない。何もかもが初めてで、過酷な数ヶ月。あの時はいつ終わるのか、いや、本当に終わるのかと言う不安に押しつぶされそうになりながら戦っていた。それでも頑張れたのは、色んな所から集まって一緒に建ててくれたツギテノミカタがいたから。そして、棟梁である竜太さんをはじめ尊敬すべきプロフェッショナル達の“仕事“に他ならない。
   
 
   
 

暑い夏も終わり、あの柱の加工作業も終わり、次の舞台へと移行していく。
「建方」と言うらしい。普段はすでに建設された建物に家具を納めることが仕事だけど、今回は建物を建てる。家具は建築をコンパクトにしたものだとは言われてるけど、実際の仕事は全然違う。聞きなれない用語が飛び交うなか始まった建方。
これまで柱加工を一緒にしてきた大工の竜太さん、田上さんの舞台。そして、僕の命じられた仕事は、この二人について補助して欲しいということ。建物を建てる為に作られた足場のMAXの高さは9m…。風が吹けば揺れるし、手をかける所は心もとないし、下はコンクリートだし、実は高い所苦手だし…。でも、二人の仕事を間近で見たかったし体験したかった。そして、引き受けた。

   
 
   
 

最初は試行錯誤の連続。一旦地面でパネル化した木材達をクレーンをつかって起こし、地面の基礎に差し込んでいく。ここでも、地元材木屋の岸本さん(僕のフォークリフトの師匠)の神懸かり的な操舵技術でパネルを建てる。1枚目、2枚目を建て、間に繋ぎとなる材料を入れて、安定させる。ギシギシと音を立て、折れるんじゃないかという不安定な状況。この時「かけや」という1mくらいの長さで大きく思いハンマーを使うのだけど、高さ9mの安定しない足元という環境で、物怖じせず悠々と振り回す大工の二人は最高にカッコよかった!
しかし、パネルを組んで、クレーンで上げてという作業は難航した。クレーンの吊り上げ能力に限界があったし、あまりにも手間がかかりすぎたからだ。そこで、レッカーという、より重く高い所まで吊れる重機を頼むことにした。スケジュールを決めて、それが来るまでみんなでパネルを出来るだけ作っておく。そして、レッカーで一気に片付けてしまおうという作戦にでた。ツギテノミカタのみんなもパネル作りを手伝ってくれた。
レッカーは地元の遠藤さんという方でこれまた凄腕。よくあんな見えない所をサインだけでドンピシャで収められるものだと驚いた。

   
 
   
 

季節はすっかり冬になり、これからやってくる寒さに不安を感じる中、強力な助っ人がやってくる。
「チームクラプトン」。関西を拠点とするこのチームは、みんなで作ろう!をモットーに建築、内装をクライアントと作り上げようという活動をしている。リーダーの山口晶くんは大島正幸の弟のような存在。その内にある情熱は兄にも勝るとも劣らない。彼を筆頭に個性的でカッコいいメンバーが数週間手伝ってくれるというのだ。彼らは僕がこのプロジェクトで衝撃を受けた存在で、仕事、考え方、エネルギー。明るくエネルギッシュな彼らがいると現場も活気づき、ガンガン進んでいった。

   
 
   
 
   
 

なんとか雪が積もる前に屋根を伏せたい。そんな思いを胸に建設が進んでいく。気づけばみんなすっかり大工の仕事にも慣れて、飛び交う言葉も専門用語を使うようになっていた。どれほどの人の力で進むのだろう。「民技」と名付けられたこの建築工法は沢山の人の手と想いで進んでいく。
最も危険と感じた作業は恐らく工場棟の梁渡しだろう。10mm近い組み上げられた材料をレッカーで釣って壁に差し込んで組んでいく。レッカーで吊られたその材料はグネグネと揺れながら、それはまるで竜のように近づいてくる。ハンパない攻撃力をもったこの怪物を巧くコントロールする竜太さん…。さすがや。あと何匹相手にしなきゃいけないのか。そのうち、皆んなもレベルが上がっていって扱えるようになっていくのだった…。人間って凄いんだねぇ〜。

   
 
   
 

そして、遂に屋根を塞ぐ時が来た!ベニヤの上に断熱材を敷き詰めてき、屋根のベースとなる木材を取り付けていく。今では、ようびにすっかり馴染んで色んな仕事をお願いするようになった「旅する大工」の羽渕君が合流したのも丁度この時だった。彼も殆どが内装の仕事のため、建てる事は初めてで驚く事ばかりだったとか。屋根の平面が出来ると、途端に安定感が出る。屋上から見る景色はいつもと違う西粟倉を見せてくれる。「ショーシャンクの空に」でアンディが仲間と屋上のペンキ塗りをしてビールを飲んだシーンを思い起こして嬉しくなり、ふと「あぁ、僕は今、地球で働いてる。」って感じたのだった。

   
 
   
 

屋根の板金はずっとようびを気にかけてくださっている福田板金さん。柱加工の時に度々来てくださり、勇気づけてもらったり仕事に対する姿勢を教えて頂いていた。早く、正確で、何より誇りを持っていい収め方をしたいと常に考えながら仕事している姿勢は本当に勉強になった。

   
 
   
 

建築部の与語さんの友達で何度も何度も愛知から足を運んで助けてくれた木村さん。奈緒子さんの大学の後輩で普段は農業をやっているのに本物の大工のようなパワーと軽快なフットワークで仕事をこなす岳君、ツギテ開始当初から辛い時に来てスパっと仕事をこなして元気づけてくれた、ようび「再建の父」こと安藤さん。東京から駆けつけブリザード吹き荒ぶなか貼ってくれたハンディハウスの皆さん。ずっと応援してくださり、外壁の足場板を提供して頂いたWOODPROさん。そして、丁寧な仕事を見せてくれた倉敷の大工安原さん米原さん。沢山の人達の力で着実に建物は完成へと向かっていくのだった。
そして、屋根も塞がった工場は雪に埋もれながらも内装と食堂棟へとラストスパート!もはや遅れは許されない。何度も建築部の二人は熟考を重ねスケジュールを立て直す。ここはこのプロジェクトを支えてきた二人の建築士を信じるしかない。
そして実行するしかない。
そんな折、とある三人のおじいちゃんが建築現場に現れた。小柄で飄々とした三人は新しく参加してくれる大工だという。正直「大丈夫?」っていうのが第一印象だった。寒いし力も相当必要な過酷な現場に対応できるのかと心配と不安しかなかった。しかし、その不安はすぐに掻き消される事になった。
おじいちゃんではない!スーパーな大工!数々の修羅場をくぐってきたこの三人衆は建物を見ても動じず、建築部からの要望に即座に答えていく。60代後半、70歳なのに軽々とした身のこなし。仕事が早く丁寧、膨大な経験値からの自信、そして何より明るく豪快、エネルギッシュな人柄。こんなにも魅力的でカッコいい人達だったなんて。
石川さん、小坂田さん、土井さんはまぎれもないヒーローだった。
食堂棟も着実に進んでいく。竜太さんと食堂棟の建設を任された僕は、ここでも新しい大工の技術を学んでいく事になる。竜太さんは昔の工法にも精通した今では少なくなってきた本物の大工で、木の選び方や差し金の使い方なんかも教えてくれた。
ものつくりの楽しさは、途中経過に現れる「未完の美」を体験できるところにあるのかもしれない。

   
 
   
 
   
 

内装も佳境に差し掛かり、検査のひが刻一刻と近づいてくる。そして僕も大工としての役目を終え、家具職人に戻るリミットも近づいてきた。
そんな中最後の大仕事が待っていた…。
工場棟の入り口を塞ぐ為の扉。これを1日半で作って取り付けなければいけない。
出来るのかそんなこと、いや、どうやって作ろう…。
とにかく考えた。
そして決めた。フラッシュ工法を現場でやろう!
以前勤めていた会社で得た知識を使って、とびらを作っていく。しかし、現場で、しかも大きな扉を三枚作る作業は難航した。家具職人仲間で代表の後輩であるケイタさんも少しだったが手伝ってくれたのはかなり助かった。フラッシュ工法に精通しているので、アドバイスももらい、何とか完成まで持っていった。扉をつり検査に間に合った。ギリギリだったが、間に合ったのだ。

   
 
   
 
   
 

「僕はここまで。家具職人に戻ります。ありがとうございました。」一緒に仕事をする事はもうないだろうという寂しさを感じながら、スーパーな大工である三人衆に挨拶に行った時のこと。いつものように豪快に笑いながら「ようやったなぁ!褒めちゃる!」と言ってくれた。

嬉しかった。

認められた気がした。大袈裟かもしれないけど、ここまでやってきた全てが報われた気がして胸の奥から熱いものが込み上げてきた。溢れそうになる涙をグッとこらえた。使えない奴だと思われたくなくて必死で着いていった大工の世界。まだほんの境界線に足を踏み入れただけかもしれないけど、凄い職人達に多くを学ばさせてもらった。
   
 
   
   
   
   
  ●<さいとう・たけふみ> ようび

   
 
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