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僕は自分の感覚に身を任せ作品を作る。もちろん今回の作品もそうだ。
作品を作るにあたり、日南の人や街に触れた。山や海、川の自然の中にも身を置いた。
しかし作品制作前に、その際見たこと感じたことは、ひとまず頭から取り去るようにしている。そしていつもの自分に戻って、改めてどんな作品が作りたいのか、感じるようにしている。自分を通してどんな作品が生まれるか、少し謎の部分もあるし、楽しみでもある。
この度、僕を通して日南市子育て支援センターに生まれてきた作品たちをご紹介したい。
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【スギコナミ】 |
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スギコナミは“揺らぎ”である。水が揺らぐ感覚。ざわめくような川や海の水。力強いざわめきだが、ふとした瞬間には時間がとまったように静かだ。 |
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スギコナミ1 |
トンネル型のスギコナミ1は西米良村の飫肥杉。赤みが強く年輪が不規則に動いているせいか、原木と向き合った印象はずっしりと重い印象だった。しかし作品に仕立てる工程で、きっと軽やかな印象になると確信を持った。最初の重い印象は、力強さと伸びやかさ、波のような動きを表現してくれた。樹齢120年ほど、今回の仕事を頂いた後、2016年4月に出会った杉だ。
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スギコナミ1 |
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もう一つのスギコナミ2は、揺らめきの瞬間。柔らかな曲線だけでなく、切り取ったような面を表した。樹齢約130年、西都市銀鏡の杉。年輪が均一で赤身の色が薄い桃色で、清潔感のある印象は、一部無機質な感覚を表現するのに幸いだった。何年も前に仕入れた杉だ。直観的に丸太のままで保管しておいたので、こんなに大きな作品に生まれ変わることができた。 |
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スギコナミ2 |
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【スギコダマ】 |
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スギコダマ1、2はスギコナミ2と同じ杉だ。
均一な年輪とほのかな桃色の肌が、清楚な雰囲気を出した。 |
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スギコダマ1 |
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スギコダマ2 |
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スギコダマ3は人吉との県境の杉。飫肥杉特有の葉節(点状の模様)が出ているし、年輪が大きくておおらかな印象だ。日南の土地に馴染んでいる。 |
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スギコダマ3 |
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【その他作品】 |
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作品4 |
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作品5 |
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作品4はタナゴコロと呼んでいる。手のひらのような膨らみと凹み。人を受け入れるような形だ。スギコダマが少し独立的な印象を孕んでいるのに対して、タナゴコロは融和的だ。施設の玄関口に配置したことで、この施設の印象と調和したと思う。
作品5はスギコダマより少し無機質な形だ。日南海岸の石ころのような感じだ。作品群の中に、一つ変化がほしかった。少し動きのあるスギコダマやスギコナミの中に石ころ一つ。水面に落とした石ころのように。それにはじけた雫のように。 |
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泉のような窪みに入る小さな手のひら大のスギコダマの数々は、日南市内外の皆さんがワークショップで日南の杉を使って作り上げたものだ。地域内外の皆さんが直接作品作りをしてくださることで、子どもたちとそれを見守る人々との繋がりが目に見えるものとなった。僕が作るスギコダマとは形は違えども、少しゆがんだ形に無垢な情熱と愛情が表現されている。 |
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作品を作りながら、想像をめぐらせた。僕自身が小さな子どもに生まれ変わって作品の中で戯れたなら、きっと作品たちは僕に呼びかけてくるだろう。静かに、懐かしい友人のように。
ころがる作品の合間を赤ちゃんが遊びまわる姿を思い描いた。杉は自然の中から生まれ、作品も自然の風景の一部なのだ。同時にそこで戯れる子どもらも景色になるはずだ。
想像は現実となって日南に存在する。子どもたち、親、それを見守る地域の人々と共に、そこにある景色となった。 |
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●<ありま・しんぺい> 造形作家
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