人形町の事務所(9号参照ください)、そしてこの水天宮のお店と続けて本当の意味でスギダラケになってしまったこの3ヶ月。今や公私共に杉の無い生活は考えられなくなってしまいました。杉の話をすればする程、今度は杉をどう使おうか……と発想も膨らんでいきます。お店にいらしてくださったお客様は、「杉の香り」「手に馴染む感触」によって「落ち着く」という印象をもたれるようで、「今までに経験したことのない空間」「居心地がいい」と言ってくれます。なんともありがたく、心温まる時々。だからなのでしょうか、お店はスタンディングバーにもかかわらず、長時間滞在されるお客様がけっこういらっしゃいます。
自分でも過去の記憶になりつつあったのですが、よくよく思い返してみると、杉は身近に存在していたのだなぁと、最近、さまざまな思い出が甦ってきたのでした。
幼い頃、実家の裏手にあった頭も枝も切り落とされた1本の杉の木に、五寸釘を打ち込んで足場にし、テッペンまで登る遊びが好きでした。何年も続けているとスカスカになった杉には釘が刺さらなくなり、年老いてただ1本天に突き立った杉を下から見上げ、何故か悪いことをしたような、罪悪感を覚えてしまったり……。道端の電柱にも登ってよく怒られました。また、物置小屋や隣の家との境の塀が杉材で出来ていて、年に一度タールを塗っていたという思い出もあります。10年に一度ぐらい杉の戸袋を張り替え、ついでに下地が出てきた土壁の塗り直しを手伝わせてくれた左官屋のおやじがいたり……。
こんなふうに忘れてしまっていたり、日常でも見えていない、気がつかないことって多いんですよね。以前、10年以上も九州で竹の仕事に関わっていたのですが、竹と同じくらい周りには杉山が存在していたのに、自分の範疇ではないというだけで当時、杉が見えていませんでした。杉の存在を知っていたはずの自分ですらこうですから、幼い頃に杉の経験の無い若い世代はどうなんでしょうか。木の感覚とか、実際に体感すればその良さに気づくのに、体感する環境すら今、欠如してしまっているのですよね。杉などの木の良さを、知らずにいるのは、何か勿体ないなぁと、この店の中にいるとより思えてしまうのです。
しかし、(杉を知っているはずの)オヤジ世代はオヤジ世代で店の杉オブジェを見て「この木組みは邪魔だなぁ〜」とおっしゃられる方も若干おられます。そう言われた時は、「そう思うのはオヤジです」、と即答してしまいますが(笑)。
大上段に構えスギたりテーマが大きスギたりすると個々の印象には残りづらいことって多いと思いますが、日常の延長、普段の営みの中に盛り込まれたことというのは案外残っていくものですよね。今、杉を忘れかけていた人たち、また新たな杉体験を得る人たちに対して、スギダラのあらゆる試みが杉の伝導たる振り子を大きく対極へ引っ張り、良質の杉情報を発信していく意義は大きなものとなると思います。普段見えずにいた杉が、日常の中にある杉になっていくことを楽しみにしています。
最後に、私のワガママなお願いを聞いて下さったデザイナーの野井成正さん・山口信博さん、ご協力くださった川上木材の川上宰さん、宮崎県木材青壮年会連合会の海野洋光さん、内田洋行のみなさん、施工を担当してくれたエンティオスの山川英悟クン、杉への無償の愛で手伝っていただいた方々へこの場を借りてお礼申し上げたいと思います。良いお店と事務所が出来上がりました。ありがとうございました!
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