特集  日南市子育て支援センター 『ことこと』 オープン!
  まちづくりは、市民一人ひとりのプロジェクトである

文 / 辻 喜彦

  (日南市中心市街地活性化・まちづくり事業について)
 
   
 
  【達成感!】
 

 2017年4月8日(日)、油津商店街の一角に「日南市子育て支援センター・ことこと」がオープンし、5年間に亘る日南市中心市街地活性化事業は、ここに一応完了した。
長らく出口が見えず、悩んでばかりの5年間だったが、「ことこと」のオープニングは、この間に出逢った仲間たちと共に、笑顔と涙を分かち合えた清々しい一日だった。
 建築や土木工事には、竣工日という明確な“到達点”があるが、まちづくりには終わりがない。まちづくりは、いずこも長い時間がかかるものであり、普通は、いつの間にか一人二人とフェードアウトしてしまい、どこが区切りなのか分からなくなるケースが多いが、この油津のように、きちんと関係者の気持ちが一区切り付けるプロジェクトはそうそうあるものではない。この達成感を味わってしまうと、“次はもっと!”という気持ちになる(感染してしまう)。この病気は“スギダラ病”とも呼ばれている・・・らしい。
 改めまして、日南市子育て支援センター「ことこと」オープン、おめでとうございます!

   
 
  【日南市油津地区について!】
 

 日南市・港町油津は、海幸山幸の豊かな自然に恵まれ、古くから交易で栄え、江戸期から昭和初期にかけては、飫肥杉の積み出しや東洋一と称されたマグロ景気等によって、宮崎県内でも有数の活気あふれる商業地として繁栄してきた。
 しかし、近年、車社会の進展によるロードサイドビジネス、郊外型大型店等への転換や少子高齢化の波は、全国の地方都市と同様に、油津商店街にも押し寄せてきた
 我々が、油津・堀川運河の再生に携わるようになった2002年には、既に商店街の空洞化が顕著となりつつあり、年々、空き店舗・空き地が目立つようになっていた。

 
 
昭和40年代の油津商店街の様子   中活事業前の油津商店街の様子
   
 
  【本丸は、あくまでも商店街の再生!】
 

 2002年〜2013年まで堀川運河再生を牽引してこられた篠原修先生(東京大学名誉教授)が、常々会議で言われていた言葉である。堀川運河を再生することは、あくまで手段であり、最終的には、まちなか(商店街)に人々が戻り、賑わいを取り戻すことがまちづくりの目標である、と言う意味だ。 
 しかし、当時は、関係者の様々な思いや手法等が複雑に交錯しており、商店街再生には、そう簡単に手を付けることができない状況であった。

 しかし、いずれは再整備された堀川運河を屋台骨として、にぎわい再生に繋げていきたい。そんな想いから、日南市飫肥杉課や日南市市民協議会、南那珂森林組合、日南十日会の皆さんたちと南雲勝志さん、若杉浩一さん、河野健一さんらスギダラメンバーと共に、「堀川に屋根付き橋をかくっかい(2007年)」や「飫肥杉デザイン会・杉コレクションin日南・飫肥杉大作戦!(2009年)」など、様々な企てを起こしながら、人とまちと杉を繋ぐコトを模索し続けてきた。

 
 
堀川に屋根付き橋をかくっかい   飫肥杉大作戦!
   
 
  【日南市中心市街地活性化事業とは】
   
 

 2012年11月、「日南市中心市街地活性化基本計画」が、国の認定(全国で121番目)を受け、本格的な商店街にぎわい再生事業が動き始めた。
  中心市街地活性化事業とは、地方都市における中心商店街の衰退対策として、2006年に創設された中心市街地活性化基本計画の認定制度に基づき、各自治体が中心市街地活性化協議会を設置し作成する計画書を内閣府に提出し、認定を受けた上で支援策が講じられるものである(2016年度末時点で141市211計画が国の認定済)。
 日南市の場合は2009年3月に、旧3市町村の合併により「新・日南市」誕生し、2010年に新たなまちづくり将来像が策定されたことを契機として、中心市街地活性化に本腰が入れられることになったが、国との協議・調整には約2年を要している。

 2012年度は、中心市街地活性化事業(以下、中活事業と略する)を起動させるための体制づくりからスタートした。日南市そして宮崎に縁深い、吉武哲信・九州工業大学教授を委員長とする「油津まちづくり会議」を設置し、その下には、中活事業を構成する約50事業におよぶハード&ソフト事業の進捗状況をマネジメントする「まちづくり会議WG(以下、WGと略する)(チーフディレクター/高尾忠志・九州大学准教授)」を配し、事業全体のディレクションとコーディネートを行ってきた(私の立ち位置も、このWG事務局である)。
 通常の場合、このように多様な関連事業は、市窓口担当課が進捗を確認し、各課は各々事業を推進するケースが多い。その場合、本来的な事業目的や関係事業、関係者との連携をしっかりやっていかないと各事業がバラバラに動きだし、結果的にちぐはぐな成果に終わってしまことが多い(全国の中活事業の成果がなかなか上がらない理由はここにある)。
 我々(WGメンバー)は、当初から約50事業を一体的、総合的に進める体制の枠組みを構築するために、「油津まちづくり会議 基本方針「五箇条」」を掲げ、事業推進のためのアクションプログラムとなる「油津まちづくり行動計画(案)」を作成し、常に関係事業の動きを確認しながら取り組んできた。5年間で、まち会議は計10回、WGは計25回開催された。この推進体制については、以下の特徴が挙げられる。(出典・「日南市中活事業報告書」)

  1. 基本方針の明示とオープンな場づくりによる意識の共有
  2. 縦串・横串を刺す関係者協議
  3. 適材適所のチームピルディング
  4. 体制を変化させるプロジェクトマネジメント
  5. 不動のWGが担うディレクション機能

WGで議論された約50事業のうち代表的なものは、
・「複合機能ビル(Ittenほりかわ)((株)日南まちづくり会社)」
・「市民活動支援センター(創客創人センター)(市・地域振興課)」
・「観光拠点施設(観光案内所)(市・観光スポーツ課)」
・「油津食堂・油津Yotten・ABURATSU GARDEN((株)油津応援団)」
・「子育て支援センター「ことこと」(市・こども課)」などのハード施設整備に加えて、
・「水辺利活用社会実験(市・地域振興課)」
・「へぇ〜ほぉ〜まちあるき(油津地域協議会)」
・「小野寺MARIKOさんのウォーキングレッスン(市・地域振興課)」
・「日南幸開き(体験型観光)(観光協会)」
・「自転車ライフ談義所(サイクリング協会他)」
・「案内サイン整備」などのソフト事業等、行政のみならず民間事業や市民活動等が組み合わされた多様なプロジェクトで構成されている(参考図_1)。

   
 

 これらの複数事業を完遂するだけでなく、相互に連携させて市民がまちづくりに参画できる機会をいかに創りだしていくかがWGでの大きな課題であり、毎回昼〜夕方(夜)まで喧々諤々の議論が積み重ねられてきた。
“月額90万の男”として全国にその名を知られるようになった木藤亮太氏(テナントミックスサポートマネージャー(略称・サポマネ))も、子育て支援センター「ことこと」も全てこのWGから生まれてきたものとも言える(参考図_2)。
 2012年度以降、日南市中心市街地活性化事業が歩んで来た5年間のプロセス(参考図_3)を細かく解説するには、紙面がいくらあっても足りないため割愛させていただくが、詳細を知りたい方は、日南市ホームページ(下記URL)に、5年間の取り組みと総評、そして中活事業に携わった市民、市担当職員、専門家ら各々がその奮闘ぶりを書き寄せた報告書が掲載されている。読み物としても、とても面白い仕上がりになっているので、是非ご参照いただきたい。

   
 

『日南市中心市街地活性化事業報告書-これまでのまちづくりの想いを未来へつなげる』
2017年3月 日南市・まちづくり会議 

   
 
  【子育て支援センター「ことこと」誕生秘話】
   
 
 

 月刊杉今月のテーマである「子育て支援センター「ことこと」」について、詳細は、市こども課課長補佐・森山佐知江さんやサポマネ木藤亮太さん他、関係された皆さんが書かれていると思うので、ここでは、森山さんの熱く暑い想いが、WGをいかに動かしたかを書き記したい。
 2014年10月20日・第15回WGでの出来事である。
 難題だった観光拠点施設や水辺利活用の議論が昼から延々と続き、皆が疲れかけていた時に、それまで借りてきた猫のように大人しく会議室の隅に座っていた森山さんが突然、「私は、こんな風な飫肥杉に包まれた子育て支援センターを創りたいんです!」と発言され、ご自分で作られた模型)をテーブルの上に載せた。

森山さんがWG会議に持ち込んだ模型    
   
 

 それ以前には、WG会議でもほとんど発言することの無かった森山さんの目がキラキラしていたことを今でも鮮明に覚えている。そして、その暑苦しさにスギダラ仲間の“匂い”を感じた。
 市こども課は、普段は、まちづくりとは縁遠く、市内の子育てを支援する部署である。
そのこども課が、「子育て支援センター」という箱モノ建設を担当することになったのだ。
 この模型披露から実際にパワープレイス(株)が設計を請けるまでには、紆余曲折があり、一時はどうなることかとヒヤヒヤし通しだった。設計委託や建築工事発注などしたことも無い“こども課”の保育士の先生たちにとっては、初めて体験する“未知の領域と人たち”だったろう。大きな夢は抱いているものの、それを実現していくことは大変な御苦労があったことと思う。

 
  2015年7月・子育て支援センター 初打合せ
   
 
  【“ことこと”の物語は、まだ始まったばかり・・・】
 

 この初打合せ以降、オープンまでのプロセスについては、奥ひろ子さんの文に詳しく紹介されているので省略させていただくが、始めから日南市子育て支援センター「ことこと」プロジェクトが、このような展開になり、これほどの素晴らしい空間が生まれるとは、誰も想像していなかった。
 森山さんの熱い想いが、“人を繋ぎ”、“杉で繋ぎ”、“世代を繋いで”、“まちを元気する”ために生まれてきたのだと思う。
 冒頭に掲げた“まちづくりは、市民一人ひとりのプロジェクトである”は、2002年に日向市のまちづくりシンポジウムのサブタイトルである。
 まちづくりに参画することは、一見すると敷居が高そうだと感じるかもしれないが、生活の中で興味惹かれるコトを覗いてみることで、熱い(暑い)想いに触れ、人が集まり、繋がり、楽しみが増えていく、存外身近なモノ(プロジェクト)なのかもしれない。
 「ことこと」も、多様な世代の方々が訪れ、感じて、交流と出逢いが生まれる場所となり、飫肥杉に包まれた空間の中から、まちを支える次の世代がスクスクと育っていくことを節に願っている。
 最後になるが、油津まちづくりに携わるようになった15年が経ち、外人部隊は去る。
しかし、この年月の間に、確実に、まちや人々は元気を取り戻し、まちなみには飫肥杉を使った店が目立つようになった。また違う立ち位置で、このまちと関わっていきたいと思っている。

   
 
  参考図_1・日南市中活事業の位置図 ※画像をクリックするとPDFがダウンロードできます。
   
 
  参考図-2・油津まちづくり体制図 ※画像をクリックするとPDFがダウンロードできます。
   
 
  参考図-3・油津まちづくり年表(明治〜現代まで) ※画像をクリックするとPDFがダウンロードできます。
   
   
   
   
  ●<つじ・・よしひこ> 合同会社アトリエT-Plus 建築・地域計画工房
   
 
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