特集1 月刊杉100号記念
  広報宣伝部長が語る10周年
文/千代田 健一
     
 
 
 

昨年、10周年と勘違いして倶楽部創立メンバーで集まって懇談会をしたのがたった1年前とは思えない。今度こそ正真正銘の10周年なのだが、スギダラ倶楽部の活動を通して1年とか10年とかを振り返るとぼく自身は実際の時間よりも長く感じてしまう。それは恐らく、1年とか10年にしてはあまりにもいろんな出来事が起こって来たからなのだと思う。
そんな怒涛の10年を自分なりに振り返るのに2つのテーマで書いてみたい。

   
  「組織化されていないのに組織力のある集団」
   
 

この10年、スギダラ倶楽部の中では広報宣伝担当というポジションを得て活動して来たのだが、実際は大したことをやっていない。単に会員の皆さんとの窓口機能を受け持ってきただけである。会社で広報宣伝と言うと、新しい事業の計画や新商品などを対外的に発表する段取りをしたり、そのための広告、カタログの制作、イベントなどのプロモーションの企画立案から実施までをやったりするものなんだと思うが、そういうことを組織的に行えるようにはして来なかった。全くやっていなかったのではなく、各地でのスギダラ系のイベントが発生する都度、イベント自体を舵取りしたりサポートしたりするメンバーが集まって、誰に言われる訳でもなく自分ができる役割を担って実施して来た。言ってみれば都度、各地で組織化できるようになっているのがスギダラ倶楽部の特徴の一つだと思う。

代表がいて、デザイン部長がいて、広報宣伝部長がいて、編集長がいてというのはスギダラ倶楽部立ち上げ時の言わば悪乗りであり、洒落みたいなものだ。小さな所帯の時はそんな洒落も交えて一大組織のような振りをしたり自分たちで盛り上がったりするものだと思うし、そんなもんだと思う。ところが現在では会員1700名を要する結構な集団になってしまっている。にも関わらす、未だに組織化されてはいない。過去、NPO法人にしたらどうかなど組織化する意見も出たりしたが、やって来なかった。それでも今尚会員は増え続けているし、各地で結構大々的なイベントも起こっているし、起こして来た。

組織化されていないのに恐らく傍から見ると組織的な動きができているように見えるのではないだろうか。これは、そんな大きな事を起こせるような人々が各地でことごとく集まっているから、としか言いようがない。もちろん、南雲、若杉の強烈な個性とリーダーシップ、それに悪乗り、暑苦しさが引っ張っていっているところも大きいのではあるが、それが無くても自発的に動けるエンジンを持った人々が集まっているところがスギダラ倶楽部の特徴のひとつになっているように思う。しかもかなりハイパワーなエンジンで燃料無しでも動いてしまうほどの勢いだ。さらにはエンジンだけでなく、頑強なボディ、しっかりした足回り、賢いエレクトロニクスといった走るための基本性能をしっかり持っている。そんな役割を担える人々がそれぞれの地域で集まっているし、集まって来るというのはすごいことだと思う。

この辺のすごさは本誌でも事あるごとに特集してきたビッグイベント、杉コレクションとかスギダラツアー、スギダラ全国大会などの記事を見返してもらうと理解が深まると思う。ダイジェスト的に見ただけでも、なんでこんなすごいことができるの?と思うはずだ。

   
   ぼくなりにそのなぜ?をひも解いてみたい。

例えば、2008年に佐賀で行った杉モノ・デザイン展「杉+」
企画・事務局をスギダラ北部九州支部の広報宣伝部長佐藤薫さんが担当。支部長溝口陽子さん、作家有馬晋平さんを始めとするものづくり仲間が輪を広げ、長尾行平さんという地域に根を張って活動をしているグラフィックデザイナーが加わり、手作りイベントとは思えない完成度の高い展覧会を実現した。事務局佐藤薫さんは、杉とは縁もゆかりもなさそうなアパレルメーカー勤務の会社員である。展覧会イベントの企画などもちろんやったこともない。しかも北部九州支部単独として初のスギダライベント。佐藤さんだけでなく、他の北部九州支部のメンバーにとっても初めてづくめなのにあのクオリティの高さ。有馬晋平さんの実家の元酒蔵という風情のある会場の魅力も手伝って、今まで体験したどんな展覧会よりも楽しく美しく心地よいものだった。

溝口さん、佐藤さんのお二人が有馬さんと出会い、有馬さんのスギコダマをスギダラに紹介してくれた頃からにわかにこの企画が動き出したように記憶している。それに展覧会のポスターやチラシの制作をやってくれたグラフィックデザイナー長尾行平さんの加入が大きかった。

内容が良くてもきっちり広報、宣伝して行かないと人は来てくれない。長尾さん自身の地域ネットワークも繋いでくれて会場は地域の皆さんで大賑わいとなった。

また、このチームが集めてくれたクラフト仲間の皆さんの作品が見事で、杉のデザインは野太くでダサイなんて思っている人の概念を覆すようなものばかり。作品、会場、おもてなし、イベントメニュー、全てにおいてパーフェクトだった。

このチームには強い想いがあってもその強さを感じさせない軽やかさ、アットホームな穏やかさがある。和気あいあいと事もなげにこれだけのことをしでかしてしまうのが凄いと思った。何とも形容しがたいが、参加する以上仲間として協力し合うという気持ちが元々あるのだ。だから参加者みんな能動的に動く。しかも何もかもがハイセンス。この緩やかな連携が生み出す空気感は何とも言えず心地よく、豊かな気持ちにしてくれる。早い話、そんな空気を生み出せるセンスを持った人々が集まってるってことなのだが、スギダラを云々する以前から同じような志とか想いとかを持っている人が自然と集まったと言った方が良さそうだ。表現の仕方は随分静かだが、同じような「匂い」を持った仲間だと思うし、思いたい。この出来事はスギダラ史上でもずっと語り草になるだろう。

   
 

もうひとつ語り草となる出来事をおさらいしておくと、同2008年秋に秋田の限界集落窓山で行った、窓山再生デザイン会議

こちらはスギダラネットワークの最大活用による傑出したパーソナリティを総動員してのイベント。仕掛け人は秋田支部長菅原香織さん。その前年には前哨戦とも言える「白神山麓・窓山デザインコンテスト」と題したデザインコンペを実施しており、布石はバッチリ!

窓山デザインコンテストの時からそうだったが、秋田支部、と言うか支部長菅原香織さんと二ツ井出張所長の加藤長光さんの秋田支部コンビ、特に加藤さんのオペレーションは基本的に丸投げ。要所要所に適材をキャスティングして行く。後で聞いたら笑える程巧妙?(絶妙)かつ迅速に仕事の配分をやってのける。板の上で踊らされる方も、とても心地よく踊らされているのだから恐ろしい。審査委員長は南雲さん、会場は千代ちゃんよろしく!ってなもんだ。南雲さんの審査委員長の話など、本人に承諾を取る前にコンペの募集要項を配布するなどのハプニング?もあったが、実は丸投げのように見せかけておいて、役所への根回し、事務手続き、ホームページの開設など実施に向けてやらねばならないポイントはいつの間にかきっちり押さえているところがこのコンビの凄いところである。巻き込んだ役者たちに気持ち良く踊ってもらえる舞台を着実に用意して行くのだ。で、窓山再生デザイン会議に至ってはそのオペレーションに味をしめた支部長菅原さんが加藤さんを見習い、また南雲さんもその時の仕打ち?が楽しかったのか自ら率先して利用できるツテを最大限利用して、役者を起用して行く。デザイン会議のパネルディスカッションでは我らが南雲勝志、若杉浩一、加藤長光に加え、スギダラ的には身内とは言え、土木設計家の篠原修さん、建築家武田光史さん、都市計画家小野寺康さん、秋田公立美術大教授渡邉有一さんといったそうそうたるメンバーをキャスティング。窓山という日本昔話に出て来そうなのどかで懐かしい雰囲気の漂う里山で日本のこれからを語り合うその風情は、これも何とも形容しがたいのであるが、どこか未来的だ。日本の未来を考えるということはこういう事だ!と思わせる。これら役者の皆さんは個々でも強い繋がりを持っているのであるが、そのすべての繋がりが連携していて、集まった参加者も含め元々繋がっている家族のような感覚でいるのではないかと思う。つい先ごろ、奈良吉野でのスギダラ全国大会で若杉さんが言っていた。スギダラの集まりは親戚の集まりのようだと。確かにどこに行って誰と会ってもそんな感覚になる。そんな空気感をつくるのがスギダラならではの人的ネットワークのような気がするし、初めて来る人もどこかしら自分も身内と思って来ているような気がしてならない。スギダラ倶楽部の中では純粋に日本の森林資源の未来に憂慮していたり、杉を通して見て来た日本の未来に対する考え方に賛同してくれたり、という共感もあるのだが、そういうテーマを超えたところで心と心、気持ちと気持ちが呼応し合う「共鳴」を感じ合える親戚のような人々が集まって来ているのだと思う。だから結束が強く、組織化されていないのに組織的な動きできるのだと言うのが、ぼくの今のところの結論である。

   
  「スギダラ倶楽部の魅力」
   
 

もうひとつは10年も続けて来れたのはそれだけの魅力があるからだと思う。会員番号4番の村上敬三朗さんがおっしゃるには魅力と言うのは与えることによって増し、欲することによって減るものなのだそうだ。今尚、仲間になってくれている人々が増えているのはスギダラ倶楽部に魅力があるからで、村上さんの言葉を借りるなら、スギダラ倶楽部が社会とか接点のある人々に対して、何かしら与え続けて来たということになる。

その魅力を増強してくれているのはやはり人であり、人と人との繋がりの連鎖なのだと思う。

端的に言うとスギダラに集まって来る人って、みんないい人なのだ。高飛車で偉そうな人とか知りもしないのに知ったかぶりしたりする人、組織を隠れ蓑にして自らを出さない人、といった嫌な感じのタイプがいない。もっとも、単に共鳴し合える人だけが集まり続けているだけなのかも知れないが・・・

それとこれはぼくの個人的な感覚なのだが、どちらかと言うと見た目とか雰囲気とか性能、機能みたいなものよりも人の基本、モノの基本、事の基本にこだわった人が多いような気がする。本物とか本質とか本来、そもそも・・・そんな風にこだわる人が多いのではないだろうか。

故に想いや願いも強くなるし、強烈に突き進んでいる人が多くいるのもスギダラ倶楽部の特徴と言っていいと思う。音頭を取っている南雲さんや若杉さんもそうだし、そういった強烈な個性、想いの強さには、それと同じかもっと凄い個性が呼応して来るのである。時折、そんな強烈な個性の連鎖がさく裂するので、活動も益々面白くなるし、賛同者とか応援団も含め仲間が増えてくるのだ。

仲間が増える要因と思えるものは他にもある。月刊杉編集長、内田みえさんが「楽しくなければスギダラじゃない」と言っていたことがあるが、共に楽しむ。共に分かち合うという気持ちが根付いているということだ。それは、笑わせたいとか喜ばせたい、楽しませたい、驚かせたいと言った欲求で、全て与える方向の欲求だ。だから魅力が増すとも言える。そういった欲求の背景にあるのは、思いやりの心、おもてなしの心、遊び心と言った受けた人が心地よく感じる気持ちで、そんな感覚をたくさん持ち合わせているからだと思う。ざっと思い浮かべても愉快で気持ちの良い人たちが多いのは確かだ。そんな人が集まって来るので与えるものがどんどん増えて行く。スギダラ倶楽部の魅力はそんな人々の気持ちの連鎖で成り立っている、とぼくは思っている。

せこい話だが、スギダラやっててそんな人たちが仲間だと思ってくれていることがぼくにとって一番大きな喜びであり財産であり、本部広報宣伝部長の役得だと思う。スギダラ倶楽部の皆さん、ありがとう。さらに向こう10年も共に楽しみ、共に分かち合いましょう。くれぐれも若千愛とは書かないように!

   
 

最後にスギダラ倶楽部が10周年を迎える節目のこの年、ぼくは生誕50周年を迎えた。その記念にスカイダイビングなるものを体験して来たので、その時の様子をビジュアルでご紹介する。

全くの余談で恐縮だが、これもぼくなりの遊び心だと思ってご容赦いただきたい。でも、これははっきり言ってお勧めできる。簡単にスリルを味わいたい人には打ってつけのエンターテーメントだ。

年に一度はこういったバカげた事と言うか、なかなかやれない事をやってみたいと思っている。

   
 
   
 
   
 
   
   
   
   
  ●<ちよだ・けんいち> インハウス・インテリアデザイナー
株式会社パワープレイス所属。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部広報宣伝部長
月刊杉web単行本『スギダラな人々探訪』 http://www.m-sugi.com/books/books_chiyo.htm
月刊杉web単行本『スギダラな人々探訪2』 http://www.m-sugi.com/books/books_chiyo2.htm
   
 
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