連載
  続・つれづれ杉話 (隔月刊) 第28回 「お誂え(おあつらえ)」
文/写真 長町美和子
  杉について、モノづくりについて、デザインについて、日常の中で感じたモロモロを語るエッセイ。 
 
今月の一枚
  ※話の内容に関係なく適当な写真をアップするという身勝手なコーナーです。
 
  きゃぁぁぁぁ! と言う人も多いことでしょう。
ごめんなさい。我が家のベランダで育ったアゲハの幼虫「みどりちゃん」です。
裏側から見ることってないでしょう? しっかりつかまった足。嵐がきても絶対に落ちることはありません。
「みどり君、じゃないの?」 と名付け親に聞いたら「芋虫だから、って男の子とは限らない」との答え。
我が家では、毎年、何匹生まれてもみーんな「みどりちゃん」と呼ばれます。
   
 
   
  お誂え(おあつらえ)
   
 

 この間、清水の舞台から飛び降りて、大島紬の作家さんの反物を衝動買いしてしまった。このまま行ったら絶対後には引けないとわかっていて足を踏み出す高揚感といったら……(賭け事をしてはいけないタイプだ)。あぁ、2年越しの書籍の仕事が終わってやっと手にした原稿料が飛んでいく。いいのか? これは生活費の足しにするのではなかったのか? 展覧会場で悩むふりをしながら、そう深く考えもせずにトートツに、でもしっかり「落ちる」と意識して飛び降りた。キャー!
 反物自体のデザインから注文して、というわけではないので、「誂え」とは言えないけれど、今までは母のお下がりをほどいて染め直したり、中古の着物の丈を直して着たりという「そこにあるものを生かして」という着物ライフだったので(1つだけ、呉服やさんで新品を仕立ててもらったことはあるけれど、それは、その呉服やさんの本を書いた時にご褒美的にいただいたものなので)、「自分の力で」「どうしても欲しくて」反物を手に入れるところからスタートした、という意味では大いなる前進なのである。
 かねてから、着物に関わらず、身の回りのモノを誂えるという行為には、憧れ以上の敬意に近いものを持っていた。それは、世の中に1つしかないものを手に入れるという贅沢に対する憧れではなくて、「あなたのつくったものを使いたい」という注文主の思いと、「あなたのためにいいモノをつくりますよ」というつくり手の思いの両方が1つのモノにこめられている、ということに対しての憧れである。
 もちろん、一般庶民が日常生活で使うモノを安価に手に入れるために、量産のしくみやデザインという職能、文化が発達したのはよくわかっているし、昔の殿様やお姫様が誂えたような工芸品のたぐいばかりで世の中が成り立っていくとは思わない。でもね、やっぱりモノの生産と消費って、食べ物もそうだけど、基本は「山田太郎さんの仕事はやっぱりいいねぇ!」みたいに、顔の見える(由来がわかって、納得できる、信頼できる)モノを大事に使ったり、感謝して食べたりするのが理想的だと思う。
 最近になって、山形出身の若い友人のご実家がお米屋さんであると知って、精米したてのお米を直接送っていただくようになった。これがまた信じられないほどおいしい。紙袋の上をキュッと縛った風情のあるお米が届くと、中にはお母さまからのお手紙が入っていて、伝票に「○○米肥店」とハンコが押してある。聞けば、地元の農家に肥料を売って、そこで収穫したお米を店で扱っているのだという。「みんなウチの近所のよく知ってる農家さんのお米だから」と胸を張る友人。なんと有り難いことだろう。たまたま東京で知り合った一人の知人を通して、山形のお米屋さん、農家さん、その田んぼの土の成分まで一気につながってしまったとは。
 出会い、って大きい。『星の王子様』のキツネじゃないけど、それまではどこにでもいるふつうのキツネと、どこにでもいるふつうの男の子の関係でしかなかったのが、互いを知って意識するだけで特別な存在になっていく。
 私が出会った大島紬の作家さんもそんな一人だ。10年ほど前、お蚕さんから着物になるまでを追う本をつくった時、養蚕農家から蚕の品種改良をする研究者も含めて、結城で糸取りをするおばあちゃん、糸問屋さん、それぞれの産地の織元、紺屋さん……じつにいろんな人にお会いすることができた。伝統の姿をそのまま踏襲する人もいれば、新しい道を模索する人もいる。田畑安之助さんは後者である。
 鹿児島産の大島紬は、伝統的な奄美大島産の大島紬と違って、手間のかかる絣を機械で括って量産できる工夫を凝らしたり、紬糸ではなく製糸した本絹糸を使って均質化を図ったり、本来の泥染めの黒に飽き足りず化学染料で華やさを加えたり、と、日本のどこの産地でもそうだったように、ハイクオリティ&低価格化を目指して突き進んできた。ところが、どこの家の箪笥にも必ず一枚は大島がある、という時代が過ぎて、着物の需要自体が激減すると、量産できることや均質であることは逆にネックになってくる。「このままでいいのか?」と思いつつ、産地はなかなか過去の栄光から抜けきれない。
 そんな鹿児島の大島紬界で、田畑さんは一人、デザインから絣の括り、染め、織りまですべてこなす「個性」の人を貫いている。奥さんや近所の方の手を借りて、それぞれ数反ずつ生産するので、作家というより小さな織元と言った方はいいのかもしれないが、庭先の仕事場でビートルズを聴きながら鼻歌交じりで糸を染め、家庭用の2層式洗濯機でガラガラ脱水する作業の様子を見ていて、「自分ができる分量を」「労力や素材に見合う額で」「ぜひ欲しいと言ってくれる人のために」淡々とつくる、ということがいかに自然かということをしみじみと思った。
 本の取材でお会いした人たちの中で、唯一、田畑さんとはその後も展示会のお知らせを通じてハガキのやりとりが続いた。いつかはこの人の織った反物を身にまといたい、そう願い続けて10年。ようやくその日がやってきた、というわけだ。

 さて、ドキドキの着物づくりはその後どうなったかというと、田畑さんが鹿児島に帰郷された後、「よろず着物相談」なる肩書きを持つ東京在住のご友人にすべてが託されて連絡待ちとなった。この方、展覧会場の片隅に静かに座っていらしたご老人で、私があれやこれや近況などを伺っている間は無言でニコニコしているだけだったので、本当にただのお友達なのかと思っていたら、なんと日本橋三越の呉服売り場で60年勤め上げたという恐るべき人だった。失礼ながらお年をお聞きしたら、母と同じ昭和9年生まれ。今年齢八十を迎えるというのに、まだ名刺を2枚使い分け、私のような一般の顧客と職人の間を取り持ったり、つくり手に反物の企画を持ち込んだり、プロデューサーとして働いているという。

 迷う私を最終的に清水の舞台の端っこに追い詰めたのは、その人だと言ってもいい。「いい目をお持ちです! こちらは本当の紬糸を使った本物の大島紬です。今の大島は名前ばかりで紬とは言えません。ここに並んでいる中で唯一、紬と呼べるのはこれだけなんです。私も彼の作品の中でこれがいちばんいいと思います。他の新作はどうでもよろしい。これは去年二反織ったうちの残りの一反で、もうこれだけなんでございますよ!」。そしておもむろにポケットからメジャーを取り出すと裄(首の付け根から手首まで)を計り、「大丈夫、尺五寸で織っていますから十分です」。ここまで来たらもう逃げられないではないか。
 「湯通しが済んだらご連絡いたします」と言われ、待つこと数週間。江古田の駅から歩いて数分のところに「店」があるから、と言われて、住所を頼りにぐるぐる歩いて、やっと見つけたのは古風な日本旅館のような玄関を持つ一軒家だった。曇りガラスのはまった引き戸を開けると、懐かしい「おばあちゃんち」の匂い。那智黒石が並ぶ三和土から玄関脇の応接間に通されると、板張りの壁にマントルピースがあって、ビロード張りのソファが置かれている。うれしくなってジロジロ見回していたら、「この家は三越時代に仕立てを頼んでいた職人の家なんですよ」と、件のプロデューサー。渡り廊下でつながっている隣の建物は仕立て場で、昭和30〜40年代の最盛期は、お針子さんを100人も雇って、三交代制で24時間着物を縫っていたという。「あっちの棟には蚕棚みたいなベッドがありましてね、お針子さんたちはみんなここで寝起きしていたんです」。彼は、この応接間を自分の「店」として借りて仕事を続けているのだという。
 テーブルの上には裾回しの色を決める見本帳が置いてある。おぉ、イチから染めに出すとは思ってもいなかったが、ここまで来たら腹をくくるしかない。淡いベージュ、柔らかな卵色の地は、銀座の柳を使った草木染めなので、グリーン系にすることもできるし、同色のクリーム色系もいい。「この並んだ梅紋の色に合わせてもいいですよね」と何気なく言ったら、「それはよいお考えでございます!」。この「ございます」言葉にまた年季が入っていらっしゃる。
「鉄色、鼠(ねず)といったところでしょうか。同じ鼠でも青みがちになれば、錆鼠(さびねず)、藍鼠(あいねず)、ちょっとグレーになると御召御納戸(おめしおなんど)がございますが、どうでございましょう、わたくしはお客様のお肌の色を拝見しますと、赤みの鼠の方がよろしいかと存じますが。例えば紫調ですと薄鼠(うすねず)……いや、これは少々紫が勝ちますね。こちらの鳩羽鼠(はとばねず)はいかがでございましょう」。昭和の匂いがする応接間で、三越の大番頭さんを前に、ゆるりゆるりと時間が過ぎていく。そして、なんだかすでに着物を着ているような気分になってくる。

「誂えは遊びでございます。どうぞゆっくり遊びをお楽しみになってください。私どもが決めてしまっては、そこから先が広がりません。三越に入った頃には、お客様が先生でした。お客様が小僧を一人前に育ててくださる。そうやって教わったことを今度は若いお客様に伝えていく。順番です。どなたでも最初は皆『はじめて』なんですから、どうぞ心配なさらずに」
 八掛の色を決め、柄のずらし加減を決め、胴裏には母の箪笥の中に仕舞い込まれていた昔の羽二重を使うことを決め、最後の最後に彼はこう言った。
「ひとつ申し上げておきます。今日、わたくしが承ったことは、すべて間違いなく職人に伝えます。私が信頼をおく者に染めを依頼し、仕立てをしてもらいます。その技術は私が保証いたします。色みも柄合わせの感覚も最終的にはその職人が、これと思ったものに仕上がります。ごくまれに、「こんな色だったかしら」「イメージと違う」とおっしゃる方がいらっしゃいますが、手仕事というものをよくよくご理解いただきますよう、よろしくお願いいたします」
 はい。年季の入ったプロの気迫。さすがなのだった。
 その昔、新橋の花柳界が華やかなりし頃は、「東をどり」の季節に芸者衆400人分の晴れ衣装を一手に引き受けたこともあったという。母と同じ時代を生きてきた人に(同い年でこうも違うものかと驚くと共に)、こんな風にお世話になることができた幸運をひしひしと感じた。席を立ち、玄関から通りまで見送ってくださった時、ほんの一瞬足元がふらついて、お年を感じる。人生と人生がほんの一瞬交差して、素敵な出会いに恵まれたことを感謝しなくては。
 仕立て上がりは7月。着物ができるのもうれしいけれど、もう一度、彼に会えることが楽しみでならない。 

   
   
   
   
  ●<ながまち・みわこ> ライター
1965年横浜生まれ。ムサ美の造形学部でインテリアデザインを専攻。
雑誌編集者を経て97年にライターとして独立。
建築、デザイン、 暮らしの垣根を越えて執筆活動を展開中。
特に日本の風土や暮らしが育んだモノやかたちに興味あり。
著書に 『鯨尺の法則』 『欲しかったモノ』 『天の虫 天の糸』(いずれもラトルズ刊)がある。
月刊杉web単行本『つれづれ杉話』:http://www.m-sugi.com/books/books_komachi.htm
月刊杉web単行本『新・つれづれ杉話』:http://www.m-sugi.com/books/books_komachi2.htm
月刊杉web単行本『続・つれづれ杉話』:http://www.m-sugi.com/books/books_komachi3.htm
   
 
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