連載
  スギダラな一生/第78笑 「コンゴの今後」

文/ 若杉浩一

   
 
 
 

西原さんに出会ったのは、ワイスワイスのイベントだった。
沢山の登壇者がいて、一日中のイベントだった。
どれも面白かったのだが、国産材の活用というテーマの中で、コンゴのマルミミゾウの話をされた、西原さんに釘付けになった。
完全に、やられてしまった。
わずか15分のお話だったので、詳しくは聞けなかったのだが。
マルミミゾウの話は、単純に遠い地域の話でなく、僕たちの日常に繋がっていて、近代化されるということが、文化や自然を破壊し、私たちの大切なものを、知らない間になくしているということを気づかされるのだ。
遠い地域の話は、日本の地域のこと、いや地球全体のことに繋がっていた。
僕たちは、どこに向かっているのか?
そして、西原さんは、なぜ、コンゴなのか?
なぜ、そのような事にいたったのか?
なぜ、このような本質につながるのか?
一体どういう人なのか?猛烈に興味がわいたのだ。もっと知りたい!!
僕は、そのパーティーの最中に、西原さんを探し、とにかく、次回、来日の時、ギャラはないが、沢山の素晴らしいオーディエンスがいるので「屋台大学」という集まりで講演をお願いしたいと、初対面で不躾にも、お願いしてしまった。そんな感じ、なのにだ!!
そんな感じに、西原さんは、さらりと
「私でよければ、引き受けます。」と、仰った。
だいたい「日本全国スギダラケ倶楽部」「屋台大学」「若杉浩一」どれも怪しい響きがする。だらけているか、酒の匂いしかしない。
まっとうなビジネスマンは一旦、様子を見る。なのに、即答!!
西原さん、何かが、臭う。同じ、懐かしい感じがする。
それから、西原さんのブログなどを見て、人となり調べた。

 
 

1980年(昭和55年)3月神奈川県立藤沢西高等学校卒業
1983年(昭和58年)4月京都大学理学部入学
1989年(平成元年)3月京都大学理学部学士試験合格
1989年(平成元年)4月京都大学大学院理学研究科修士課程(動物学専攻)入学
 アフリカ・コンゴ共和国ンドキ熱帯林(のちヌアバレ-ンドキ国立公園となる)にて、野生ニシローランドゴリラの生態学的調査開始
1991年(平成3年)3月京都大学大学院理学研究科修士課程(動物学専攻)修了
1991年(平成3年)4月京都大学大学院理学研究科博士後期課程(動物学専攻)進学
 京都大学大学院理学研究科博士後期課程(動物学専攻)研究指導認定
 京都大学博士(理学)取得(博士論文題名「コンゴ北部Nouabale -Ndoki国立公園に生息するニシローランドゴリラの生態学的研究」)
1994年(平成6年)4月から1998年(平成10年)3月まで 日本学術振興会特別研究員(PD);京都大学理学部研修員

○研究調査・自然環境保全経歴
1986 - 1989 人類の頭骸骨の形態学的研究(京都大学大理学部動物学教室・自 然人類学研究室)
頭骸骨に見られる側頭線(咀嚼に関わる筋肉の頭骸に接する部分にできる線状痕)の発達に関する形態学的研究に着手、現生人類の頭骨とアイヌの頭骨との比較計測、アイヌの方がより強い側頭筋を有していることが推測された。
1986 - 1989 インドネシア国・オランウータンの直接観察調査(自費)
二度にわたり、合計2か月、インドネシア・スマトラ島北部のボホロク熱帯林を訪問、孤児院にて野生復帰へのリハビリを受けている若いオランウータンほか、野生のオランウータンも観察。類人猿個体識別及び各個体の行動記録調査の試行。
1989 - 1991 コンゴ共和国・ンドキ熱帯林[のちヌアバレ-ンドキ国立公園となる]でのゴリラ・ チンパンジーの生態学的研究(京都大学大学院理学研究科)それまでほとんど知られていなかったアフリカ熱帯林に生息するニシローランドゴリラの食性とその季節変化について、合計約2年にわたる直接観察・フン分析などをもとにした長期野外調査を実施。
「ニシローランドゴリラは果実の季節には多くの果実を食するというマウンテンゴリラとは異なる食性はもつものの、基本となる食性は他のゴリラ種と同様、湿性草原における草本を含む草本類である」ことを、1994年の博士論文にて明らかにした。
1991 - 現在 日本・海外のメディア隊のコンゴ共和国 / ガボン共和国での現場コーディネーター
都合10回以上にわたり、NHK、日本の民放ほか、National Geographic、BBCなど世界の著名なメディア局と現地にて仕事をコーディネートする(下記、放送局との主要な仕事を参照のこと)。
1994 - 1997 コンゴ人研究者への野外研修プログラム・リーダー(京都大学 / WCSコンゴ)
約3年間世界銀行の資金にてWCSと共同で、コンゴ人若手研究者との共同研究プロジェクトを始める。テーマは、ヌアバレ-ンドキ国立公園におけるゴリラ、チンパンジー、ゾウ、昆虫、植物などを包括した熱帯林生態学と、コンゴ人による現地調査研修を通じた熱帯林保全。
1997 - 1999 コンゴ共和国・ヌアバレ-ンドキ国立公園保全マネージメント技術顧問アシスタント(WCSコンゴ)
WCSの現地協力員として主に国立公園基地管理にあたり、また当国森林省主導の国立公園内・対密猟者パトロールにも参加。
1999 - 2000 アフリカ熱帯林徒歩横断・生態学的調査プロジェクト“メガトランゼクト”の現場コーディネーターおよび調査アシスタント (WCS / National Geographic Society)
コンゴ共和国北東部からガボン共和国大西洋岸にかけての広範囲における熱帯林の野生生物の生息状況と人間の諸活動による自然環境への負荷に関する基礎調査プロジェクト。調査隊(合計465日間で約3200kmを徒歩踏破)の物資補給や、当地研究者・森林省スタッフの参加のコーディネートのほか、踏破中随時調査隊を出入りし、またある特定の場所にて撮影を行なったアメリカのナショナルジオグラフィック隊のコーディネートおよび調査アシスタントも兼ねた。調査結果は、とりわけこれまでほとんど知られていなかったガボン共和国の自然の豊かさ、生物多様性、環境の特殊性などを明らかにし、この情報をもとに、のち2002年にはガボン共和国には存在していなかった新たな13の国立公園が設立された。
2001 - 2003 日本国内外での自然保護関連の調査と啓蒙活動(野生生物保全論研究会等)
アメリカ合衆国・ナショナルジオグラフィック本部にて、上記“メガトランゼクト”の資料分析
コンゴ共和国オザラ国立公園周辺部でのゾウの密猟の現地調査
ワシントン条約締約国会議(COP12)にオブザーバー参加
ボリビア・マディディ国立公園におけるWCSエコツーリズム調査に短期参加
2003 - 2007 ガボン共和国・ロアンゴ国立公園保全マネージメント技術顧問(WCSガボン)
エコツーリズム・セクターとの共同事業の初期プロジェクトの立ち上げにも従事。海に入るカバ、砂浜を歩くゾウ、大西洋を遊泳するザトウクジラ、産卵のため上陸するオサガメなど、将来のガボン国のエコツーリズム発展に寄与する対象の調査研究および保護とツーリズムを同時に実施する試み。
2007 ガボン共和国・ロアンゴ国立公園内での石油開発の環境アセスメント・プロジェクト・リーダー(WCSガボン)
国立公園内での石油開発探索の許可を受けた中国の石油会社の活動を対象に、野生生物ほか自然環境への負荷を最小限にするためのガイドラインを監査するチームのリーダーを、ガボン環境省から任命され、現地にて中国人スタッフと協力しつつ、アセスメントを実施した。
2008 - 2009 ガボン共和国・イヴィンドウ国立公園保全マネージメント技術顧問(WCS ガボン)
国立公園周辺の伐採業が活発化する中、野生動物の集まる湿地草原ラングエ・バイやアフリカ熱帯林有数の滝であるコングー滝を有するイヴィンドウ国立公園で、いかに対密猟パトロール隊を編成し、複数の伐採会社と協力関係を作り、また野生生物の研究調査を継続していきながら、かつどのようにエコツーリズムを立ち上げていくか、その模索を図る。
2009 - 現在 コンゴ共和国・ヌアバレ-ンドキ国立公園保全マネージメント技術顧問(WCSコンゴ)
かつての当地での経験を生かし、国立公園基地の改善、および周辺伐採業の活発化に伴う昨今増加の傾向のある密猟や違法野生生物取引を取り締まるためのパトロール隊の再編成などを、現地森林省スタッフとともに実施中。

 
 

どうでしょうか!! もう後半は何者かわかりません!!
研究の領域が様々なモノ、コトにつながり理解不能!!
しかも!!
本人談:日本人として
平均して年に一度、日本に帰国する身ではあるが、アフリカ熱帯林にかかわってすでに20年の月日が経つ。日本を長期離れていたがゆえに、日本の伝統や文化(文学、音楽、芸能など)に新発見や再発見をすることがここ数年目立ってきた。昨今は、能楽や文楽、そして日本の伝統楽器などに強い関心を示すようになってきている。

活動は多すぎで、ここでは紹介不可能です。
詳細はこちら!!

とにかく、好きなコトに正直で、出会いに迷わず、流れるが如く、自分というものに近づいていく推進力には、開いた口がふさがらない。
果たして人は、このようにダイナミックに、生き果せるのだろうか?
本当にそう思わされるのだ。 
そして、その出で立ちは質素そのもの。
しかし真っ黒な顔の奥にキラキラした美しい眼差しがある。
まるで、少年の目のように透き通っている。

 
 

【第41回屋台大学】

静かに、丁寧に話す西原さんの話の奥には沢山の実践と経験、そしてそれよりも大変な苦労、そんなものを苦労とも思わない、彼の眼差しが垣間見える。
一つ一つに言霊があり、聴衆の心をわしづかみする。
そうなのだ、彼は研究者、学者であるのだが、一つのコトにとどまらず、研究の背景にある真実に向かおうとする好奇心、愛、正義があるのだ。
だから、全ての事象が人として生きる哲学に繋がっている。
学問のための学問ではない。人というものに向かっている運動なのだ。
「私は人類の謎を解くべく、人骨の研究をしていました。しかし、骨と向き合っているのがつまらなくなり、生きている者と向き合いたいと思い、やがて猿人類の研究に至りました。ボルネオで研究をするうちに、人類の始まりであるアフリカへ。そしてコンゴに行き、ゴリラの研究をしました。そこで、ニューヨークに本部がある野生保護協会(WCS)と巡り合いました。」
「僕は、そこの会長から、君は日本人なら、マルミミゾウを守るべきだ。なぜなら、日本はマルミミゾウの象牙を買っている国だからだ!!と言われました。」
「何のコトやら、わからなかったのですが、僕はコンゴ人枠でなんとかWCSの職員として雇われ、その謎を解くコトを選びました。」
「いろいろ調べていくうちに、失われつつあるジャングルの生態系を維持している偉大な動物、それがマルミミゾウでした。マルミミゾウは沢山の森の恵み、果実を食べ、移動しながら糞をします。マルミミゾウの糞は種子の温床でした。マルミミゾウの糞から出た種子は確実に発芽します。そうして森は豊かになっていくのです。ですから森を守ってもマルミミゾウがいなくなったら、森は消滅に向かう、いや沢山の動物が絶滅に向かうのです。」
「マルミミゾウは西アフリカの生態系になくてはならない存在だったのです。」
「しかし、高値で売りさばかれる象牙のために密猟が行われます。破壊的な密猟です。」
「みなさん、マルミミゾウの象牙を一番好きな国はどこだか知っていますか?」
「日本なのです、マルミミゾウの象牙は硬くてしっかりしています。質が高いのです。だから、複雑な加工や細工ができる。特に三味線の撥には最適なのです。私たちは知らない間に、遠く離れた国の自然破壊を促していたのです。」
「いや、一方的に悪いとは言いません。日本の伝統、文化だからです。」
「しかし、そうやって、世界が繋がっていて、知らない間に知らない国を破滅に追いやっている。そう、知らないというコトが、問題なのです。」
「私たちの国は、先進国であり、素晴らしい技術を持っています。」
「だから、象牙ではなくてもいい素材や技術があるはずなのです。そうです、そういう技術こそ、先進国が考えるコト、様々な事象を理解し、解決して、未来に渡す力です。そう、創造力です。」
僕は、西原さんのその言葉を聞いて、胸が熱くなった。
沢山の専門家、優秀な人たち、見識者。
しかし、もはや専門家が専門性を主張している場合ではないのだ。
今ある事に、未来に、その力を活かす力、情念を持った創造力が必要なのだ。
目の前にある豊かな暮らしは、どこから来たのか?
どこに繋がっているのか? 未来につなげる事が出来るか?
だんだん、複雑になり、見えなくなり、当たり前になってしまう。
人の当たり前を維持するために正義がつくられる。結局、誰かのものを奪ったり、壊して生きることが、正しいはずがない。
経済のため、生きるためであれば、そうならない事を提供することも消費する立場の責任だろう。
生きるために、川の上流で水を使い果たせば、下流は、生態系は、破滅する。
ほんの少しの想像力で、解り得る事のはずだ。
高度な教育や、知識ではない、ともに生きるという情感の問題だ。
西原さんは、こう連ねていく。
「みなさん、結局、生きていくために何があるか?アフリカでは、生態系を壊して、資源を売って、生きて行くしか、なかったのです。豊かになるために、国を守るために。」
「しかし、生態系、自然の崩壊は、森に住むという、ピグミーさんの文化や伝統、生きる知恵さえ奪っていくのです。つまり文明は、地域の人間の生態系さえ奪うのです。」
「果たして、近代的な教育は正しかったのでしょうか?森から出た人は、お金がないと生きていけません、森があれば営々と生きてこれたのに、生きる事が不可能になるのです。」
「近代教育の代償に、ピグミーさんの数千年の能力が消滅するのです。彼らは500メートル先の擬態化した毒ヘビも見えるし、地図なんかなくても森を正確に行動できるのです。僕らには、理解不可能です。現代のどんな技術があろうとも、ピグミーさんの力なしには、僕らは安全に活動できないのです。現代の文明は、森林の破壊から始まり、野生動物の絶滅を起こし、最終的に先住民の消滅を起こす。僕たちの知らないところで、このような事が起きているのです。」
「つまり、豊かな教育というものが、先住民の数千年の英知を伝統を消滅させるのです。」
「自然を守る事が正しいか?近代の豊かさ、開発が正しいのか?僕はそんな事を論じるつもりはありません。問題は、その二極化が問題だって事です。その二つの間があるという事。両方を解決する英知があるということ、その橋渡し、繋ぐという英知、分野を超えた連携を伝えたいのです。」
「限りある、資源、受け継いだ何か?これからどこに向かうのか?このままで良いとは思いません、何かがおかしい。すべての英知と連携こそ、何かを解き明かすものだと思っています。」
「最近、いろいろな事に出会い、知るたびに、結局僕は、人間を知りたかったのだって。そう思うのです。」
「結局、最初に戻ってきました。」
「日本は豊かになりました、しかし、私たちは全世界からものを調達し、生活しています。確かに、物質的には豊かになったかもしれません、しかしその先にある事への配慮や、情感をもって人間の原点である「ゆりかご」の創造をすべき立場にいます。毅然として日本人らしい生き方を示さなければなりません。この事を、伝える事ができるのであれば、僕はどこへでも行きます。本当に今日のような場面をいただけた事に感謝しています。」

参った!!参ってしまった!!
言葉が出ない!! こんなに、言葉が出ない事はなかった。

たくさんの経験、好きな事への飽くなき探究心、名誉や権威や経済よりも真実を求める姿、沢山の事を語りすぎる社会、ノイズだらけのメディア、音を感じなくなった人達、考えない毎日の連続、音のしない仕事。
僕は、西原さんの話を聞いて、本当の音を聞いた気がした。
心震える、懐かしい、大切な音。
僕たちが生きて来た音。
そう、それは「森の音」
先人達が大切に育んできた「自然の音」
西原さんは、そのような音を奏でる人だった。
この音を、たくさんの人に伝えたい。

この出会いに感謝して。

   
   
   
   
  ●<わかすぎ・こういち> インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 所属。
2012年7月より、内田洋行の関連デザイン会社であるパワープレイス株式会社 シニアデザインマネージャー。
企業の枠やジャンルの枠にこだわらない活動を行う。
日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長 
月刊杉web単行本『スギダラ家奮闘記』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka.htm 
月刊杉web単行本『スギダラな一生』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka2.htm
月刊杉web単行本『スギダラな一生 2』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka3.htm
   
 
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