連載
  スギダラな一生/第76笑 「木を使うこと、デザインという」
文/ 若杉浩一
     
 
 
 

5、6年前だろうか?吉野町の中井さんから、相談があった。
「若杉さん、吉野中学校の子供達のデスク椅子を作りたいんです。」
僕は、会社が学校の家具や什器を全国の子供達へ提供していながら、長い間、生産主体、コスト主体のモノ作りに疑問を感じていた。しかもだ、そんなモノに囲まれて子供達が成長して行く事を考えるともっと、真っ当なものを作りたいと、ずっと思って来た。
しかし、学校の学童デスクは、過激なコスト競争のなかで日本で生産出来る工場は数社しか無いほど寡占化され、昔から変わらない厳しい仕様と、価格の中で、何も変わらず、数十年、同じようなものが提供されているのである。
だから、学童デスクの新たなデザインは、メーカーからすると手を出せない領域で、やればやっただけ、開発投資のことや、同じ売り上げの中での食い合いになり、普及の苦労等を考えると、リスクだらけなのである。
しかし、以前、仲間で、親友で、我国のナンバーワンの(若杉評)家具デザイナーの、藤森さんの仕事で、私立の高校のデスクセットを作った事があり、その出来映えと、並んだ美しい風景を思い出し、この人しか無いと思った。藤森さんのデザインは、流行とかとは、縁を切った、本質的な美しさや、デザインする意味が潜んでいる数少ないデザイナーの一人だ。
自分でデザインするのもあるのだが、この新たな出会いとチャレンジに、是非藤森さんを巻き込みたいと直感的に思った。この、モノづくりの裏にある本質に共感出来る人だからだ。この後の、商品化のプロセスを考えると山ほど課題はある。しかし、現場から生まれた思いを考えると、可能性に賭けない訳にはいかない。
早速、藤森さんに連絡すると、即答だった。
早速、何も後ろ盾が無い開発が始まった。
何故なら、製品開発をするという枠組みは無いし、はたして吉野町から開発費、いや発注が来るかも定かではなかったからだ。
会社の仕組みから言うと、きちんと計画を出し、承認された後に計画を実施する訳だが、そんな事をやったら、採用される訳が無いどころか、面倒なことを興すだけだ。
どこから、どう開発費を捻出するかは、さておき、今走れる所を、自分の裁量分だけ走る、それしかない。
未来を共有することが出来るまでの時間は、未来を自ら背負うしかない。
少なくともここに未来に自らを投じている人がいる以上、選択肢など無いのだ。
このようにして、このプロジェクトは、立ち上がった。

早速、デザインスタディーをし、模型を携え、僕らは吉野へ向かった。先生達の思いや、感想を聞きたかったからだ。 校長先生、先生達の目は輝いていた。自分達の子供達に地元産の学童机を心待ちにしていた。
「いや〜〜夢のようです。早く、子供達に使わせたいです。」
「学校が地元の協力でこんな素敵なものが出来たのに、机椅子が、これでは、本当に、この意味が子供達にきちんと伝わっていないと思うのです。なんとか、木の暮らし、地元の誇りを伝えたいのです。」
校長先生の思いは熱かった。小さな模型を前に熱い思いが、ぶつかりあった。
それから、地元の木で作られた、地元の小学校を見て回った。
子供達の笑顔、振る舞い、校舎内に流れる心地よい風、何か全てが共振しているように思えた。懐かしくもあり、心躍る空気がそこには存在していた。「何かに育まれている。」そう言う感じだろうか。

その後、細かいやり取りをしながらも、開発は順調に進んで行った。
しかし、それからが大変だった。県の木製学童机の補助金が出ないというのだ。全て木製でないと補助対象にならないのだ。ここ吉野でもオール木製の学童机を既に小学校では使っているのだが、重い上に、ぐらつきや、耐久性に問題があり、困っていたのだった。おまけにオール木製となるとハードな試験や耐久性をクリアして、製造出来る工場は限られ、地元の関与が殆どなくなって来る。全く本末転倒なのだ。
木を使えばいいという、この制度は地元の関与を希薄にするだけでなく、製造元を限定し、ユーザである子供達への負荷を強いるのである。中井さんは行政とやり取りし何回もチャレンジしたのだが、何ともならなかった。ついに、開発は頓挫してしまった。
僕らのデザインは、強度を担保する所はスチールで、地元が関与出来るように簡単で加工技術が複雑にならないように箱部(天板と引き出し)は設計されている。そして、その木部は卒業と供に持ち帰り、生活に溶け込んで行く。 企業と地域、山と製材所、加工する人と子供達、つまり地域が一つの机で繋がって行くのだ。何と素晴らしいじゃないか?
そんな事を理解せず、沢山木を使うという事だけを、是とするこの規則。ただただ、木を使えばいいってもんじゃないんだ!!子供達が地域の成り立ちを知り、地域の事を思い、感謝して使って行くこと、地域の事を誇りに思う事、そこに人やモノが介在する。そう言う事じゃないか!! 全く変な規則だ。
普通の工業製品机を買えば、安く買える。しかし木製となると地元から手が離れ、遠くの誰かが、子供達に負荷がかかる大変なモノをつくり、そこへ補助金が付く。モノを作り、育むという大切な事が全く無くなってしまっている。
結局塩漬けになってしまった。
しかし、中井さんは諦めなかった。地道に町議会メンバーを説得し町長をも巻き込み新しいモノづくりをスタートさせたのだ。開発から既に5年も掛かってしまった。

この机にかかる補助金分(高くなった部分)は地元が負担する事を決めたのだ。子供達の未来のために、町が決心したのだ。
素晴らしい!!この一報に僕達は感激した。

そもそも、そのお金は地元に落ち、地元の経済に繋がり、そして、山と町と子供達を繋ぐ、そして、この事に触れた子供達の経験や記憶となって次の世代へ引き渡されていく。時間は掛かるが、失って来たものを取り戻すには、こんな事から始まるのである。

早速、モノづくりが始まった。夏休み中に完成させ、新学期から子供達に使ってもらう。
中井さんから、数枚の写真が届いた。そこには、工場から送られた机の脚や椅子をトラックから荷下ろしし、開梱し、教室へ運ぶ子供達の写真。なんだか、ぐっときてしまった。

そして暫くして、藤森さんチームと、僕達チームは、机の組み立てワークショップのために吉野に向かった。
ワークショップ前夜、関係者が集まりお祝いの宴を行った。
この、お酒のために頑張っていると言っても過言ではない。
嬉しくて、美味しくて、仲間が愛おしい。すべてが美しい。

モノづくりって素晴らしい、本当にそう思う。沢山の思いが重なり、苦難や障壁を乗り越え、風雪の時を耐えてたどり着いた喜びは何事にも代え難い。

翌日、夏休みの中学校に集まった沢山の子供達。
山の人達(中井さん達)、製材に関わった人達(石橋君達)、加工に関わった地元に人達(田中さん達)、製作に関わった内田洋行、金物メーカのハーフェレの人達、デザインチーム、そして先生達。
製作に携わった人達のビデオメッセージ、そして町長、校長先生のお話し。
僕は感激していたのだが、子供達の反応は、やらされてる感じ丸出しである。

しかし、一瞬でその表情は変わった、箱部の製作が始まり、形が出来上がっていく。ペーパーで磨いて奇麗に仕上げる、子供達の活き活きした目、声、作る音、一気に何かを掴んだ。
節が、あるの無いの、うっかり傷をつけた事、ただのパーツだった代物が、子供達の手で愛おしい、大切なものに変わって行く。これから三年間大切に使って行くモノだ、真剣になる。

一人、一年生の背が小さい男の子、一生懸命に磨いている。早めに作って友達と話しをしている中で、黙々と、ツルツルに磨いている。
よほど気になるのか木口を一心不乱に磨いている。手で撫で、確かめながら、また磨く。最後の組み立て、脚部と箱部を先生達が組み立てる、子供達が並んで順番を待つ間も、ずっと磨いていた。
そして、ようやく立ち上がり、組み立て。完成した自分のデスクを持って教室へ、みんな誇らしい笑顔に変わっていた。
教室に運ばれた机椅子はピカピカで、教室が一気に明るくなった。みんな自分の机を愛でていた。あの少年は? いた、いた。一番後ろの席で先生の話しも聞かず、机を撫でている。それどころか、引き出しの中が、よほど気になるのか手を突っ込み、木の表情を確かめている。しまいには、頬ずりを始めてしまった。ニヤニヤしながら眺めていた僕らに気づくと、彼は、恥ずかしそうに向こうを向いた。とても素敵な光景だった。僕と藤森さんは、その風景を見ながら、感動していた。

デザインは何の為にあるのか? 企業で働いて、ずっと疑問に思って来た。
美しい形を生み出す?
売れるモノを作る?
どれも腑に落ちなかった。心が震えなかった。

そして、色々な人に出会い、問うても、確からしい答えはえられなかった。
スギダラを始め、色々な地域に行き、様々な人と出会った。
初めてデザインの居所が分かったような気がした。
様々な専門家、様々な役割、様々なひと、地域、素材、匠、風景、文化。
本当は全て繋がっている、意味がある。
だから答えは、人の数ほどある。人の数ほどデザインが存在する。

しかし、デザインは、それを集約し、売るために、最大公約数的に最小公倍数なるものに形を与えて来たのだ。
だから、そこには人の顔も、風景も、地域も無い。
ただ消費されるだけの、虚ろいのモノだった。
やがて、地域は、人は、消費するだけになり、文化や、誇り失っていった。

デザインは、バラバラになった様々な大切な事を繋ぐ力と意味を持っている。
そして、ここ、吉野のプロジェクトにはその形が存在した。
切り離された、地域の営み、技術、素材、風景、思い、そして誇り、子供達に伝えなければならない事。
10年かかるかもしれないし、もっともっとかかるかも知れない。
しかし、デザインが、地域が、やり続ける、意味がある。
子供達の笑顔や、眼差しを見て、そして大人達の佇まいをみて僕達は確信したのだった。。

かの、建築家の内藤廣氏は、
「デザインとは、素材、技術、風景、時間を翻訳することだ。」と仰っている。
「あ〜〜これが、一番腑に落ちる」

吉野からの、帰りの新幹線。藤森さん、奥ちゃん、石橋さんと、デザインの広がりと意味を心に刻み、一杯、二杯、三杯と幸せな時間を過ごした。

「デザインって素敵な仕事だな〜〜〜」  こう一。

吉野の中井さん、石橋君、田中さん、吉野中学校の沢山の先生、子供達、関係者の皆さん。そして藤森さん、石橋さん、奥ちゃんに感謝の気持ちを込めて。

   
   
   
   
  ●<わかすぎ・こういち> インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 所属。
2012年7月より、内田洋行の関連デザイン会社であるパワープレイス株式会社 シニアデザインマネージャー。
企業の枠やジャンルの枠にこだわらない活動を行う。
日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長
月刊杉web単行本『スギダラ家奮闘記』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka.htm
月刊杉web単行本『スギダラな一生』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka2.htm
月刊杉web単行本『スギダラな一生 2』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka3.htm
   
 
Copyright(C) 2005 GEKKAN SUGI all rights reserved