特集 縄文杉が眠る、島根「三瓶小豆原埋没林」
  スギダラのほとり/第14回 「たたら製鉄、埋没林と夕陽」
文/写真 小野寺 康
   
 

 

 

2013年の出雲大社大遷宮(60年に一度の本殿遷座祭)に向けて始動した、出雲大社表参道「神門通り」における“平成の大改修”。東日本大震災と同時に始まったこのプロジェクトも、今や第2ステージに突入した。
この「神門通り2工区」は、参道の起点部と言っていい「宇迦橋(うがばし)」の架け替え及び周辺の道路整備がメニューだ。これをもって神門通りは、めでたく完全完成を迎える運びとなる。
このプロジェクトは、1工区からデザインを南雲勝志さんと協働してやっている。
ちなみに他のメンバーだが、交通計画として岡山大学の橋本成仁准教授。コーディネータに東京工業大学名誉教授で今は一般社団法人コンセンサス・コーディネーターズの代表として全国を飛び回っている桑子敏雄氏がいる。
実は桑子先生の呼びかけから、この同じメンバーで、スピンオフ的に温泉津温泉のまちづくりにも関わった。
温泉津温泉と書いて「ゆのつおんせん」と読む。
この温泉津プロジェクトもかなりのドタバタなので、いずれ書いてもいいかと思っているが、神門通り2工区の住民ワークショップを終えた2017年の秋日。その翌日に、帰京せずに一足伸ばして、整備が始まった温泉津温泉の本通りの道路整備を皆で確認し、一緒にまちづくりに関わってくれた温泉街のメンバーと一献傾けようという流れになった。
しかし、温泉津温泉に集まるのは夕方である。
出雲を朝出て夕方温泉津温泉に行くまで少し時間がある。
そこで南雲さんと共に、何となく行きそびれていた「たたら製鉄」の歴史遺産を見に行くことにしたのだった。

たたら製鉄。日本刀の材料となる和鉄、中でも良質な鋼として不可欠な「玉鋼(たまはがね)」を製造する古来の伝統技術である。
Wikipediaを引っぱたくと、「日本において古代から近世にかけて発展した製鉄法で、炉に空気を送り込むのに使われる鞴(ふいご)が『たたら』と呼ばれていたために付けられた名称。砂鉄や鉄鉱石を粘土製の炉で木炭を用いて比較的低温で還元し、純度の高い鉄を生産できることを特徴とする。近代の初期まで日本の国内鉄生産のほぼすべてを担った」とある。
ジブリ映画『もののけ姫』で女性たちが一斉に踏んでいたあれだよ、というとピンとくる人がいるかもしれない。

たたら製鉄の製造工場は「高殿(たかどの)」と呼ばれ、これを中心に、製鉄業を営む職人たち(たたら師とか鉄師というらしい)が住まう集落を「山内(さんない)」と呼ぶ。
雲南市吉田町にある「菅谷(すがや)たたら高殿」とそれを中心とする「たたら山内」を見に訪れた。
山間に車を進めたところで姿を現した高殿を見て、どこかで見たことがあると思った。
気づけば、以前に「スギダラのほとり」第4回「聖地ピルチャック」で紹介した、ピルチャック・グラス・スクールのセンター棟「ホット・ショップ」に似ていたのである。
高温を扱うため、高い屋根と広々とした内部空間を内包しているので必然的に似てくるのだろう。豊かな森の中、自然素材で建設されているのも共通している。後で知ったところでは、老朽化したこの施設を仕事仲間である(株)文化財保存計画協会が修復に当たったものだった。

次に、奥出雲の雲南市吉田町にある「鉄の歴史博物館」を訪れた。
そこで鉄師の記録映画を見た。
――圧倒された。
大工でいうところの棟梁、酒造りにおける杜氏に相当する技術責任者は、たたら製鉄において「村下(むらげ)」と呼ばれる。
「一釜、二土、三村下」あるいは「一土、二風、三村下」というらしいが、要するに製鉄は、土というか粘土を厳選して炉を造るところから始まる。そこに鞴(ふいご)の送風管を竹で組み入れ、地下まで含めた立体構造で炉窯を構築するのである。
炉に火を入れ、炉の両側面から「ふいご」で風を送り、3昼夜つきっきりで炎の具合を計りながら砂鉄を投入し続け、焼き上げる。操業開始から終了までの1操業を「一代(ひとよ)」と呼び、これを3昼夜で行なうことから「3日押し法」というそうだが、炎の形から炉の温度を見極めつつ、砂鉄を投入するタイミングが実に難しいことが分かる。最後に炉を壊して、急速冷却するため高殿そばに用意された池(鉄池/かないけ)に投入し、玉鋼を取り出すまでが「一代」である。
この全ての行程を、ただ一人の村下が経験と勘によって仕切るのだが、長時間にわたって灼熱の炎を監視し続ける結果、村下は早くに失明する――このくだりには絶句した。

そんな鉄文化を実際の空気感の中で体験した余韻の中、呆けるように車を走らせつつ温泉津温泉へ向かっていると、途上で南雲さんが「さんぺーさんに行こう」という。
何を言っているか分からない。「河童の三平」の水木しげるは隣の鳥取県である。
しかしよく聞くと、「三瓶山(さんべさん)」と言っている。
そこに、「埋没林」があるという。
いよいよ何を言っているのかわからない。
分からないまま、三瓶小豆原埋没林公園(さんべあずきはらまいぼつりんこうえん)に向かった。

埋没林。要するに、縄文時代の杉の森林に、今から約4千年前、大噴火によって火山灰が降り積もり、森がそのまま飲み込まれる形で生きたまま埋没し、その姿のまま生命活動を止めたものだ。
いわば古代杉の即身成仏である。
後で調べたところでは、「埋没林」または「化石林」として名前が付けられたものは全国で約40か所程度あるという。しかしその中でも三瓶小豆原埋没林は、規模もさることながら直立状態で残存するものが多いことで知られ、世界的にも極めて貴重なものだということだった。
しかし、訪れたタイミングではそんなこと全く知らない。

低い山々に囲まれた草原に、ぽつねんと、コンクリートのシェルターが佇んでいた。
入るまで分からなかったが、これは埋没林を掘り起こした上に架けられた蓋のようなものだったのだ。
中を覗き込むと、森が、地下深い場所にあった。
灰の中に眠っていた状態のまま、掘り出されて保存されていたのである。
生々しいほどにリアルである一方で、全ての時間が止まっているという空気感が独特であった。
止まったまま、空間だけが切り取られた感じなのだ。
木々の巨大さが図抜けているせいか、自然物でありながらもどこか古代神殿やヘブライの巨神兵ゴーレムを想起させるものがあった。

ふと、気づいた。
我々は、この一日で数千年を旅したことになるのではないか?
神話の時代から続く出雲大社。
その背景にある大陸伝来のたたら製鉄は、古代から近代に連なり、近代科学もその上に成り立っている。
そして縄文杉。火山に象徴される地球の生命活動。
島根という国は、重層した時間軸と空間軸がタペストリーのように織り成され、我々にその姿を断片的に垣間見せてくれる地なのかもしれない。
日本海に朱く沈む夕日を眺めながら、そんな感慨が胸に沸いた。

さて――温泉津温泉へ行こう。
この湯治場も、実に千年を超えて今に至るという長い歴史を持っている。
その時間軸に添えられた、ささやかな、しかし確かな造形。その成果を確かめに、温泉津へ行くのだ。
悠久の時間軸を思いながら、酒を飲もう。
実に贅沢ではないか。

   
 
 

たたら製鉄の製造工場は「高殿(たかどの)」と呼ばれ、その周辺の集落は「山内(さんない)」と呼ばれる。「菅谷(すがや)たたら高殿」の外観は、堂々としつつも清楚なたたずまい。

   
 
  菅谷高殿の内観。高い天井の下に炉があり、側面に「たたら」に繋がる竹製の送風管が突き刺さっていた。
   
 
  「鉄の歴史博物館」のある奥出雲の雲南市吉田町の集落景観。路地を入った食堂で食事してたら、店主のおばちゃんが南雲さんを見て、「カゲヤマさんでしょ?」と声をかけてきた。違う違うと言って笑っていた南雲さんだったが、「カゲヤマさんって、ちょっと普通の仕事してないというか、堅気の人じゃないのよ…」と聞いて、あれやっぱり自分かも?という顔が笑えたのだった。
   
 
  三瓶小豆原埋没林公園(さんべあずきはらまいぼつりんこうえん)の縄文杉埋没林
   
 
 

埋没林は、古代の火山灰に埋もれていた状態のまま、つまり掘り起こされた光景のままに保存されている

   
 
 

島根の海に夕陽が沈む。地球規模で繰り返される光景が何やら沁みるのだった

   
   
   
   
  ●<おのでら・やすし> 都市設計家
小野寺康都市設計事務所 代表 http://www.onodera.co.jp/
月刊杉web単行本『油津(あぶらつ)木橋記』 http://www.m-sugi.com/books/books_ono.htm
   
 
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