スギダラ広場
  自分の話で恐縮ですが…家具から山へ。

文 / 加賀谷廣代

   
 

「林業はシンプルだけど複雑。」これが駆け出し森林コンサルとして奮闘する日々で感じる率直な感想である。木を植え、育て、売る。それだけだ。しかし、投資の回収まで数十年というロングスパン、植える場所や土壌、その本数、品種、将来どのタイミングで枝打ちや間伐をするか。更に何時、どこにどんな造材で売るか?その全てに時時の社会情勢の変化がついて回る。自然災害のリスクも無視できない。更に生産プロセスにおける森林生態系の保全、従業員の安全や雇用にも気を配らなければならない。林業経営は企業経営とまったく同様なのである。時間的スパンを除いては。
そんな業界に足を踏み入れるきっかけとなったのは、大方の異業種参入組と同じ動機。「日本の山々を何とかしたい!」だった。当時はU社のライバル事務機器メーカーに転職したばかり。1998年、環境市場の夜明けというタイミングもあり、まず自社のスキームの中でこの課題に取り組もうと考えた。オフィス空間にスチールとアッセンブルした杉檜を持ち込んだのは、恐らく業界初だったと思う。そして、とりあえず手当たり次第に森林に良さそうな事(笑)に何でも手を付けた。間伐ボランティアに参加し、植えるボランティアも当然やった。しかし、日本の人工林面積は1,100万ヘクタール。一向に改善しない間伐問題の大きさに、「だめだ。自分で荒廃した山の木を伐っていたら人生が終わってしまう!どうしたら日本の山に貢献度の高いアクションにたどり着くのだろう?」と思い悩んだ。
大きな転機になったのは、今のBOSSとの出会いである。ボスとは速水林業の9代目当主、速水亨。(熱烈ファンもいれば超嫌いという人もおられる) きっかけは山笑会*の発足会であった。かの人は、日本で初めてFSC認証を取得した狙いとメリットを説明する中で、林業に縁遠い人間にも分かり易く体系づけて森林管理を語った。それまで行政や自治体、森林組合の枠組みしか知らなかった私には、本当に目からウロコだった。「美しい森はまた大いなる収穫をもたらす」というアルフレート・メーラーの恒続林思想をキーワードに、森林経営の奥深さを啓示してくれたのだった。(恥ずかしながらこの時分まで『林学』という学術領域があるのも知らず)「もっと森林に関わりたい」との思いは、この頃から芽生えたものと思う。
一方で、徐々にスチール家具業界の一企業で国産材利用を推進する難しさと、間伐材というキーワードをかざして環境貢献をアピールすることへの違和感が強まって行ったのだった。杉ダラワールドではあまりそうしたPRは見かけないが、一般に「川下」と表現される製材以降、建材や家具・雑貨の世界では、国産針葉樹は一緒くたにされ、全てが「間伐材」になってしまう。
間伐とは成長過程の林分において曲がったり、残す木の生長を妨げたりする木を抜き切りし、山林の質を向上させること。その為、本来はその間伐材から反りや節の少ない、製材して使いやすい木は出て来ない。しかし、多くは、恐らく杉檜となれば「曲がりのない木や節の少ない木」などを使用しているだろう。それらは、断言はできないが、主伐や狙って伐った素性の良い木なのである。そういう材を使っていながら「間伐材を使って日本の山に貢献しています」というのは正解ではないし、この傾向がまかり通っているうちは杉檜の真価を分かってもらえない。更に材のイメージも悪くする。「間伐材」は、山林経営のためにはならないのだ。他にも色々「川下の都合のいい真実」を変えたい!と思い、安定した会社員生活に終わりを告げた。(ダンナは怒ったが) もう一つ、十数年前とは違い、格段に国産材を格好よく使うプレーヤーが増えたことも理由だ。(まぎれもなくこれはスギダラが感染源)実は、在職中に若杉氏からラブコールを受けたのだが、当時は諸々の事情…いえ、了見の狭さでお応えできなかった。今は足を洗ったおかげでまぎれもなく仲間が増えた、と勝手に嬉しがっている自分がいる(笑)。
山の仕事はシンプルだが説明がしづらい。なかなか想像力で補えないところがある。それでも、自分の経験なりに、山側の意を伝えていく代弁者は必要だと考えている。もういい歳をして、知識も経験も足りないが、少しでも双方のお役に立てたら嬉しいと思う今日この頃である。とりとめのない話で失礼しました。

*山笑会・・・正式名:WWF山笑会 日本におけるFSC認証取得者のサポート会。2002年発足し、2011年にFSCジャパンに活動を引き継ぐ形で解散している。

   
   
   
   
  ●<かがや・ひろよ> 森林再生システム
   
 
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