隔月連載
  スギダラのほとり/第13回 「伝統と技術と酒と人―高山駅自由通路完成」
文/写真 小野寺 康
   
 

 

 

 JR高山線は名古屋と富山を結び、風光明媚な渓流景観が絵巻物のごとく連なりゆく日本有数の景観ルートであり、昨今では北陸新幹線も開通し、白人系インバウンドの中では伊勢から高山を経由して富山・金沢へと抜ける、この南北ルートが最近の「ゴールデンコース」なのだという。なるほど昨今は軽井沢ですらアジア系インバウンドで占められている現状の中、高山線の車内では英語、仏語、独語などがむしろ数多く聞こえてくる。

 その高山に通い始めて4年になる。
 高山と言えば、まず世界遺産・白川郷に代表される飛騨地方の玄関口として知られているが、まちなかもまた飛騨の小京都と称されるように伝統的建造物の保存状態が図抜けている。生きた本物の伝統空間であり、何より高山の人々がそれを誇りにしていて揺るがないのが町の表情にも顕れている。
 さらに人々の暮らしぶりや情緒にも、確実に歴史的時間が重層し継承し続けているのだ。

 たとえば「めでた」。そして「半弓」。
 高山では会食する際、まずは挨拶があって乾杯するというところまでは通例通りだが、座がしばし進むと、主催者代表か年長者の一人が指名されて、「めでた」という祝い唄を歌う。一人が歌い始めるとやがて全員で唱和されるのだが、これが終わってからでないと席を動いてはいけないルールなのである。
 その後はいわゆる無礼講ということになるのだが、高山ではどんなに大声で笑い合っても、着物のまま池に飛び込んでも(そういう人が本当にいるのだ)、どこかに礼節が働いているように感じる。
 そして、飲む。するすると飲む。実に注ぎ上手が多く、酒豪が多い。
 さらに、一次会が終わった後に二次会、三次会という流れはここでもあるのだが、途中で街角にある「半弓道場」に寄るというのが高山らしい。
 その小体な道場は、品のいい老夫婦によって運営されている。道場というにふさわしい落ち着いた室内の奥には、築土の中にマトが埋め込まれていて、小さな椅子に座りながら半身の姿勢で弓矢を引き絞って打つのである。
 的に当たると、ストォン!とそれは気味のいい音が鳴り響く。はずせば土の中にボソッ…と、それは情けない音で終わる。
 これを素面ではやらず、酔ってからやるというのが高山流である。
 ある時スナックで飲みながら半弓の話に興じていたら、隣の客が
 「ああ、たまらん! ちょっと射ってくる!」
 といって飛び出していったことがあった。
 その半弓道場も、後継者がいなくなってもうじき閉鎖されようというのがやや寂しいのだが。

 そんな街の玄関口である高山駅が、この度世界遺産を視野に入れつつ、新駅として改修されることとなった。
 それまでは中心市街地のある東口側に、瀟洒な昭和モダンの駅舎がこじんまりと構えられていたが、今回の改修に合わせて、反対側の西口にも小ぶりの駅前広場が新設され、さらに東西をつなぐ跨線橋型の東西自由通路も設けられて、改札口は地上ではなくこの2階レベルに接することになった。
 駅舎本体のデザインは、建築家・内藤廣さんが監修したものだが、改札口のある東西自由通路は、高山市の依頼で内藤さん自ら設計を行うこととなり、さらに駅前広場整備に私と南雲勝志さんが協力を要請された。
 南北自由通路は、飛騨ヒノキがふんだんに使われた和様のテイスト色濃い現代建築である。矩形のヴォイドが空中に貫通するその形は、モダンでありながら端正で、高山市民からは早々に受け入られたようである。

 この自由通路には、もう一つの価値が与えられた。
 それはヒノキの回廊の中を、高山の様々な伝統技術の展示場とするというものである。
 伝統技術、すなわち、屋台。
 さても高山の文化を代表するものとして一般にもっとも知られているのが、毎年春と秋に開催される高山祭であろう。京都の祇園祭に並んで日本三大美祭に数えられるこの祭りは、絢爛にして壮麗な山車(高山ではこれを「屋台」と呼ぶ)が錦絵のごとく町を彩りつつ、ゆるりゆるりと巡り動く。
 いうまでもなく屋台は、建築のみならず彫刻、彫金、漆器、テキスタイル等、様々な伝統工芸技術の結晶体である。自由通路では、その技術の奥義を紐解く形で展示して、訪れる観光客に高山の伝統技術の奥の深さ、魅力を伝えんとする意図なのだ。
 そのデザイン・ディレクターの役割は、高山市より内藤廣さんと南雲勝志さんに委ねられた。
 この屋台展示を実現させるには、素材と技術、そしてそれを支える職能に対する深い知識と造詣が必要になることは言うまでもない。内藤廣建築設計事務所とナグモデザイン事務所が、文字通り地域職人とタッグを組んでこれを実現させた。
 いずれ本人たちからその顛末が書かれる機会があると期待しているのだが、ともあれ「スギダラのほとり」として第一報をここにお届けするものである。

   
 
  高山の伝統的建造物保存地区。保存のされ方が半端でない。むろんフェイクなんぞどこにもなく、徹底した本物の伝統建築が極めて高い水準で集約している。
   
 
  改修前の高山駅。昭和モダンの瀟洒な建物であった。
   
 
  高山は複数の川が流れる水の町でもある。宮川に続くこの江名子川のほとりにある「京や」さんは、キノコ汁や漬物ステーキなど絶品の郷土料理を出してくれる。しかしいくら美味いといっても、その店に9人で行って、なんと二合徳利を52本も空けるとは…。一人一升以上飲んだことになる。文字通り、体がしびれるほどに飲んだという思いはかつてないことであった…。これまで新潟や高知、宮崎など、「酒豪県」は少なからず回ったが、自分の中では高山こそがチャンピオンである…。
   
 
  高山の夜を屋台が彩る。宮川の橋の上をゆるゆると渡る風景は幻想的だ。
   
 
 
  屋台に伴って行列に参加するのは人間ばかりでない……。
   
 
 

設計に先立ち、高山祭を実際にじっくりと見るべきだというところから、平成26年春の「山王祭」に出向いた。ありがたいことに特別に祭半纏を着せてもらった。これを着ていると、恐縮ながらどこでもフリーパスになってしまうのだった。高山市の方々に加え、伝統工芸に造詣が深い大野栄治さん、高山を代表する大工の一人・八野明さんに直接案内してい頂いた。
左から高山市・谷口さん、私、南雲勝志さん、内藤事務所の五十嵐さん(当時)、大野さん、八野さん、内藤事務所の酒豪・小笹さん、高山市の担当者・大下さん。

   
 
  今年(平成28年)秋に完成した高山駅と自由通路。左側の格子に覆われたヴォリュームが駅舎本体であり、右側の大開口部のシャフトが東西自由通路だ。写真は完成式典の当日(10月1日)で、大変な人出であった。
   
 
  完成した自由通路内部。飛騨地方のヒノキがふんだんに使われた木質回廊。壁面にはショーケースが埋め込まれていて、高山の屋台技術に関連する様々な装具や、それを創り出した道具などが展示されている。
   
 
 

圧巻は屋台の部分展示。本物の材料で素地から完成までの製作過程がグラディーションのごとく表現されている。手前にいるのが高山市の東(ひがし)部長。このプロジェクトの統括責任者である。彼の熱い想いから、この屋台展示が実現した。

   
 
  自由通路の設計者である内藤廣さん(中央)と展示スペースのデザイン・ディレクター南雲勝志さん(右)が、完成した展示屋台の前で職人さんらと談笑。
   
 
  ショーケースの前で笑顔のナグモデザイン事務所・出水進也さん。道具を展示する金物までが伝統工芸であり、これまた形状から仕上げまで念入りに検討されてできている。担当者として苦労が絶えなかったはずだが、完成したクウォリティを見て会心の笑みである。
   
 
 

自由通路の完成除幕式。左から3番目に大野栄治さん、4、5番目に南雲勝志さんと内藤廣さんが揃ってテープカット。実はこの後、幕が展示屋台に引っかかってアタフタする一幕が。

   
 
 

一般開放直後の自由通路。大変なにぎわいである。市民の関心の高さがうかがえる。

   
 
  完成した西口駅前広場では、出店が並んで大勢の人たちでにぎわっていた。
   
 
  西口駅前広場でハイハイする赤ちゃんがいた。多分この子が広場完成初のハイハイ。
   
 
 

この西口広場は、住民のための機能空間という位置づけである。
これから東口広場の整備が始まる。東口は、伝建地区を含む中心市街地側であり、いわば高山のメイン広場であり、「もてなし」の空間と言っていい。東口広場の現場監理は、この秋にスタートした。

   
   
   
   
  ●<おのでら・やすし> 都市設計家
小野寺康都市設計事務所 代表 http://www.onodera.co.jp/
月刊杉web単行本『油津(あぶらつ)木橋記』 http://www.m-sugi.com/books/books_ono.htm
   
 
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