特集 ようびの日用品店&裸笑庵 OPEN!!
  西粟倉における"ようび"の存在
文•写真/牧 大介
   
 
 

大島くんが西粟倉村に移住していなかったら・・・、西粟倉村の「百年の森林構想」は、ただの妄想で終わっていたかもしれません。構想の実現に向けて動き出そうという時に、大島くんという人が来てくれたことは、村にとって大変幸運なことだったと思います。

   
 
  ■虚像から始まった「百年の森林構想」
 

「百年の森林構想」は、植林から約50年経過した森林をさらに50年後まで、つまり「百年の森林」になるまで諦めずに林業を続けようという宣言でした。発表されたのは2008年。大島くんが村に移住する約1年前のこと。村の中では「林業を再生できるわけがない」と思っている人がほとんどでした。それでも、村長は宣言を出しました。そう簡単なことではないことは村長も村役場幹部も認識していたでしょう。でも、何もしなければ過疎化・高齢化の悪循環はますます加速していく。勝てる見込みがなくても、勝負するしかない。そういう挑戦でした。「百年の森林構想」は、発表されてから新聞・雑誌・テレビなどに次々と取り上げられ、「果敢に林業再生に挑戦する山村」というイメージが形成されていきました。でも、それは、まだ実態の伴わない虚像でした。「百年の森林構想」という旗が掲げられただけの状態でしたので。
メディアに紹介されて知名度があがることは、西粟倉村にとって大きなチャンスだという前向きな捉え方もある一方で、「実態がないのにメディアが先行して西粟倉村を賛美し始めた。そうなった上でこの構想が失敗に終われば、責任問題だ。村長を引きずり下ろすための絶好のネタだ」と政治的に考える方々もありました。「百年の森林構想」という夢は、その生まれたての時には、非常に危うく儚い存在だったのです。

   
 
  ■奇跡の再現を期待された先頭打者
 

「百年の森林構想」が発表された翌年の2009年8月に大島くんは西粟倉村に移住してきました。引っ越してきたその日、新しく購入したというノミをうれしそうに私に見せてくれました。移住者用の家が確保できていなかったので、大島くんには私と同居生活をすることになりました。確保できていないものは家だけではありません。家具にするための乾燥された材料もありませんでした。西粟倉村の木でものづくりをするために、人生をかけて村に移住してくれたのに、大島くんが家具にするための材料を供給する体制がまだなかったのです。西粟倉村で最初の木材乾燥機が、森の学校の木材加工場に設置され村産材を乾燥済みの状態で大島くんに引き渡せるようになったのは、大島くんの移住から1年以上経ってからでした。「百年の森林構想」という旗だけがあり、それを信じて移住したが、実はまだ何も始まっていない。そんな何もない状況でしたが、大島くんは誰よりも「百年の森林構想」の実現を信じ、そのために全力を尽くしてくれました。やがて大島くんは、これまでになかった美しい木組みのヒノキ家具の生み出していくようになります。

   
 
  村に移住してきた日の大島くん
   
 

西粟倉村では2006年に(株)木の里工房 木薫という最初の林業系ベンチャーが設立されていましたが、村でベンチャーが誕生するということは奇跡的なことであり、2つ目はないと思われていました。でも、木薫に続くベンチャー企業の出現を信じて、村役場は移住と起業を増やして行く取り組みを始めました。大島くんが西粟倉村に移住してきてくれたのは、その取り組みが始まった最初のころ。なので、大島くんの活躍は、先頭打者ホームランのようなものでした。こんな試合は勝てるわけがない。ほとんどの人がそう思っている中での先頭打者ホームランです。関係者のテンションもあがります。もしかすると、もしかする。百年の森林構想という夢物語は、現実のものとなるかもしれない。ようびの家具によって、そう思う人が増えたことが間違いありません。

私が代表をさせていただいている森の学校もようびに助けてもらったことがあります。今から2年前の2012年に倒産の危機に直面していた時のこと。会社を維持するためには、その1年間だけでも約1億円を集めなければなりませんでした。銀行から追加融資は受けられないなかで、個人的に応援してくださる支援者の方に頼らざるを得ない。そんな中、ある人が西粟倉村まで来てくださって、大島くんに会って、大島くんの夢と情熱にも触れていただきました。そして、「君たちを応援したいから・・・」と言って、その日のうちに1000万円の融資を約束して下さいました。その人は、大島くんに会うことで、「百年の森林構想」はきっと実現する、そのための基盤企業である森の学校も成功するはずだと信じて下さいました。でも、これはほんの一例。ようびを訪れ、大島くんの話を聞き、それによって「百年の森林構想」を信じて西粟倉村のファンになった人は、相当な人数になると思われます。

   
 
  ■ようびから始まったベンチャー企業の増殖
 

大島くんの強い意志と研鑽の積み重ねが、虚と実のギャップを埋めて、「百年の森林構想」という夢にリアリティが伴うようになっていきました。それによって多くの人が村の未来を信じることができるようになった。だから西粟倉村の今がある。そう言っても過言ではないでしょう。「百年の森林構想」は実現可能な夢であると思っている村民は、今では相当に多くなっていると思われます。かつての大島くんのように、夢を抱いて移住する人たちも増えました。村で生まれたベンチャー企業は10社を超え、それらの売上の合計は現在約7億円になり、雇用は70人ほど増加し、子どもの数も増えて村の託児所では待機児童が発生するところまできました。50年がかりの「百年の森林構想」の第1戦は、大島くんの先頭打者ホームランから打線がつながったのです。

そろそろ第2戦が始まりそうな気がします。というか、もう始まっているかもしれません。さてさて、次はどんな展開となるのか。そのあたりの詳細は、来年に西粟倉村で開催されるスギダラ全国大会でお話できればと思っております。

   
   
   
   
  ●<まき・だいすけ> 西粟倉•森の学校 代表取締役
   
 
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