隔月連載
  スギダラのほとり/第9回 「解説者・篠原修」
文/写真 小野寺 康
   
 
 
 

前回、デザイン本を出す話をしましたが……
このたびようやく上梓しました。
『広場のデザイン――「にぎわい」の都市設計5原則』(彰国社)です。

実はネタバレすると、前回の『スギダラのほとり』は、この本の序章にしようとして取りやめたものがベースだったのでした。
なにせこの本の原稿チェックに追われに追われ、気が付けば『ほとり』の締め切りが過ぎてしまい、苦し紛れの思い付きで、大幅に削除したこの原稿を「横流し」してしまうという……悪魔の所業。
だからこれまでとタッチがまるで違ったと思いますし、読み返すと全然まとまりがないのが明らかでした。
まあ、もともと感情が空回りした文章だったので割愛することにしたのでしたが、私にとっては、月刊杉に出すことで文章の「供養」をさせていただいたという面が否定できません。しかし、それは考えてみれば身勝手な話であり、月刊杉の読者には不誠実だったと反省しております。
すいませんでした。

で、今回。
本が出たのでその宣伝方々、内容を紹介してもいいのですが、反省した先からそれでは、いよいよもって誠実さに欠けると思い至った次第。
あくまでもここは『スギダラのほとり』。
『ほとり』らしく、行こうと思います。

今回の出版は、初めての単著であり、どういう評価になるのか不安いっぱいなのですが、一つの安心材料は、解説に篠原修先生の文章をいただいたことでした。
いつぞやの酒席でそれをお願いしたところ、快くお引き受けいただきました。
で、初校が上がった段階でそれをお送りし、正式に解説文をお願いしたというのが、今回の前置きです――

 

東北新幹線で出張から帰る中、携帯が鳴った。
篠原修先生からだった。
「もしもし、小野寺です。すみません、いま新幹線なのですが…」
「ああ、出張か。そうか、震災復興だな。うむ、うむ。いや、すぐすむよ。原稿は、読んだ。それでな…まあ、電話でもいいのだが、会って話した方がいいと思ってな。明日事務所(GSデザイン会議の事務局)に来られないか?」
こういう時は、いろいろとサジェッションが降ってくることを自分はよく知っている。
私の単著ではあっても、たぶん何か指摘したい事柄があるのだろうと察した。また、そういう指摘が無意味なことは絶対にないというのが篠原修という人である。
「ちょうどスケジュールが空いております。明日の午前中にお伺いします」
そういって電話を切ったものの、さて何を言われるんだろうと不安は大きい。こんな本全然ダメだよ、なんて言われたらどうしよう。

翌日は朝から蒸し暑かった。
汗をぬぐいながら本郷のオフィスを訪ねると、涼しい冷気が迎えてくれた。
部屋の奥のいつもの席で、篠原先生は何か読んでいたようだったが、こちらに気づくと片手をあげて挨拶され、自分の前の椅子を指さした。
「読んだよ」
この人は、いきなり本題から入る。
「いくつかに気になる点があるから言っておこうと思ってな」
――やはり。
「まずタイトルだがな、これはいかん。カミロ・ジッテから君自身に続く、都市設計の5原則というのが骨になっているんだから、それをタイトルにしなきゃ。サブタイトルでもいいが、"広場のデザイン5原則"とか"小野寺の5原則"と言い切った方がいい」
なるほど。
「あと章立てな。章のタイトルが分かりにくい。1章は基本的な考え方だな。2章は西欧広場の『学習』か。で、3章で日本の都市空間で『検証』しているわけだろ? となると4章はケーススタディだから、『実践』か『展開』だな。この章立てだとそれがはっきりせんぞ」
――実にもっともである。
この示唆を受けて、最終的に
第1章 思想 ― 都市の活力とは何か
第2章 解読 ― 西欧のにぎわい空間
第3章 検証 ― 日本のにぎわい空間
第4章 展開 ― にぎわい空間のケーススタディ
となった。これらの途中に11のコラムが挟まる形だ。

「この2章の事例はどういう順番なんだ?」
「時代順です。さらに『カンポ広場』なら、サブタイトルで『ゴシック広場』と書いてそれを示しました。まあ、数百年かけて造られた広場も多いのでなかなか難しいんですが……」
「まあいい。あとな、本筋とは別にコラムがあるが、最初のいくつかはベンチのことばっかり書いてるぞ」
「ああ、それは"居場所"をテーマに書いたものが長かったので、三つに分けたのです」
「とにかくよくない」
やはりばれていた。最終的には、ベンチばっかりと指摘されたコラムのいくつかは、タイトルで「座る造形@〜B」というシリーズにした。
だが、指摘はここからが本題なのであった。

「この本は研究書じゃなく、本職の設計家の本だ。そこが大事なところだろう。しかし、それが分かるのが遅い。どういう本なのかもっと早い段階でいうべきだな」
――ごもっともである。
「序章を直した方がいいでしょうか」
「新たに『まえがき』を付けるんでもいいけどな」
これ以上ページ数を増やすわけにはいかないということは分かっていた。しかし、指摘は至極もっともであった。
結局、序章をやめて、コンパクトな形で『まえがき』を書き起こし、全体構成をここで最初に述べてしまうことにした。そして、整合性を取るように第1章を少しだけ手直しし、全体の文字ボリュームが増えないように調整した。
しかし、指摘はさらに続く。

「第2章で、論理の骨格となっている、ジッテの広場理論を君がいきなり解釈しまっているだろう。それはだめだ。まず、彼の5原則を正確に言わなきゃ。その上で君の解釈が続くべきだ。これを見ろ」
――と、篠原先生はご自分が土木学会に寄稿された、昭和の建築家・前川國男のデザイン評の梗概を出してきてくれた。前川のデザインを、その理念とデザイン手法を洗い直して5原則に解読し、その意義を整理した小論である。
「こんな風にしなきゃだめだ」
――ほとんど論文指導といっていい。
「それから、と……この広島・太田川の写真、だめだな。君が設計した河岸テラスがあるだろう。あれはいいと思ってるんだ。なんであれを出さないんだ。それから、用語の使い方でおかしいところがいくつかあったからざっと赤を入れといた」
篠原修という人は、自分はいつも冷静だ、冷たいんだよと自虐的に言われたりもするが、実際のところはじつに親切丁寧な人なのである。
「あとは、これだから……えーっと全部で、いち、にい、さん……6か所ぐらいか。まあ、大したことないな」
「はあ……」
「まあ、全体を直すわけじゃないから大丈夫だな。彰国社の大塚さん(編集担当者)ならやってくれるよ」
ここまでで、10分も経っていない。
ちょっと落ち着いたところで篠原先生は、椅子に座り直して一言いわれた。
「一昨日の土曜日にな、一日かけて読んだよ。まあ……面白かったよ」
どこがどう面白かったのか聞きたいところではあったが、話題は急に終わった。
「よし、話はそんなところだ。こういう話は電話でもいいんだが、やっぱり会った方が早いからな。解説は書いておく。うん、よし」
帰れという意味である。
私も打合せは早い方だが、篠原先生のそれは、時々居合斬りのように感じる時がある。
「ありがとうございました」
じゃあな、とまた片手を振って、もう用はないことを示されたのでさっさと帰る。

オフィスの外にとりあえず出たものの、散歩がてらに突然とんでもない雷雨にあったような気分だった。いきなりすぎて整理がつかない。
忘れないうちに確認しておこうと、近所の喫茶店に飛び込み、メモを自分の言葉で再整理した。
後日、それを原稿に反映させてみると、確かに目次はすっきりするし、本の趣旨は明瞭なものとなった。
本来、初校の段階での大幅な書き直しはあまり許されるものではないのだが、こうなると仕方がない。とにかく整理して、彰国社の担当である大塚由希子さんと打合せに及んだ。

 

「えっ! 篠原先生からそんなにご指示が出たんですか?」
目を丸くして驚くのも無理はない。
「指示というわけじゃないですよ。親切に指摘してくれたんです。で、こことここ、それからこれを直しました……」
「序章を書き直すんですね……あ、第1章もですか」
「仕方ありません」(だってそのほうがいいから)
一つずつ修正を確認していくと、篠原先生のサジェッションがいちいち的を射ていることがわかる。
「タイトルに『5原則』を入れるんですね。確かに分かりやすいですね……ただ、『小野寺康の都市設計5原則』というサブタイトルが……」
このサブタイトルは後日、彰国社の編集会議でも問題になった。「小野寺康の」の個人名がどうしても気になるということだった。広場のデザインに役立つ視点を独自に解読した本であることは理解できるものの、サブタイトルでうたうには唐突ではないか。そもそも小野寺って、みんな知らんだろうというのが言外にあったようだ。
その後いろいろと議論した末、現在のタイトルに収まった次第である。
それでもサブタイトルに『5原則』とうたったのは、この時の指摘によるものであることに違いはない。当初の副題はもっと違うものだったし、また何かしっくりこないでもいたのだ。
「確かに分かりやすいですね。章立てもすごく明確になりましたし」
「ベンチばっかりと言われたコラムのタイトルも修正しました。それから、この広島・太田川の写真、篠原先生が出せといったこれに差し替えてみたんですけどね……」
「あー、本当だ……前より断然いいです」
こうなると、直さざるを得ない。
さすがに、東京大学で大教授だった人である。恐るべきものなのであった。
しかし、初校段階でこんなに手直しが出ることに彼女はまだ面喰っているのだった。
「そうだ。篠原先生が、この本を面白かったといっていましたよ」
「えっ! そうですか!? どう面白かったですって?」
篠原ファンでもある彼女は大喜びである。
「ああ、いや、まあ、面白かったとしか聞いてないんですが……」
「そ、そうですか……」

その翌日、篠原先生から大塚女史に電話が入ったという。
実は、篠原先生に解説文を書いていただく期間はかなりタイトであった。そこは少し心配していたのだが――
「解説文の締め切りは分かった。まあ、なんとかしよう。その代わりといっては何だが、小野寺から修正の話は聞いているか? 大丈夫だな?」
「はい! 大丈夫です!」
と、大塚さんも答えてしまったそうだ。

そして、解説文は届いた。期日通りに。
送られてきたメールに添えられてあった一文は、「なんとか間に合ったかな。解説文を送ります。彰国社の大塚さんに転送しておいて下さい」というものだった。
しかし、早速文章を読むと、これが少ない時間で書かれたものだとはとても思えない。短文ながら実に骨太で、大塚さんからもメールで、決して長い文章ではないが濃い文章だと思う、という返事が帰ってきた。
解説文一つでずいぶん本の雰囲気は変わるものである。

実は篠原先生がもう一つ言われたことがあった。
「解説文は書くがな、君は中村良夫先生の弟子なんだから、中村先生からも言葉をもらった方がいい。帯に何か書いてもらったらどうだ」
小野寺が大学で師事したのは東京工業大学の中村良夫教授であり、篠原先生にとっては学術的な兄弟子にあたる。そういうところは律儀なのである。
しかし、編集方針として帯はつかないことになった。
結局「あとがき」で中村先生に触れることにした。実際、この本を書いている際、中村先生の言葉がしばしば自分の頭をよぎった。そのことは大塚さんにも話したことがあったのだが、要するに最初の単著にすべてを込めよ、ということなのだった。

込めました。

表紙は……意外にポップで、自分の本としてはやや照れくさかった。しかし、よくよく見れば悪くない。何となく昭和の香りがするのは、「広場のデザイン」のロゴのせいではないかと思う。少年時代に大好きだった、「サイボーグ009」を何となく思い起こさせるのである。
そういえば、石ノ森章太郎の本名も小野寺なのであった。(どうでもいいか)
まあ、書店で見つけたら手に取ってみてください。
(なんだ、結局宣伝じゃん?)

   
 
   
   
   
   
  ●<おのでら・やすし> 都市設計家
小野寺康都市設計事務所 代表 http://www.onodera.co.jp/
月刊杉web単行本『油津(あぶらつ)木橋記』 http://www.m-sugi.com/books/books_ono.htm
   
 
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